嫉妬しちゃった日は、自分を褒める日
日々、私たちはSNSやTV番組などで手軽に、
美しいもの、スゴイもの、感動するもの、素敵なものに触れることができます。
家にいながらにして、こうやって豊かな気持ちになれるのはありがたいことです。
でも、それらのキラキラしたものに、人が絡んでくると素直に「豊かだな~」とばかり思えないときがあります。
例えばなんですが、
TVに映るカリブ海の美しさに感動しても、そこでバカンスを楽しむ美しい日本人女性とそのリッチそうな家族を見たら、モヤっとする自分がいるんですよね。
そして、そのモヤっしちゃった自分が嫌になる。このモヤっと感は、嫉妬まではいかない羨ましさに近い。
ふだんは理性でおとなしくしているコンプレックスが刺激されるんでしょうね。ツボを押するくらいの気持ちいい刺激なら、自分を鼓舞する材料として十分使えますが、
自分と近しい人たち(友人、知人、同僚・後輩、恋人、昔付き合いがあった人たち etc…)となると、ごくたまに、羨ましさを超えて「嫉妬」にまで発展して苦しくなるときがあります。
「よかったね!」と素直に喜べないときがあります。
と同時に、こんな些細なことで「嫉妬」しちゃう自分の器の小ささを目の当たりにして、自己嫌悪に陥ります。
「嫉妬」しちゃうだなんて・・・
恥ずかしい、器小っちゃい、心狭い、未熟、自分の努力が足りない、とさんざん自己否定しちゃうのですが、
でもね、この「嫉妬」をうまく利用しちゃえ!と思ったんです。
私たちの日常生活で「羨ましい」の感情は頻繁に出てきますが、それを超えた「嫉妬」の感情ってあまり出てこない、もしくは特定の人だけだと思います。心の消耗も激しいから、ずっと嫉妬し続けるのは難しい。
もし「嫉妬」が出てきちゃったら、
「嫉妬しちゃダメ~」と、すぐに消し去ろうとするのではなく、しばらくそこにSTAYしてもらいます。「嫉妬」は自分を深く知る貴重なツールだからです。
自分は何をそんなに切望しているのか?
その答えを知るチャンスでもあります。
ふだん何気なく生きていると、自分の強い望みって、わかるようでわからないことが多いですから。
「羨ましい」レベルは、自分もそうなったらいいな~くらいのまだ他人事なんです。だからすぐ忘れます。
これが「嫉妬」レベルにまでなると、心に深く刻まれている分、自分事となります。だから心の底では手に入れたいと思っている、もしくは、いつか手に入れることができるかもしれないと信じている(信じたい)。
だから、勇気をもってその「嫉妬」をちゃんとキャッチしようとした自分を褒めてあげていい。
「嫉妬」は、私たちの本当の願望に気づかせてくれるナビゲーター。本当は、私たちをずっと苦しめるために存在しているわけでない。
「嫉妬」は悪いことだとされているけど、決して悪いことではない。
私たちを幸せに導いてくれる大切な感情です。「喜び」の ”快"感情だけでは気づけないことを、違った角度から気づかせてくれます。
「嫉妬、もっと私の前に出てきていいよ」と言ってあげたら、「嫉妬」のお役目が終わったらちゃんと消えてくれるから、安心していいのです。
「羨ましい」が深化(進化)した熱く燃えた「嫉妬」さんは、たまにしか出てこない珍しいお客様だと思って、
今度やって来たときは、お茶🍵でも振る舞ってあげようかと(笑)。
それに、歳を重ねると人間的に丸くなるのか、嫉妬する機会がぐんと減りますね。
だから、たまに嫉妬心が湧くと、嫌な気持ちにはなりますが、自分を深く知れるチャンスだと思うと怖くありません。
嫉妬に苦しむのではなく、嫉妬をうまく利用しちゃいましょ ♪
私たちの幸せのために。