約1,300日続けたnoteを閉鎖すること が脳裏をよぎる。
今日で791日の連続投稿。その前も1日空けて500日くらい連続投稿していたので、ほぼほぼ1300日(3年半)くらい毎日noteを更新し続けてきたことになる。
何気なく初めたnote生活、よくもまぁこんなに続けられたものだと、改めてnoteの世界のゆるやかな心地よさに感謝申し上げたい。
noteコミュニティの皆様、note運営チームの皆様、ありがとうございます。
noteを始めた当初は、前の仕事を辞めて数か月というタイミングで「さて、これからどうしたもんか」と模索しているところだった。
そういった状況だったから、noteもどちらかというと、自分の模索の過程を記していたり、脳内の情報を整理するための投稿的なものが多かった気がする。
そこから数か月経過して、フリーランスのキャリアコンサルタントとして開業することを選んだ私は、キャリアに関する云々を中心に投稿することを意識し始めた。キャリアプランのことだったり、前職で経験していた人事や採用のことだったり。
もちろん、毎日毎日ネタが豊富にあったわけではないので、特にキャリアとは何の関係もない呟き的な投稿もあったし、ひどいときいは「今日はnoteお休みです~」的な一言だけの投稿の日もあった。
仕事面での変化だけではなく、私生活にも大きな変化があった。noteを書き始めた当初は、結婚して間もないようなタイミングだったのだが、そこからコロナ禍を経て、オリンピックが何度かあって、大きな自然災害や、世界では戦争があったけれども、それ以上に私の人生に直接的に大きな変化をもたらしたのは、息子の誕生である。価値基準や行動基準が根底からひっくり返ったような感覚である。
そんなこんなで、noteを書き始めてから3年が経過して、現在は4年目の真ん中くらい。
文章の内容の良し悪しや、文章力みたいなものはさておき「継続的に毎日書く」という行為自体にはすっかり慣れて、何のストレスもないし、時間もさほどかからなくなった。
が、一方で「書く」ということの楽しさが感じられにくくなったような気もしている。いつからか、読み手のことを意識しなくなり、ただ思ったことをつらつらと書くようになったのがいいのか悪いのか、PV数やスキの数も全く気にならなくなった。(数字が伸びなくなったから、気にしなくなったのかが正しいのかもしれない)
或いは、今さらながら「いいこと書かなきゃ」的な見栄っ張り精神と、「自然体で書こう」という頑張らないでいいよ精神がせめぎあって、どう書くのがいいのか、すっかり迷子になってしまったのかもしれない。
そんなこんなでnoteを更新する意味が見出せなくなってきた今日。
脳裏に「note止めてみるか」という言葉がよぎる。
別に私がnoteを続けていようと、続けまいと、世間へのインパクトなど無いに等しい。すべては自分だけのことである。
ただ、約800日連続投稿してきて、自称ではあるけれど、日本一長くnoteを連続投稿をしているキャリアコンサルタントという肩書を放り投げてしまうのも、なんだか惜しい気がする。完全にサンクコストを手放すことが出来ないでいる典型である。
そんなことを思いながら、今日もnoteを更新している。
明日は、、、また更新してしまうのかな。
習慣と言うのは、思考以上に自分への影響が大きいものなのかもしれない。