テンソルとテンソル積(前半)
物理に現れるテンソルから、抽象代数学に現れる加群のテンソル積までの準論理的(歴史的ではない)つながりについて、私の個人的な経験も交えて書いてみようと思う。これは私小説的解説記事である。
成分がテンソル
私は昭和62年(1987年)に京大理学部に入学した。当時の京大理学部は極めて自由な学風で、教養部に属する1・2回生(注:関西の大学では学年を〇年生ではなく〇回生と数える)のときはもちろんのこと、専門課程に進む3回生以上になっても、自由な時間はたくさんある。ことに教養課程では語学や体育などある程度の出席が必要な科目はあったものの、それ以外はまったく出席を必要としないのに単位には困らないという状況だった(不思議なことに、それでも留年生はとても多かった。私も人のことは言えない)。
1回生のときは授業にはほとんど顔を出さず、もっぱら進々堂に長居して一般相対性理論の勉強とメルロー=ポンティを読むことに(サークル活動のために大量消費された時間を除いては)費やした。前者の一般相対性理論の独学に用いた本は、今手元にはないので残念ながら書誌情報を特定できないが、訳本で数式だらけの分厚い専門書だった。私の当時の数学の素養は、この本を読むには少々おぼつかないものだったことは確かで、今考えるとあまり中味をよく理解していなかったと思われる。それでも頑張って読み終えた(と記憶している)。
この本の独習の中で、私は初めて本格的に「テンソル」に出会った。当時の私の理解では、テンソル(場)とは単に「いくつかの添え字が上下に並んだ関数」に過ぎなかった。例えば、普通のベクトル(接ベクトル)は「$${v^i}$$」のように、上にひとつの添え字がついているベクトル(反変ベクトル)であり、それは反変一価のテンソルだ。また、1次変換(我々の世代は高校で1次変換を習っていた)とは、$${w^i=a^i_jv^j}$$という式のことである。ここでは右辺で$${j}$$という添字が上下に重なっているので、それに関して和が取られる(アインシュタインの略記法)。$${a^i_j}$$は1次変換を表す行列の成分だが、これは反変1価共変1価のテンソルということになる。一般に反変$${p}$$価共変$${q}$$価のテンソルは、そういうわけで
$${\hspace{5em}T^{i_1i_2\cdots i_p}_{j_1j_2\cdots j_q}}$$
という感じのものになる。
基本的にはこんな感じの理解でテンソル計算を延々と行うと、いろいろな結果が計算できる。私はこの計算が結構好きだった。しかし、もちろんテンソルに関する私の上のような認識は不完全だ。というのも、じきにクリストフェル記号$${\Gamma^i_{jk}}$$なるものが現れて、その見かけにもかかわらず、それは「テンソルではない」ということになるからだ。
じゃ、テンソルってなに?ということなる。大学初年度の初学者であり、数学における定義の重要性を、まだあまり認識できていない頃だった。本を読み返してみると、テンソルとは座標変換$${x\mapsto\overline{x}}$$に関して
$${\hspace{5em}{\displaystyle \overline{T}{}^{\overline{i}_1\cdots\overline{i}_p}_{\overline{j}_1\cdots\overline{j}_q}=\frac{\partial\overline{x}{}^{\overline{i}_1}}{\partial x^{i_1}}\cdots\frac{\partial\overline{x}{}^{\overline{i}_p}}{\partial x^{i_p}}\frac{\partial x^{j_1}}{\partial\overline{x}^{\overline{j}_1}}\cdots\frac{\partial x{}^{j_q}}{\partial \overline{x}{}^{\overline{j}_q}}T^{i_1\cdots i_p}_{j_1\cdots j_q}}}$$
(注:右辺は上下に重なっている添字に関して和をとっている。つまり$${p+q}$$個の和の記号$${\sum}$$が省略されている)、あるいは同じことではあるが
$${\hspace{5em}{\displaystyle \overline{T}{}^{\overline{i}_1\cdots\overline{i}_p}_{\overline{j}_1\cdots\overline{j}_q}\frac{\partial\overline{x}{}^{\overline{j}_1}}{\partial x^{j_1}}\cdots\frac{\partial\overline{x}{}^{\overline{j}_q}}{\partial x^{j_q}}=\frac{\partial\overline{x}{}^{\overline{i}_1}}{\partial x^{i_1}}\cdots\frac{\partial\overline{x}{}^{\overline{i}_p}}{\partial x^{i_p}}T^{i_1\cdots i_p}_{j_1\cdots j_q}}}$$
という変換を受けるもの、ということになっている。多様体論を知らないころでもあるし、今から見れば座標変換に関する振る舞いが果たす意義はあまりわかっていなかった。そういうわけでもあり、これが「定義」だということが、あまりピンと来なかった。「変換がすべてであり、それがモノを決める」というような抽象思考は、当時の私には少々高級すぎたのである。
