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呉座勇一は北村紗衣によってキャンセルされたのか?〜キャンセルカルチャーと山内翔太と御田寺圭と小山晃弘とBlah〜

呉座勇一氏のオープンレター問題再炎上: お粗末なこの問題、悪しきキャンセルカルチャーを許すな
 呉座勇一氏に対する「オープンレター」に関して、署名した記憶がない人たちが、署名に名前を書かれていたということが明らかになりました。さらに、北村紗衣氏から「オープンレター」の経緯を批判する人たちの「職場」へ、内容証明郵便が送られていたことも分かりました。

https://agora-web.jp/archives/2054771.html

 上記の文章によると、呉座勇一は北村紗衣によってキャンセルされたように見える。また、山内翔太と御田寺圭と小山晃弘とBlahの傀儡はキャンセルカルチャーを匂わせているように見える。けれども、俺はこの種の傀儡と異なる認識を持っている。

以下では、俺は呉座勇一と北村紗衣との諍いに関する俺の認識を提示する。さらに、俺はキャンセルカルチャーに関する大和民族の未開的な性質を提示するつもりである。

画像:https://unsplash.com/photos/dbpLrMALyiM

1章 俺の認識

 以下では、俺は呉座勇一と北村紗衣との諍いに関する俺の認識を提示するつもりである。

・俺の認識

 俺の認識 俺は呉座勇一と北村紗衣との諍いは大学に所属する単なる教員同士の口喧嘩と認識する。

 俺は呉座勇一と北村紗衣との諍いは大学に所属する単なる教員同士の口喧嘩と認識する。呉座勇一の発言は単なる幼稚な発言であり、その後の炎上はよくある社会的な現象である。また、俺は呉座勇一の解雇?はキャンセルカルチャーでなく、東洋文明における単なる労働問題であると認識する。

つまり、俺は呉座勇一と北村紗衣との諍いもその後の呉座勇一の解雇?も西洋文明におけるキャンセルカルチャーと認識しない。さらに、俺は北村紗衣?によるオープンレターも西洋文明におけるキャンセルカルチャーと認識しない。結論から言って、彼らの諍いは学術社会におけるよくある喧嘩である。

つまり、俺は呉座勇一は北村紗衣によってキャンセルされたと結論づけない。呉座勇一と北村紗衣との諍いの結果、その諍いが呉座勇一の雇用問題に発展して、大ごとになった。俺はこのように認識する。

2章 大和民族の未開的な性質

 以下では、俺は大和民族の未開的な性質について述べるつもりである。

・未開的な性質

 俺の認識 大和民族の一部は今回の争いを北村紗衣による呉座勇一のキャンセルと嘘をつき、日本にもキャンセルカルチャーが到来したと騒ぎ立てたい。

 大和民族の一部は今回の争いを北村紗衣による呉座勇一のキャンセルと嘘をつき、日本にもキャンセルカルチャーが到来したと騒ぎ立てたい。言い換えると、この種の大和民族は呉座勇一の解雇?が単なる喧嘩やその後の雇用問題でなく、北村紗衣によるキャンセルカルチャーの結果であってほしいと望んでいる。

だからこそ、この種の大和民族は呉座勇一がキャンセルされたぞと不必要に喚き立てる。そして、彼らは彼ら自身が注目を浴びようとする。または、彼らは「ほらみろっ、俺の言った通りやん」と予言を的中させた預言者を気取ろうとする。

この種の大和民族はキャンセルカルチャーに反対しているのか、西洋文明におけるキャンセルカルチャーを日本国に持ち込みたいのかが不明であるように見える。彼らはキャンセルカルチャーに反対するふりをしながら、日本国における問題を何でもかんでもキャンセルカルチャーの結果にしたいように見える。

さらに悪いことに、彼らは呉座勇一がキャンセルされたことを喜んでいるようにすら見える。彼らは彼ら自身の予言や警告を実現させるために、彼ら自身でキャンセルカルチャーを無理やり作っている。彼らの予言や警告を実現させるためには、呉座勇一がキャンセルされたとする必要がある。しかし、それは彼らの単なる願望であり、嘘である。

3章 キャンセルカルチャーと御田寺圭の悪質性と応答義務

 以下では、俺は御田寺圭の悪質性と応答義務について述べるつもりである。類似した応答義務は御田寺圭だけでなく、もし次の人々が作家や学者としてやっていくつもりであるならば、山内翔太と小山晃弘とBlahにもある。

