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『じゃがいもと黒海とフランス』のあとがき

ウクライナ戦争が起きて、投稿を躊躇した話はこちらに書きましたが、


今度はフランスの暴動のニュースが飛び込んで来た。もうキリが無いので今度は躊躇せず投稿した。



移民問題と言えば、有名な映画が、ヴァンサン・カッセル(Vincent Cassel)の『憎しみ』(La Haine)。パリ郊外の「バンリュー」(移民が多い、貧しい公営住宅地帯)を舞台に人種差別を扱った1995年のフランス映画だ。



とても衝撃的な映画だった。


ところで、ヴァンサン・カッセルもNIKEのジャージを着ている。(『じゃがいもと黒海とフランス』のネタ)



ヴィシーでの共同アパートではチュニジアや、アルジェリアからやってきた人達も一緒に住んでいた。みんな食堂やサロンに集まった時などは声をかけあって仲良く暮らしていたような気がするが、やはり本当のところは分からない。


この問題に関しては、多くの記事があるのでそれを参考にすれば良いと思うが、ちょっと気になった事がある。



今回の暴動の詳細を知ろうとしてネットで調べてみると、必ずコメントに、フランスで起きた事は日本でも起こりうるということが書かれているのを目にした。


問題なのは、移民対策じゃない。

差別だ。


日本人を名乗っているあなたがたの先祖、もしくはあなたは、日本列島から涌き出てきたとでも言うのか?
我々の先祖は大陸からやって来た人々で、もっと遡ればアフリカで、もっと遡れば海を泳いでいた魚で、もっと遡れば微生物だ。

お互い、よくぞここまで進化したよねって全ての出会う人と喜び合うのが普通ではないのか。
何人なにじんだからって何かが特別なんて、何一つ無い。

日本人を強調するなら和楽器の一つや二つ背負って旅にでも出てみろと言いたい。





あとがきなのに、ついアツくなってしまった。

和楽器を背負って旅に出ていないのは私です。そのつもりで20数年も経ってしまった。




フランスから帰国して十年後、スペイン人のエレナはなんと東京の私のアパートへ遊びに来た。待望の再会には涙が出た。彼女は全体的に大きくなっているようだったが、はにかんだ笑顔はそのままだった。東京の六畳一間のアパートで一週間、川の字になって一緒に寝起きした。私たちのあまりにもこじんまりした生活にいささか驚いたようだったが、とても素敵だとも言っていた。彼女はイギリスで良い仕事が無かったせいか、帰国しスペインでの仕事も辞め、秋に語学大学に行くことにしたらしく、たっぷり夏休みがとれたので、急に日本に行くことを思い立ったらしい。日本語の挨拶も、東京の名所も何一つ調べず体一つでやってきた。そしてまず最初の1日は時差ボケで夕方までぐうすか眠りこけ、生きているか心配したくらいだった。それから、お寺、博物館、夏祭り、公園、まったく華やかさに欠ける東京観光案内をし、彼女は喜んで帰っていった。クラクションなどめったに鳴らず、きちんと信号を守る行儀の良い日本の交通マナーを見て驚きこれが当然だと言っていた彼女は、欧米人のわりには大人しく謙虚すぎるため自分の国では生き辛いようだ。今スペインでは失業率が高く問題になっているが、彼女も大変困っている。そしてつい最近、シスターになりたいというメールがきた。予想もつかないことだったが、真っ直ぐな彼女の性格ならきっとなれるだろう。

と、ここまでは2013年までの話で、その後、エレナのアドレスから変なメールが届いた。

英語ではない人の名前宛に、私は〇〇人です。と、内容は短い文章で、最後に連絡待っています。と締めくくられ、それが2回来た。

悩んだ…。

メル友あてか?エレナです、ではなく違う人の名前。なりすましメール?