座標がテンソル
というわけで、私の「一般相対性理論」の理解は、甚だ頼りないものであった。そのころの勉強が後々目に見えて役立つことはなかったが、それなりにリーマン幾何学の理解のために役立ったことは多少はあったし、また、テンソル計算にはかなり慣れた。数学科に進んで多様体概念を勉強するころには、昔の勉強がよみがって「あー、あれはそういうことだったのか!」ということもしばしばあった。そういう意味では、それなりに勉強の効果はあったのだろうと思う。
一般相対論の勉強を進めていた理由は、私がそのころ理論物理を志望していたからであったが、当時はバイオテクノロジーなどと言われ、生物学が脚光を浴びていた時期でもあった。2回生のときのガイダンスでも「諸君の多くは湯川・朝永に憧れて理論物理に進みたいと思っているだろう。しかし、その多くは途中でドロップアウトしてしまう。その一方で、本学では分子生物学や生物化学系の優れた教員が多いので、そちらの系に進みたいと思って京大を志望した人は正しい判断だったと思う」というようなこと(一部記憶が曖昧)を話していた。
というわけで、世情は「これからは生物学だ」というもので、それに乗せられて多くの人が生物学を志望した。それは結果としてよかった側面も多かったが、私個人にはあまりいい効果をもたらさなかった。当初は分子生物学の本なども勉強始めてみたが、あまり興味が乗らなかったし、実験では必ず解剖があり、それがどうにも好きになれなかった。なので間もなく勉学に身が入らないようになり、専攻替えを考えるようになった。これ以後の経緯はwikipediaにある通りなので、そちらをみて頂くことにして、数学を専攻するようになってから以後の話に移ろう。
多様体論を勉強すると、状況はかなりクリアになる。反変$${p}$$価共変$${q}$$価のテンソル(テンソル場)とは
$${\hspace{5em}\overbrace{TM\otimes\cdots\otimes TM}^{p}\otimes\overbrace{ T^{\ast}M\otimes\cdots\otimes T^{\ast}M}^{q}}$$
(接バンドル$${p}$$個及び余接バンドル$${q}$$個のテンソル積)の切断である。
多様体論や一般相対論で(私にとっては)始めて登場したテンソルは、テンソル場ではない素の線形代数的な概念としては、以下のようになる。$${V}$$を$${n}$$次元ベクトル空間とする。$${\bm{x}_i}$$($${i=1,\ldots,n}$$)をその基底とすれば、$${V}$$の各要素は$${v^i\bm{x}_i}$$の形だ(すでにアインシュタイン記法が使われていることに注意)。$${x\mapsto\overline{x}}$$を基底変換とする、つまり$${\bm{x}_i=p^{\overline{i}}_i\overline{\bm{x}}{}_{\overline{i}}}$$とするなら、$${\overline{v}{}^{\overline{i}}\overline{\bm{x}}{}_{\overline{i}}=v^i\bm{x}_i}$$は
$${\hspace{5em}\overline{v}{}^{\overline{i}}=p^{\overline{i}}_iv^i}$$
を導く。つまり、ベクトルの「座標」$${v^i}$$は反変1価のテンソルになっているということだ。
$${V^{\ast}}$$を$${V}$$の双対とすると、これは$${\bm{x}^j\bm{x}_i=\delta^j_i}$$(Kroneckerのデルタ)によって定義される双対基底$${\bm{x}^j}$$をもつ。$${V^{\ast}}$$の任意の要素は$${v_j\bm{x}^j}$$の形である。基底変換$${\bm{x}_i=p^{\overline{i}}_i\overline{\bm{x}}{}_{\overline{i}}}$$が引き起こす$${v_j\bm{x}^j=\overline{v}_{\overline{j}}\overline{\bm{x}}{}^{\overline{j}}}$$の変換を計算しよう。前者を後者にぶつけると$${v_j\delta^j_i=\overline{v}_{\overline{j}}p^{\overline{i}}_i\delta^{\overline{j}}_{\overline{i}}}$$となり
$${\hspace{5em}v_i=\overline{v}_{\overline{i}}p^{\overline{i}}_i}$$
がわかる。これは双対空間の「座標」$${v_i}$$が共変1価のテンソルになっていることを示している。
反変$${k}$$価共変$${l}$$価のテンソル$${T^{i_1i_2\cdots i_k}_{j_1j_2\cdots j_l}}$$は、したがって、基底変換$${\bm{x}_i=p^{\overline{i}}_i\overline{\bm{x}}{}_{\overline{i}}}$$に対して
$${\hspace{5em}\overline{T}{}^{\overline{i}_1\cdots\overline{i}_k}_{\overline{j}_1\cdots \overline{j}_l}p^{\overline{j}_1}_{j_1}\cdots p^{\overline{j}_l}_{j_l}=p^{\overline{i_1}}_{i_1}\cdots p^{\overline{i_k}}_{i_k}T^{i_1\cdots i_k}_{j_1\cdots j_l}}$$
