気づいていないだけで、わたしもあなたも多文化共生の一部なのかもしれない
みなさんはじめまして、さぶりなです。
NPOカタリバ Rootsプロジェクト(外国ルーツの高校生支援)で約1年間、活動してきました。
唐突ではありますが、
みなさんは多文化共生についてどのようなイメージをもっていますか?
多文化が共生していくとは。実現している未来はどんな景色なのか。
今日は同じRootsプロジェクトのメンバーとともに、普段活動する中でのモヤモヤも含めてざっくばらんに話してみたいと思い、この対談を企画しました。
記事を読んでくださっているみなさんとも、記事越しではありますが、ともに考えていけたら嬉しいです。
総務省では「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」と多文化共生を定義しているけれど、それってどうすればできるの…?私たちはどういう行動をすればいいの…?
あの人はこう言ってるけど、この人は違うことを言っているなんてこともある。多文化共生について持っているイメージ、みえている景色は人によって違うのかもしれない。今日はそんな問いからスタートします。
登場人物は、さぶりな、しんや、ゆうかの3人です。
私たちのプロフィール
木村さおりサブリナバルトロ
ペルー生まれで、ペルーとブラジルで幼少期を過ごす。5カ国(日本、ペルー、ブラジル、イタリア、ポルトガル)にルーツはあるけど、ペルーとブラジルと日本でしか生活をしてこなかったので、あまり自分の中で5カ国にルーツがあるとか意識してこなかった。今はカタリバのRootsプロジェクトで高校生と関わったり、多文化共生に関わる活動をしている。
渡邉慎也
韓国と日本のルーツを持っている。韓国で生まれて、2歳の時に香港に移って、高校までを香港で過ごしました。日本人幼稚園と日本人小学校で、中学校1年生の途中でイギリス系のインターナショナルスクールに転校。高校卒業後、大学はアメリカで勉強したり、香港で仕事したり、アメリカでも少し仕事したり、大学院もアメリカで行き、3年ほど前から日本で暮らしている。
大杉悠歌
大学3年生。私は両親も日本人で東京で生まれ育ったので、自分のルーツは日本。十歳のときに親友が海外に引っ越した経験から、初めて外国を身近に感じた。日本語ができなくて困っている友達がいて何とかしたいと思い、大学では日本語教員養成課程で、日本語の先生になる勉強をしている。最近Rootsプロジェクトに関わりはじめたばかり。
「多文化共生」と私のつながり
さぶりな:
これまで私は、学校現場や生徒たちと接しながら多文化共生について色々なことを考えてきました。はじめに、皆さんが多文化共生を認識したり意識し始めた時のこと、多文化共生と自分のつながりについてききたいです。
しんや:
香港で日本人学校に通っていた時、自分は英語をしゃべることができたんですよね。英会話のクラスでイギリス系の先生と結構会話が取れる生徒だったので、そこで自分は先生と周りをつないでるなぁと感じた思い出があります。自身が持つ文化を意識し始めたのは中学1年でインター校に転校した時に、「あなたは何人ですか」とか「何で英語喋れるの」みたいな質問だったり、日本語喋ってとか日本のこと教えてとか言われたり、俺は何でこんなに日本のこと知らなきゃいけないのかってすごい考えたのは覚えています。関わりはじめたきっかけは、そういう言葉が思い出としてあるかなって思いました 。
ゆうか:
私は10歳の時に親戚が中国の方と結婚して、初めて親戚に外国籍の方が入って、ちょっと日本語が通じないみたいな経験があり、|自分自身《じぶんじしん》は日本人だけど割と身近に外国籍の人っているんだなっていう感覚を初めて持ちました。
その親戚が中国の方と結婚した時に、親戚の中には結婚に対して反対派もいて、中国にあまり良い印象がなかったり、文化とか違ったら通じないところもあるんじゃないみたいな感じで反対する人がいました。実際、私が大好きな祖母が意外と否定的だったのがショックで、でも私はまだ幼くて、そういう文化の違いによる衝突とか全く想像つかなかったから、別にいいじゃんってグイグイ肯定派でいました。
今思えば多文化共生の反対派と賛成派の仲介役みたいなポジションに自分がいたのかなって思うし、それがきっかけになったのかもしれないです。
さぶりな:
私は多文化共生に関わろうと思って関わったというよりも、|自然《しぜん》と自分のルーツとか生き方を考えていたら、多文化共生という言葉に出会い、色々な活動をし始めていたという感じです。あと大学2年生の時に多文化共生という授業があって、友達に勧められて履修して初めて自分以外にもアイデンティティやルーツなどで悩む人たちがいるということを知りました。それまでは自分と自分の周りだけの悩みだと思っていました。
活動を続けている理由
さぶりな:
私としんやさんは教育や多文化共生に長く関わってきたけど、ゆうかさんは最近Rootsプロジェクトメンバーになったばかりなんですよね。次に皆さんがこの活動を続けている理由やモチベーション、ゆうかさんはこの分野に関わろうと思った理由を教えてほしいです。
しんや:
