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苦しみは 人生の調味料
私たちは潜在意識の中で
”生きている”という実感
を、心から欲しています。
生きている実感とは、感情の海にどっぶり浸かること。私たちは、それを求めて日々生きているともいえます。
その感情には、
「楽しさ」「喜び」「爽快感」「快感」「ワクワク」のようなポジティブだけでなく、
「苦しみ」「焦り」「怒り」「悲しみ」「恐怖」「嫌悪」のようなネガティブも含まれます。
人情としては、できればポジティブ感情だけで、
生きている実感が持てたらどんなにいいだろうと思います。
でも残念ながら、そんな都合がいいことばかり起きないのが世の常。
だったら、なるべくポジティブ感情の割合を大きくして、生きている実感を持つことはできないでしょうか。
そう思って、私はせっせと自己肯定感を育てている最中ですが、どうしてもネガティブ感情が多くなってしまうのです。
なぜネガティブ感情にいつも悩まされているか、その理由に家族と何気なくテレビを見ている時に気づきました。
私は、不安を掻き立てられる事件・事故・情勢を伝えるニュース、不足感や焦りを沸き立たせる宣伝を、空気を吸うように無意識に取り入れていると。
家族とテレビでニュース報道を見ながら、
「最近物騒になって、怖いね」
「また値上げだって、嫌だわ」
「また、汚職事件?、ムカつくね」
と、お決まりの感想を言い合って、数分後には忘れるパターン。
わざわざネガティブな気持ちになるために、自ら原因を作っているというおかしな行動(笑)。でも、やめられないのはなぜだろう?
私って、実はネガティブが好きなのか?
と疑いたくなります。
いつも「ネガティブなんて嫌い、嫌い!あっちへ行け!」と避けてるくせに、実は好きだったという小学生のような恋愛ゴッコをして遊んでいるのか?
ニュース報道は、基本的にはネガティブ。
広告も、隠れネガティブ。
(もちろん、全てではないですが・・・)
ポジティブなニュースネタばかりだったら、ニュース番組の視聴率なんて取れないでしょう。
それに、ほとんどのドラマや映画だって、
主人公が最初から最後まで順風満帆な人生で、アップダウンがまったくないストーリーだったら、誰も観たいとも思わないでしょう。
私たちは、ストーリーにハラハラ・ドキドキを求めている。主人公がもがき苦しんでいるのを疑似体験したいのですから・・・
これは、ニュースやドラマや映画に限らず、私たちは潜在的にもがき苦しむ刺激を、人生に望んでいるのかもしれない。
なぜなら、
”生きている”という実感=刺激
を、心から欲しているから。
何も起こらない平穏すぎる退屈な日々に耐えられない。
※ ※ ※
それでも、ネガティブ感情に押しつぶされそうになり、苦しみから逃れたい。でも、刺激を求めずにはいられない。
相当なジレンマです。
そんなどうすることもできない自分に言ってあげたい。それは、
苦しみは、
人生を退屈させない調味料=刺激
人生を退屈させないための、ただのスパイス。
「七味唐がらし」的なもの。
私は、いろんな食べ物に七味唐がらしをかけるのが好き。ピリッとした辛さが、料理の味を引き締めてくれる。
世の中には、いろんな調味料(感情)があって、人生(料理)を味わい深いものにしてくれる。
砂糖のような甘い調味料だけじゃ、単調な味にしかならない。辛味、苦み、塩気の調味料もあるからこそ、美味しい料理となる。
ポジティブもネガティブも、本来は両方あっていいのだ。だから、私たちは自然とネガティブに気を取られてしまう。そのクセは弱まるけどゼロにはできないとあきらめた方がいい。
どんな感情もあっていいのだ。
逆に無いとなると、「退屈」という新たな苦しみが生まれる。
ネガティブをがんばって排除しなくてもいい。
つい長年のクセで、ネガティブになってしまってもいい。それは人生を味わい深いものとするために必要だから起きている。
苦しみは、人生の調味料。
それくらい気楽に思っていれば、苦しみの威力は次第に弱まっていく。
だから、安心してしばらく苦しみと一緒にいても大丈夫だから。