という変換を受けるべきだということになる。例えば、反変1価共変1価のテンソル$${a^i_j}$$は
$${\hspace{5em}\overline{a}^{\overline{i}}_{\overline{j}}p^{\overline{j}}_j=p^{\overline{i}}_ia^i_j}$$
という変換を受けることになるが、これは$${a^i_j}$$を行列$${A=\{a^i_j\}}$$(反変ベクトルを列ベクトルとする慣習にしたがって、上の添字を行番号とする)と解釈したときの基底変換の公式$${\overline{A}P=PA}$$すなわち$${\overline{A}=PAP^{-1}}$$(ただし、$${P=\{p^i_j\}}$$)に他ならない。
テンソルの空間
このような変換を受けるべきものの本体を理解しようとするなら、以下のように考えるのが自然だろう。反変ベクトル$${v^i}$$とは、ベクトル$${v^i\bm{x}_i}$$(再び、アインシュタイン記法に注意)を、その成分だけで表示したものであり、共変ベクトル$${v_j}$$とは、ベクトル$${v_j\bm{x}^j}$$を、その成分で代表させたものである。となれば、テンソル$${T^{i_1i_2\cdots i_k}_{j_1j_2\cdots j_l}}$$も、何らかのベクトルの成分とみなされるべきだろう。そのベクトルの基底を$${\bm{x}^{j_1j_2\cdots j_l}_{i_1i_2\cdots i_k}}$$とするなら、それは基底変換$${\bm{x}_i=p^{\overline{i}}_i\overline{\bm{x}}{}_{\overline{i}}}$$に対して
$${\hspace{5em}p^{\overline{j}_1}_{j_1}\cdots p^{\overline{j}_l}_{j_l}\bm{x}^{j_1\cdots j_l}_{i_1\cdots i_k}=\overline{\bm{x}}{}^{\overline{j}_1\cdots \overline{j}_l}_{\overline{i}_1\cdots\overline{i}_k}p^{\overline{i}_1}_{i_1}\cdots p^{\overline{i}_k}_{i_k}}$$
という基底変換を引き起こすものになっていなければならない。すなわち、それは反変ベクトルが受ける変換$${k}$$個と共変ベクトルが受ける変換$${l}$$個の積の形になっている。
ここでちょっと発想の飛躍が必要になる。すなわち「あるモノが受ける変換がもとのモノの変換の積であるならば、そのモノもそれらのモノの(一種の)積で表現するべき」だということ、つまり「変換が積ならその変換を受けるモノも一種の積だ」という発想である。変換はモノを決めるのだ。今の場合、$${\bm{x}^{j_1j_2\cdots j_l}_{i_1i_2\cdots i_k}}$$は
$${\hspace{5em}\bm{x}_{i_1}\otimes\cdots\otimes\bm{x}_{i_k}\otimes\bm{x}^{j_1}\otimes\cdots\otimes\bm{x}^{j_l}}$$
とでもかける形式的な積だと考えるのが自然だということになる。この「かけ算$${\otimes}$$」は、普通のかけ算の拡張になっているべきだろう。つまり、スカラーに対しては普通の積として振る舞う。そう思えば、基底変換$${\bm{x}_i=p^{\overline{i}}_i\overline{\bm{x}}{}_{\overline{i}}}$$(その双対は$${\overline{\bm{x}}{}^{\overline{j}}=p^{\overline{j}}_j\bm{x}^j}$$であった)を単に「代入」することで、上の変換と同じ式
$${\hspace{5em}p^{\overline{j}_1}_{j_1}\cdots p^{\overline{j}_l}_{j_l}\bm{x}_{i_1}\otimes\cdots\otimes\bm{x}_{i_k}\otimes\bm{x}^{j_1}\otimes\cdots\otimes\bm{x}^{j_l}}$$
$${\hspace{8em}=\bm{x}_{i_1}\otimes\cdots\otimes\bm{x}_{i_k}\otimes\bm{x}^{j_1}\otimes\cdots\otimes\bm{x}^{j_l}p^{\overline{i}_1}_{i_1}\cdots p^{\overline{i}_k}_{i_k}}$$
が得られる。そして、この形の形式的な議論をする限り、その変換の形がすべてであり、変換の形がそのモノを決める。つまり、反変$${k}$$価共変$${l}$$価のテンソル全体の空間とは、$${\bm{x}_{i_1}\otimes\cdots\otimes\bm{x}_{i_k}\otimes\bm{x}^{j_1}\otimes\cdots\otimes\bm{x}^{j_l}}$$の形の形式的なベクトルが基底をなす$${n^{k+l}}$$次元の線型空間である。
(後半に続く)
ここから先は
加藤文元の「数学する精神」
このマガジンのタイトルにある「数学する精神」は2007年に私が書いた中公新書のタイトルです。その由来は、マガジン内の記事「このマガジンの名…
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