なんか変なメール来てるよーとストレートに返信したほうが良いのか、知らないふりをしたほうが良いのか…。

かなり悩んだ末、知らないふりを選択した。
その後、今まで長い文章で届いていたクリスマスカードも来なくなり、エレナとの関係はフェードアウトしてしまった。
あの、キュンとした出会いを思い出に、彼女が元気でいてくれることを祈るばかりだ。



そしてルシアンからはストーカーまがいの手紙が私が日本に着いてから1日おきに送られてきて、それが二ヶ月続いたが丁重にお断りした後はずっと音信は無かった。そして311の地震の際に十何年ぶりの心配の手紙をくれた。度が過ぎる心配性の彼は同じ事を書いたハガキを2通投函し、2通ちゃんと届いた。今はマルセイユのあの隠れ家を引払い、フランス山間部の静かな街でまた犬と共に静かに暮らしており、相変わらず友人が一週間分の新聞を今でも持ってきてくれるそうだ。そしてその切り抜きをどっさり私に送ってくれた。そして、何年か前に連絡は途絶えた。いい歳なので天国に召されたのだと思う。

『じゃがいもと黒海とフランス』に載せたデッサンは、ルーマニアからの帰ってきてからルシアン宅に滞在した時、彼が自分の為にコピーしたのを私の荷物がデッサンごと無くなった時、またそれをコピーしてくれたものなので、その事は彼に深く感謝しなければいけない。




リヨンで出会ったミッシェルとは、今でも年に一度の手紙のやり取りが続いている。ニュースとしては、2020年に彼は詩集を自費出版した。その挿絵のイラストを頼まれて私が描いた。



あと、娘のFannyはカナダに移住して、女性のパートナーと最近結婚式をしたそうだ。ミッシェルは何年か前に定年退職をして娘の移住先カナダに行ったりキューバに旅行に行ったりと悠々自適な生活をしていて、今年は家族で奥さんの母国マダガスカルに帰省するそうだ。羨ましい。



ルーマニアのガビとは、帰国後1〜2年ほどメールのやりとりをしたが、新しい彼女ができたのとこちらも忙しいのとで連絡は跡絶えた。
彼の実家はまだシギショアラにあるのだろうか。同じ顔をした息子が住んでいるような気がする。



この20数年、世界で本当に色んなことが起きた。イラク戦争からはじまり、ISISやタリバンなどの宗教の争い、フランスではパリ同時多発テロ事件が起きた。リーマンショックからはじまる世界金融危機、日本では東日本大震災、そしてコロナに、ウクライナ戦争。人種問題、貧困問題は、いつまでたっても改善しない。ただし、そういう問題は20数年前よりもずっとずっと以前から続いている事なのだ。

変わった事と言えば、経済大国であった日本はこの30年ですっかり落ちぶれ、海外に旅に出る若者が減ったほどに、貧困だ。
ガソリン高騰、コロナで飛行機代も上がり、さらにはこんな円安では旅にも出られまい。

バイトでお金を貯めては何か自分の好きな事をしたい。だから会社員という拘束の無いフリーターという人が20数年前はけっこういたもんだが、もうフリーターという言葉も今は無いのかも知れない。



さて、その20数年前の私は、この旅でいかに日本の事を知らないかを実感した。
日本らしい特技もない。唯一、漢字カタカナひらがなが書けるくらいだ。

そこで次の旅に向け尺八を始めようと思い立ったのだ。
尺八の曲は聴いた事が無かったが、「尺八」という字に惹かれた。
なにせ持ち歩けるのが良い。

そして、結局一歩も日本を出ずに他の事に明け暮れ、現在日本で虚無僧をするということになってしまった。



人生どうなるか分からない。


この先もどうなるか分からない。



『じゃがいもと黒海とフランス』の、

あとがきでした。




興味のある方はこちらをどうぞ↓

フランツ〜ハンガリー〜ルーマニアの、
スケッチの旅日記です。



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kataha
古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。辻立ちコム活に投げ銭チップしていただけたら嬉しいです🙇