心の憤りを消す方法
瞋恚(しんい)
仏教用語で瞋恚(しんい)という言葉。
いきどおり。
仏教用語で瞋恚(しんい)
という言葉があります。
この、憤り<瞋恚・自分の心に対して逆らうものを怒り憎むこと>に
苦しむ人は多いと思います。
何故ならばそれは、やってはダメだと躾けられるからです。
算命学<陰陽五行論・帝王学>では、やってはならないことは無いと説きますが、そうはいっても苦しいものは苦しいのでその<瞋恚>の消化方法についてお伝え聞いたことを記しますね。
例えば、子どもが成長して行く過程で、小さなストレスを持ったとします。その小さなストレスがだんだんと溜まっていき、その子の器の量を越えた瞬間、心が非常に傷つく状態になります。アレルギーのような感じですね。
その子どもが、小さな時に父親が何らかの理由で居なくなってしまったと仮定しましょう。
そうすると学校に行って「お前は、父親がいないじゃん」とイジメられたとします。
それに対して「だから何だ」と表面上は負けていなくても、
心の中では「うちはお父さんがいないんだよな…」と、
何となく寂しいストレスのようなものがあらわれていきます。
またあるとき学校の先生が、「あ、君の家は母子家庭か」と言ったと仮定します。
言った先生のほうは別に悪意があるわけでもなかったのですが、
前にたまったストレスがあるので、この子の心にはグサッと刺さります。
その後成長した子どもは青年となり、
就職での面接の時、
あるいは結婚をするときの両親の紹介など、
あらゆる面で肩身の(無意識にでも)狭い思いをしたとします。
それら一つ一つのことは実に些細なことですが、
薄っぺらな紙が積み重なって一冊の厚い本になるように、
あるところで心が大きく傷ついてしまうのです。
その時、心の中には【瞋恚・しんい】と呼ばれる状態が出来上がっているのです。
これは心の中における毒とも言うべきものですが、
この瞋恚が心の中にあると、その人の判断・決断は全て怒りの観点から出発します。
→〈感情が安定しない時の改善方法〉参照
この瞋恚の恐ろしさは、心の中にそれを持っている人がそれと気づかないところにあります。
例えばそれは過去を振り返ってみて悔しかったことを思い出し、
大人になってから「人並み以上のお金持ちになってみせる」となるのです。
しかし、普通の人が夢として「お金持ちになりたい」と思うのとは違って、
瞋恚の人は「負けたくないから」という気持ちで出発するわけで、
その目標設定の根源は、怒りが発端となっているわけです。
瞋恚とは怒りのエネルギー
瞋恚は〈怒りという名のエネルギー〉と言い換えることもできますが、
普通の人より「負けたくない」という思いが強いので
それはかなり誇大なエネルギーとなります。
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