・TBSとオウム真理教

 俺の認識 御田寺圭がやってることはTBSがオウム真理教を笑いに変えたり、囃し立てたりしたことに似ている。

 御田寺圭がやってることはTBSがオウム真理教を笑いに変えたり、囃し立てたりすることに似ている。例えば、何か殺人事件が発生すると、ある種のTV局が「彼はポアされた〜、キャンセルされた〜」と不必要に騒ぐ。その結果、オウム真理教が日本社会の中で本格的に台頭して、サリン事件のような事件を起こしてしまう。

御田寺圭がやってることはこの種の行為に等しい。御田寺圭は単なる口喧嘩や雇用問題をキャンセルカルチャーだ〜といって不必要に騒ぐ。彼らの行為は単なる殺人行為をポアだ〜と言って、オウム真理教を大衆に広める行為に等しい。

そのうち、御田寺圭はポアだと言うために、キャンセルだと言うために、人間が本当にポアされたり、本当にキャンセルされたりすることを望むようになる。そして、彼はポアやキャンセルの発生を喜ぶようになる。なぜなら、御田寺圭は自己の警告や予言を実際に実現することができる。

今回の件では、御田寺圭は呉座勇一が殺された坂本弁護士に見立てて、北村紗衣にポアされたことにしたい。また、御田寺圭は北村紗衣が麻原彰晃に見立てて、呉座勇一を麻原のようにポアしたことにしたい。そして、彼は日本にもオウム真理教が到来したことにしたい。言い換えると、御田寺圭は呉座勇一に死んでほしい。御田寺圭は北村紗衣が殺人犯であってほしい。

TBSも同じ心理を持っていただろう。彼らは弁護士はポアされることを内心望んでいたはずである。彼らは弁護士が殺されることを勘付いていたはずである。なぜなら、その時、その事件はネタになると確信した。彼らは弁護士が殺されるだろうと言う予言や警告を実現することができた。

上記の呟きが典型的であるが、御田寺圭はわいずがポア(キャンセル)されてほしいように見える。たとえわいずがポアされるとしても、彼はわいずを助けずに、彼はそのポアをTBSのように「ネタ」として消費するように見える。

・認識的な嘘

 俺の認識 御田寺圭は認識的な嘘を繰り返している。

 御田寺圭は認識的な嘘を繰り返している。認識的な嘘とは、キャンセルカルチャーでないものをキャンセルにすることである。下記を見てみよう。

俺が上記を見た後、俺は御田寺圭はキャンセルカルチャーが日本にも到来したことにしたいように見える。彼の発言は俺の認識では単なる嘘である。彼は「本邦でも猛威を降り始めた「キャンセル・カルチャー」」と言っているが、俺はそのカルチャーは日本では猛威を振るっていないと認識する。俺の認識は彼の認識に一致しない。

御田寺圭は自己の文を売却したり、自己の警告や予言を実現するために、彼はキャンセル・カルチャーが日本でも猛威を振るっていることにしたいように見える。上記の発言は御田寺圭の完全なるマッチ・ポンプであり、大衆報道(マスメディア)がよく使用する方法である。

TBSは民の味方を気取りながら、オウムを持ち上げて、サリン事件が発生すると、彼らは他人事のように、オウム真理教が日本でも猛威を振るっていることにした。しかし、TBSはオウム真理教の共犯者である。同様に、御田寺圭は、読者の味方を気取りながら、キャンセルカルチャーを日本国へと導入しようとする。

・幽霊話法

 俺の認識 御田寺圭はキャンセルカルチャーを不必要に恐ろしいものと煽って、民の不安や恐れを悪用する。

 今回の件では、御田寺圭は「呉座勇一が解雇された!やべーぞっ!日本にもキャンセルカルチャーがー」と不必要に煽っているように見える。この種の話法は同和にも応用されていて、同和でない関西人が「同和はやべーんだぞっ!八鹿高校事件を知っているのか!」と言ってくるような行為である。

言い換えると、御田寺圭は同和やキャンセルカルチャーを一種の恐ろしい幽霊に見立てて、幽霊に対する民の恐れや不安につけ込み、民の恐れを悪用して、民を支配しているように見える。彼はまるで「言うこと聞かないと、幽霊が裕太君を誘拐しにくるぞ」と子供に言って、子供という読者に言うことを聞かせようとしている。

御田寺圭はキャンセルカルチャーという恐ろしい幽霊のイタコであり、同時にその恐ろしい幽霊に内密に通じた事情通でもある。未開の平民はそのイタコの幽霊に関する恐ろしい話を聞いて、「きゃー」っと子供のように恐れている。

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