2つ思いつくものがあって、1つは文化によって自分を探すことができたっていうのが大きいなと思っています。いろんな国で過ごしていると、そこの文化とか歴史、考え方が体に染みつくというか。僕はアメリカではこういう考え方や感じ方、思想があるっていうことが自分の中にあるなと感じていて、日本に来ると日本の文化を吸収しているという感覚もあります。いろんな違った文化の表現方法を知ることによって、自分自身のありたい姿っていうのが提示出来てると思う。それを他の人にも共有できるといいなとはすごく感じます。
それが2つ目にも繋がってるのですが、生徒と対話したり一緒に活動していく中で、彼/彼女たちがちょっと嬉しそうに自分の文化であったり、自分の何かを声に出して共有するというのが、僕にとっても大事にしていることだと思ってるし、それを引き出すことがモチベーションのひとつになっています。
ゆうか:
私は日本語教員を目指していて、前までは海外に自分の活動の場はあるのかなと思っていたんですけど、いろんな実情を知ったら日本の中で活動していくことの意義も大きいなと思うようになりました。
多文化共生ってどうしてもマジョリティとマイノリティという構図は抜けられないと思うんですね。だからマイノリティということに対して、多少はマジョリティに合わせなきゃいけない部分もあると思います。日本で生きていくんだったら日本語を喋る必要があるし、日本で暮らしていく中では日本語が話せれば有利だと思う。
そのために日本語教員として、まず日本語で困っている人には日本語をできるようになってほしいなって思っています。今はまだ活動を始めたばかりでわからない部分も多いので、1回現場を見てみようという感覚でいます。
さぶりな:
私は今まで活動してきて、モチベーションを維持できたというか、がんばれたのは学校現場です。生徒と間近で関われて、今悩んでいることだったり、思っていることをシェアしてもらえたり、成長を感じたり、生徒と直接会える学校現場が一番楽しくて、やりがいを感じてきました。
活動していて感じるモヤモヤ
さぶりな:
私はこれまで当事者だった立場として生徒と関わったり、多文化共生について考えたりしていると悩むことも多いんですが、みなさんはこれまで活動していて、悩んだり何かモヤモヤはあったりしますか?
しんや:
モヤモヤは日々あるけど、人は不公平であったりとか不当に扱われた経験っていうのは、すごく覚えてると思うんです。その経験を言語化して吐き出したり、他の人と共感できるのは大事な経験だなって。
言語化して共有したあとのその先がどうあればいいんだろうなというのは感じることではあるかな。例えばアメリカで感じたのは、黒人に対しての差別があって、制度的や歴史的背景があって、今もそれが続いていて。それに対して僕は違う人種だけど一部共感できる部分もあるし、全く同じ経験をしていないから、共感と理解の間に居る感じになる。
「あなたの言おうとしてることとか感じていることを、共感はできなくても理解はしたい。それがどういう気持ちになるのか、どういう心理になるのか。」
多分マジョリティ側としては、相手のことを理解しようとするところから始めるしかないとは思っています。
それに対して、「いや、でも自分はやってないし」とか「自分はそれに共感できないんだ」とか。「共感できないけど、どうしたらいいの」っていう言葉とかにはなると思うんだけど。僕は少なくとも自分が受けた差別を話す時、相手に対してあまり共感を求めてはいなくて、「そういうこと(無意識な差別)をあなたはしているよ」っていうことを伝えるというか、認知してもらうということは一つ大事だな思うし、そこからしか始めることができないなと考えています。
ゆうか:
去年にスペインに行った時にコロナがちょうど出てきた頃で、その時まだ武漢ウィルスって呼ばれてたりしてたんですが、すれ違いざまにコロナって言われたり、歩いてるだけなのにグイって避けられて、顔に咳されたり…
初めて人種差別を経験をしました。
マイノリティ側に立って感じたこと
ゆうか:
日本語教員の授業で、日本語を勉強している海外ルーツの人にインタビューしようという課題があったので、高校の友達を複数人集めて座談会をしたんです。
日本語を勉強してきて大変だったこととか自分が何のために日本語を勉強しているかなどの質問があって、それに対して海外ルーツの人に答えてもらう形式だったんですけど、みんなそれぞれ中国やフィリピンなどルーツは違うんですが、考えてきたこととか直面してきた課題が似ていて、あれ嫌だったよねこれ嫌だったよねみたいな話で盛り上がって、逆に私がマイノリティになってしまった。
普段マイノリティ側に立ってる人たちが初めて自分たちを主体的に話せてる環境だったからだと思うんですけど、置いてきぼりにされた気がしました。
その時に私も含めて多文化共生じゃない?って思って、私のルーツは日本ですって語れる自分ではいるのですが、それでも肩身が狭く感じることもあります。自分自身が海外にルーツや日本語で悩む経験がないから、経験値がみんなに比べてないなーって思ってしまうことが多いです。
さぶりな:
なるほどね…私も大学生の時に国際理解団体というのをやっていて、多い時は全体で60人くらいメンバーがいて、その中に日本人が30人くらいいたんだけど、留学生とか海外ルーツのメンバーが日本語とか日本文化でぶつかってきた壁、あるあるで盛り上がることがあった。その時に日本のメンバーたちが自分達は経験していないからわからないから、会話の仲間に入りづらいって声もあったなー。
私たちは結構意見を言ったり、お互いの思ったことを共有して喧嘩することもありました。
ゆうかさんはその時はどう過ごしていましたか?
