「買えない」と思うから、欲しくなるカラクリ
節分の日、”生” の市川海老蔵さんを、成田山新勝寺の豆まき会でチラ見できた余韻に浸った後、ショッピングセンターに立ち寄りました。
1~2年ぶり?すごく久しぶりに、オシャレ100円ショップ「Seria」に入りました。私の住む近隣地域には、Seriaがないのでちょっとテンション高めな私。
「Seria」入口に陳列されていた食器たちを見て、小走りしたいくらいルンルンな気分な私。
100円の域を、優に超えたレベル!
洋も和もデザインが凝っていて、この値段設定でいいのか?お店は大丈夫なのか?利益はちゃんと出るのか?いろいろと考えてしまいました。
100円で、ここまでのパフォーマンスを出す「Seria」に感謝の気持ちが湧き起こったと同時に、正直ちょっと恐ろしさも感じたりして(笑)・・・。
そんな複雑な気持ちを秘めながら、
「さー、どれがいいかなー」と物色し始めました。
この猫ちゃんの小皿もいいし、この北欧風のトレーもステキ、この箸置きも粋だわ~💛
自分が欲しいと思った食器をぜ~んぶ買ったとしても、1000円もいかないお値段。なんだったら、この一角の食器をぜ~んぶ買ったとしても、たかが知れているではないか!
と思ったとたん、
「欲しい」という気持ちは、消えてしまいました。
急に、心が満たされてしまったんです。
ステキな食器を眺めているだけで、十分幸せだなぁ~、って。
ここで、ふと思ったんです。
「買える」と思うと、欲しくなくなる。
そして、気づいたんです。
「誰でも買えてしまえる」と思うと、
さらに欲しくなくなる。
* * *
私は昔、ココ・シャネルの映画を観てから、心のどこかでシャネルの商品に憧れを抱いていました。
気品溢れるスーツとか、シンプルなバックとか。選ばれた人(限られた人)だけが、身にまとえるイメージを持っています。
着こなしている芸能人とか、たくさん身につけているセレブを見て、「羨ましい」と感じることがときどきあります。
でも、もしもシャネルが「Seria」のように誰にでも、手軽に買えるとしたら?
それでも自分は「羨ましい」とか、「欲しい」と思うだろうか?って、自問してみたんです。
変わらずココ・シャネルはステキだなぁ~とは思うけれど、「羨ましい」とか、「(すごく)欲しい」とは、思わないだろーなって(笑)。
自分には、なかなか買えない
と思っているから、欲しい気持ちに火がつくと気づきました。
もしも、世の中にある全てのものが、手軽に買えるとなったら、果たして私は高級ブランドに憧れるとか欲しいとか思うのだろうか?(誰にでも買えるから、”高級” という概念は消えるけど)
シャネルのツイードジャケット、エルメスのバーキン、ルブタンのパンプス、ヴァンクリーフ&アーペルのネックレス・・・
みんながそう簡単には持てないから、憧れるし、欲しいのだと思います。そして、それを持てた自分に価値を感じたいから手に入れたいのかもしれません。
みんながシャネルを手軽に買えて、ワンマイルウェア感覚で汚れることを気にせずに着ていたら?
もしも、全てがタダみたいに安かったら、逆にモノを持たないことの方がカッコいいかもしれない。
* * *
「買えない」「手に入れずらい」と思えば思うほど、
それが欲しくなり、執着してしまう。
なかなか手にすることができない自分は
まだ十分じゃない、劣っているとカン違いしてしまう。
それが、自分にとって本当に必要なものを
見えなくしてしまう。
私たちは、すでに今あるものでも、
十分満たされている可能性だってある。
これ以上、次々と追い求め、所有して
自分の価値を高める必要はないのかもしれない。
そんなことを思ったSeriaでのウインドウショッピング。
必死になってなにかを手に入れる終わりなきゲーム、
たまにはひと休みしてみませんか?