【クリエイティブ生活】ナサニエル・ホーソーン『人面の大岩』を読了
国書刊行会の『新編 バベルの図書館1 アメリカ編』より、今回はナサニエル・ホーソーンの『人面の大岩』を読了しました。
同じくホーソーンの代表的短編への感想はこちらです。
谷間の田舎街に暮らすアーネストという貧しい農夫が、少年から老年になるまでのお話。短編とは思えない豊かな印象を与える一代記でした。
人面の大岩は、おそらくは神、つまりイエス・キリストの象徴なのかなと思います。人々はある時は富豪を、ある時は偉い軍人を、ある時には高い地位にある政治家を、それぞれ人面の大岩が人の姿をして現れたと思うのですが、そのたびに失望します。アーネストも同じくです。
最後にアーネストの人生に訪れたのは、美しい言葉を語る著名な詩人でした。アーネストはようやく、人面の大岩の化身が現れたと期待します。
人面の大岩の化身が誰なのかは読んでのお楽しみで、ここには書きません。
ボルヘスによる序文によれば、ホーソーンは、ピューリタン信仰の強い街で生まれ育ったそうです。その影響からその物語を書いたのだと思いました。
エドガー・アラン・ポーからは「寓意なんて書くのは駄目だ」と批判されたそうですが、分からなくはありません。
寓意とは、イソップ童話のように、比喩を用いた教訓的な物語です。ポーはホーソーンの才能や人柄自体を批判していたわけではないようなので、「説教くさい話ではなく、もっと文学的に価値の高い物を書けるはずだ」と思っていたのでしょうか。
一口にキリスト教といっても一枚岩ではなく、宗派により考えは異なります。ピューリタンつまり清教徒的な価値観とは、清貧と勤勉を大事にすることです。
ナサニエル・ホーソーンのこの『人面の大岩』には、そんな価値観がありありと描かれています。とても美しい物語に乗せられて語られるので、押し付けがましさはありません。
しかしポーの言いたいことも分かる気がします。ホーソーンの代表的短編『ウェイクフィールド』にはそんなことを感じなかったので、やはり同じ作者のものでも差はあるのだと実感もしました。
現在のアメリカでは、南部の保守的なキリスト教徒でも、「神を第一にして、きちんと働くなら神にお金や成功を願ってもかまわない」とする考えも多いようですね。
とにかく、物語は詩情あふれる美しい短編なので読んで損はありませんでした。アーネストのような生き方が一番の幸せだと作者は言いたかったのかなと思います。詩人はホーソーン自身のことかも知れないと考えるのはうがち過ぎた見方でしょうか。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。あなたのクリエイティブ生活のヒントになれば幸いです。