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なぜ大学や学問は不要に感じるか?〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜

 以下では、筆者はなぜ大学や学問は不要に感じるかを提示するだろう。

画像:https://unsplash.com/ja/写真/PoE6Q48B-5k

1.0 背景

1.1(儒教系統の認識)
大和民族は大学や学問を無駄と感じてきた。

大和民族は大学や学問を無駄と感じてきた。正確には、大和民族は大学や学問を無駄と金銭的にも時間的にも感じてきた。実際、彼らは大学での勉強を仕方なくしてきた。そして、彼らは学問それ自体に興味を持っておらず、彼らはその先の就職のみに興味を持っている。

ただし、医学部のような職業的な学部は除く。また、高専のような組織も除く

2.0 理由

2.1(儒教系統の認識)
大学は労働にも社会形成にも無関係である。

大学は労働にも社会形成にも無関係である。つまり、たとえ学生が大学に行くとしても、彼らは富の蓄積を含む自己の富の規範も法律も自己の性規範も、契約の概念も統治の概念も指揮系統の形成も何も学べない。なぜなら、学者自体がこれらを持っていない。

そのため、学生は大学を出て、富の取り扱いや契約の概念、そして商業や交渉を学ぶ。日本国の大学は社会から隔離されていて、無法地帯になっている。27歳まで、この種の世界に住んでいたならば、まともな労働者も使い物にならなくなり、みな腐るだろう。

また、学者は議論すらできない。彼らは彼らのくだらない話を他人に聞いてもらって、おだててもらわないと、彼らは議論できない。お笑い芸人の方が議論がうまい。

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