新しく何かを始める、ということ
改札にSuicaを『ピッ』て音を鳴らして通る度に、自分が大学生であることを実感する。
駅には様々な年齢や職業、国籍の人が大勢いて、普段みんなが同じ1日という限られた時間の中でなにをしているのか気になって仕方がない。
寝てゴロゴロして1日終わる人もいるだろうし、
朝から晩まで仕事をしている人もいるだろうし、
就職活動をしている人もたっくさんいるだろう。
そんな中で僕は大学4年生をしながら、業務委託として飲食店2店舗の現場責任者をしている。
その前には人生で初めて飲食店の店長をするという事態になり覚悟を決めて大学を1年間休学もしている。
だからこそ、大学を休学をして飲食店の店長などを学生という若さで経験できていなかったら今頃なにをしていたんだろう、と考える。
全く違う人生になってんたんじゃないだろうか。
あの時大学を休学して店長になるという決断をしたから、出会えた、ヒト、モノ、コトがある。
新し何かを始める、というのはこういうことだ。
挑戦とは、任意だ。決して強制ではない。
やらなければいけないことではない。
でも、なぜ周りからお願いもされていないのに、新しくなにかを始めようとする人がいるのかと言うとやりたいと思ったからやっているただそれだけだ。
やりたいことに理由なんてない。
自然とやっていることだから『やりたいこと』なのだ。
就職活動の選考の軸の1つである『働き方』という観点から僕の生活を見てみると一瞬で対象外になるだろう。
朝起きてから寝るまではずっと仕事。合間に卒業論文を書いている。
忙しい毎日である。
しかし、その忙しさの先に何があるかというと、他人の幸せが待っている。
やりたいことがある、というのは個人の幸せだ。
そして、やりたいことをやる、というのは周りを幸せにする。
ワンピースのルフィが海賊王を目指すのも、
キングダムのシンが天下の大将軍を目指すのも、
ナルトが火影を目指すのも、誰もお願いしちゃいない。
そして、目指す目標が高すぎて、現実との実力が見合っていないから何をするにも険しい道しか残っていない。しかも、その夢を叶えろとお願いされてもいない。
でも、彼らには夢があるから、夢に向かって動き出すから、夢を発するから『仲間』がどんどん増えていく。
それは、誰かが何かを始めないと出会うことのなかった仲間である。
何かを始めると言うのは、元々この世界になかったものを、この世に誕生させる。
僕が店長をやるって言わなかったら、出会わなかった人達。
僕が店長をやるって言ったから、手伝ってくれた仲間達。
こうして、別の道に行くかもしれなかったしれない人達を『挑戦』がどんどん巻き込んでいく。
何か新しいことを始めると言うのは同時に誰かの人生を変えることを意味する。
もしかすると、その行動が誰かの人生のターニングポイントになるかもしれない。その行動があったから幸せになる人がいるかもしれない。
たった小さな1歩が大きなきっかけになるのかもしれない。
それは巡り巡って自分に帰ってくる。小さいな1歩が大きな幸せになって。
だから、行動しよう、生きているうちに。
行動できる体があるうちに。
言霊としてやりたいことを発せられる口があるうちに。
今日、行動できれば、明日は昨日とは違った1日になるに決まってる、なんてね。