文学と尺八☆『源氏物語』
尺八の日本到来は西暦600年頃。
唐代の宮廷の燕饗楽で使われたという楽器が雅楽として日本に伝わった。
本来尺八はそれぞれが十二律の各々に応ずるように作られた十二本一組の縦笛でありました。
絵画に描かれた古代尺八は、古くは平安時代の舞楽、雑楽、散楽などの様子が描かれた巻物である『信西古楽図』があります。
そして平安時代の文学と言えば、かの有名な『源氏物語』。
その『源氏物語』に、古代尺八が登場します。
さて、どのように物語に登場するのか、
まずは『源氏物語』ざっとご紹介。
日本文学史上最高傑作とされる『源氏物語』。
その54帖の中の6帖目にあたる「末摘花」に尺八が登場します。
末摘花とは紅花の異名のこと。
「末摘花」の簡単なあらすじ。
光源氏は良いヤツなのか、悪いヤツなのか、判断に苦しむところです...。
さて、その尺八が出てくる箇所を読み解きます。
あらすじの中の「多忙で彼女の家から足が遠のいていた」頃にあたります。
原本は殆どひらがなで句読点も無し…。
【大篳篥】形の大きな篳篥。中国伝来の縦笛で、管は竹、舌は葦でできている。管には表七孔、裏二孔がある。音色は高く鋭く、悲哀の調子が強い。一条天皇のころにはすでに用いられなかった。
【尺八】通称古代尺八。もと唐代の縦笛で、唐尺で一尺八寸(唐時代の一尺は日本の曲尺の10分の8なので、30.3㎝(1尺)×1.8×0.8=43.6㎝ が基本の長さの尺八だった)。主に淡竹(はちく)の根元で作る。前面に五孔、背面に一孔。
【太鼓】奏楽や合図に使う太鼓である。一般に打物の楽器は地下(じげ)の者が受け持ち、庭上に置いて打つ。
【おはさうず】「おはしあふす(御座し合ふ)」の約。居合わせていらっしゃる。「ゐ合ふ」の敬語。主語は複数。
古代尺八は儀式の時に大篳篥や弦楽器などと一緒に演奏されていたことが分かります。
詳しい前後の内容は、
「若者たちは、行幸の儀(天皇の外出)の催しを楽しみにしていて、一緒に集まって、その話をしたり、めいめいに舞などの稽古をしたりしている。さまざまな楽器の音が、いつもより騒がしいほどに誰にも負けるまいと競い合っているので、いつもの管弦の合奏とは様子が違います。大篳篥や尺八の笛なども大きな音で吹かれて、地下(身分の低い役人)が叩いている太鼓までもを高欄の下に転がし寄せて、皇族たち自身で打ち鳴らして、合奏を楽しんでいる。」
太鼓を叩くのは身分の低い役人の役割だったんですね…。
ここが高欄という場所。
やはり、いつの時代も若者は音楽が好きで、ドンシャンガシャガシャやってたのでしょうかね。
『源氏物語』にでてくる古代の楽器。
こちらは琵琶弾いてます。
優雅です…。
古代尺八は律令国家の衰退と共に無くなり、今は正倉院などに保管されているのみで、本物を拝見することもなかなか出来ないです。尺八演奏家の小濱明人氏が古代尺八を演奏されているそうで、一度聞いてみたいですねぇ。こちらも一節切みたいに密かに流行っていたりするのでしょうか。
雅楽に復活!とか、限定でも無いですかねぇ。
この源氏物語には、古代尺八の存在がとても分かりやすく描かれていると思います。
皇族自らも儀式の為とは言え楽器の演奏を楽しんでいたことが分かりました。て、ことは、女性もその辺に転がってたりした尺八吹いたのかな…。
紫式部も吹いてたりして。
何はともあれ、源氏物語はこの時代の貴重な史料ですね。
ま、
いつか、
そのうち、
おばあさんになってからでも、
源氏物語、
全部読んでみるかな(笑)
★こちらは以前Tumblrに書いたものをnoteに書き直した記事です。