光の点が見えた。
離婚するけれど、それは肩書的なもの。
おだやかな話し合いは、あきらかな修復の一歩だと感じた。
1年半前、離婚してほしいと告げられたころは、ヒステリックに声を荒げあい、目も合わせず、ただ、
お互いに感情を言い放つだけだった。
対面するだけで 荒ぶる感情を、なんとかなだめようとしなければ、会話などできなかった。
それも、ぎりぎり最低限の会話。
激しく対立したまま、お互い理解されない、愛憎の感情。
家族みんなが抱いていた。
あのまま離婚していたら、そのときの姿そのものが、相手との最後のイメージとなり、それを抱え、その後の人生を進むことになる。
俺の、わたしの、結婚生活の最後は最悪だった。
それは、俺の、わたしの、結婚生活は最悪だった、失敗だ、になっただろう。
そこで終わるのだ。
何もしないでいたらそうなる。
でも今、かつて普通にあったふたりの姿をかいま見ることができた。
何気ない会話のやりとり、やわらいだ態度。
頭にずっと残る、思い出の中のふたりのイメージは、塗り替えられていくだろう。
離婚する、それしか方法が無いと、自分が諦めていることにも気づかずに、納得できない気持ちを抱きながら、離婚届に判を押していたら、こうはなっていない。
離婚するという未来の上にある、今のおだやかさ。
これをいっときにせず、つなげていきたい。
その未来を見ている。
暗雲しかなかったけど、その先の光を信じてやってきた。
進むから、その先に行けるのだ。
ふたりが恋をして結婚を決意し、子供を授かり、育ててきたという年月は、ないものにはできない。
離婚しても、夫婦であった、家族であった事実は、あるのだ。
子はかすがい。
離婚しても、子供にとってふたりは、父であり、母である。親であるのだ。
そのつながりが、なくなることはない。
だから焦らずに、またそれぞれの意思で近づけるように、努力したらいいだけだ。
無理にヒモでしばって、つないではいけない。
そんな権利は誰にもないし、そんなの本当に求めているものではないはずだ。