ゆうか:
なんかもう、本当にそうなんだって聞くだけですね。そこで、でもそれは違うよっていうのは私の中でも違って。なんか、あっそうなんだ、そういうことがあったんだ、私はそういうことはなかったよって終わっちゃいます。
さぶりな:
最初は私もそのようになっていたのが、日本の子がゆうかさんが言ってくれたようなことを話してくれたことがきっかけかな。|海外《かいがい》ルーツのメンバーや留学生で共感で盛り上がることで日本人との壁をつくってしまっていることがあると気づけたし、それがきっかけ話し合うようになった。
ゆうか:
言われてみれば話し合うことは、あんまりしたことないです。その時は「あっなるほど、これが壁か」みたいに納得しちゃったんですよね(笑)
多文化共生、支援なのかな、、、?
さぶりな:
最後に、みなさんは多文化共生や支援のあり方についてどのようなイメージを持っていますか?
ゆうか:
多文化共生や海外ルーツの生徒に関わった経験があまりないので、今もどう考えたらいいんだろうと思っています。「支援」という言葉のせいかもしれないんですけど、私はその上から下にみたいな雰囲気があまり好きじゃなくて、エンパワーメントっていう方が近いのかなと思います。誰かのことを助けたいと思った時に、お金や食べ物をあげることも大切な支援のひとつだとも思ってはいますが…。
でも、私がやりたいことはそこではなくて、自分の文化や意見などを発信する手段として日本に住む限りは日本語が有効で、その手段を身につけさせてあげられるのが日本語教育だと思ったんです。だから日本で生きる術や手段の手助けとして日本語教員っていいなという気持ちになりました。
大学には日本語の授業はあくまで単位としてしか取ってない人も多くて、私みたいに日本語教師を目指してるから履修する人は少なくて、ある意味周りがフラットな目線で日本語教育を見ているので、そういう友達と喋るのは新たな気づきがたくさんあります。彼らは、日本語教育を勉強してるけど多文化共生のイベントに誘っても来ないと思う。知識はあるけど興味がない人とか巻き込めたり話せたりしたら、それもまた|気《き》づかないうちに本人も多文化共生の一員になってるんじゃないかなって思いました。
さぶりな:
私もずっと抱えているモヤモヤというのがあって、多文化共生は誰の課題なのかという点です。私の中では日本全体の新たな1つの課題というイメージなんですよね。「外国人支援=多文化共生」外国人のために、というやり方になってしまっている多文化共生の現状に違和感があります。
日本人もみんなが同じではないし、ものすごく多様で日本語も地域によってイントネーションが違うし、色々な外国語訛りの日本語を話す人たちが日本社会に加わろうとしていて、|日本《にほん》が前よりもカラフルになろうとしているだけだと思うんですよね。
そう思うと同時に、多文化共生やダイバーシティという考えの中にもいろんな意見を持っている人がいて、私は反対意見も含めてダイバーシティだと思っている。それを排除するとダイバーシティじゃなくなる。外国人に対してネガティブなことを言ってしまうのは何となくわかるし、文化が違う新しい人と関わるのは誰でも不安だし怖いと思うこともあるかもしれない。それは普通のこと。それを排除しようとする多文化共生やダイバーシティのあり方はなんか違うのかな…?と思うことがあります。
しんや:
支援という言葉のモヤモヤみたいなものは僕の中にはあまりないと思った。支援しているとはあまり感じてはいなくて、ただ一人の大人としてできることを生徒と一緒に考えていきたいみたいなスタンスでいました。だから違和感はそんなにないけれど、ひょっとしたらそれはもう少し考えた方が良いポイントなのかもしれない、と今ふと感じました。
さぶりな:
みなさん今日はたくさんのお話をありがとうございました!新たな気づきもあってとても楽しかったです。これからももっといろんな人と、こういう話を気軽にしていけたらなと思います。
最後に、この記事を読んでくれた方へ
最後まで読んでいただきありがとうございました。
みなさんはこれまで何か活動してきてモヤモヤを感じたり、考えることはありますか?
私は常に多文化共生ってなんだろう、わからん、どうしたらいいのってなっています。正解がないからこそ、日本での多文化共生のあり方をこれからも模索し続けるしかないのかなと思っています。
多文化共生や日本語教育などに興味がある方やすでに関わっている方も、もし今抱えているモヤモヤがあれば、ぜひシェアしてくれたら嬉しいです。
また多文化共生について初めてきいた方は、この記事を読むことが多文化共生を知る最初の1歩だと思います。今の日本を生きる私たちが少しでも生きやすい日本にするために、一緒に小さな行動からはじめてくれたら嬉しいです。
他にも「海外ルーツの高校生 進学のヒント」や「カビルのつぶやき」など日本で外国人が暮らすにあたってヒントになる情報をまとめた記事もあります。興味を持っていただけたらぜひ読んでみたり、情報が必要な方にシェアしてくれたら嬉しいです。
それでは。