【雑談・余談】三方印という言葉
こんにちは。
KATAE / かたえと申します。
こちらに訪れていただいた皆様にお礼を。
数ある投稿の中から訪れてくださり、ありがとうございます。
このタイトルでは今回もカジュアルな内容で書いていきたいと思います。
先日少しおでかけし、観光地を巡る中であるお寺に行きました。
たまたまお寺の住職様がお話をされるタイミングに居合わせたので、その時に教えていただいたお言葉をご紹介できればと思います。
それが「三方印」という言葉になります。
「三方印」についての詳細はこちらから。
三法印(さんぼういん)は、仏教において三つの根本的な理念を示す仏教用語である。
諸行無常印-「すべての現象(形成されたもの)は、無常(不変ならざるもの)である」
諸法無我印-「すべてのものごと(法)は、自己ならざるものである」
涅槃寂静印-「ニルヴァーナは、安らぎである」
引用元:三法印- Wikipedia(一部抜粋)
聞いたことがある言葉もあれば、はじめてみる言葉もあると思います。
私もお話を聞いている最中は、漢字は全くでてきませんでした。、、
聞いたことはあるけど、実際なんだろうと質問されたらわからないものってたくさんありますよね。
せっかくなので住職様の有難い説法も参考にしつつ言葉の音を覚え、帰り道にこの「三法印」について調べて帰りました。
調べた内容が皆さんの何かの参考になれば嬉しいです!
・諸行無常
まずは、「諸行無常」という言葉についてです。
この言葉は国語の授業で習ったり聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?
「平家物語」の冒頭文章にでてきますよね。
昔、授業の一環として暗記して覚えたことがあります。
諸行無常(しょぎょうむじょう)は、仏教用語で、この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。
「諸行」とは因縁によって起こるこの世の現象(サンカーラ)を指し、
「無常」とは一切は常に変化し、不変のものはない(アニッチャ)という意味。
引用元:諸行無常- Wikipedia(一部抜粋)
たしかに、この世のすべては変化しないものはないということは納得できます。
変化し続いているということは、あらゆるものについて言えますね。
ただ、ふとした瞬間に変化を受け入れられない自分も時々います。
変化を受け入れるということは、当たり前すぎて忘れてしまいますが意識していけると身軽になり、別の視点から物事を考えられそうです。
・諸法無我
残り二つの言葉については、恥ずかしながら私は初めて聞いた言葉でした。
いったい、どんな言葉なのだろうか、と聞き耳を立てながら聴いていました。
二つ目の言葉は「諸法無我」という言葉です。
諸法無我(しょほうむが)は、全てのものは因縁によって生じたものであって実体性がないという意味の仏教用語。
引用元:諸法無我- Wikipedia(一部抜粋)
上記の説明だけだと、少し理解が難しそうですよね。
言葉を分けて補足していきます。
まずは「諸法」という言葉についてです。
仏語。この世に存在する有形・無形の一切のもの。
引用元:諸法-コトバンク
続いて、「無我」について。
仏語。万物に内在し常恒不変である実体などは存在しないということ。
引用元:無我-コトバンク
つまり、この世のすべてのものは、あらゆる因果関係から成り立っており実体はなく、独立して単体で存在するものはないという意味のようです。
これについても、たしかになぁ~と頷けます。
一人だけでは生きていけないですし、身の回りを見渡しても一人で成り立っているものは何もないです。
食材しかり、物しかり、あらゆる関係性の中で生きているんだなと実感できます。
これもついつい、忘れてしまいそうになる時があります。
・涅槃寂静
そして、三つ目の言葉は「涅槃寂静」という言葉です。
この言葉が一番、聞きなじみがなく分からなかった言葉でした。
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、仏教用語で、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。
涅槃寂静は三法印・四法印の一つとして、仏教が他の教えと根本的に異なることを示す。
引用元:涅槃寂静- Wikipedia
これも言葉を分けて補足していきます。
「涅槃」という言葉について。
仏教では究極的目標である永遠の平和,最高の喜び,安楽の世界を意味する。本来は風が炎を吹消すことを意味し,自己中心的な欲望である煩悩や執着の炎を滅した状態をさす。
引用元:涅槃-コトバンク
続いて「寂静」。
仏語。煩悩(ぼんのう)を離れ、苦しみを去った解脱(げだつ)の境地。
引用元:寂静-コトバンク
いわゆる「悟りの境地」を指す言葉のようです。
今までご紹介してきた上記の「諸行無常」、「諸法無我」を理解し、努力した結果、悟りの境地の最終ゴールである「涅槃寂静」に達することができるということのようです。
たしかに、上記の二つのことを理解し実践し続ければ、悟りの境地に近づけそうな気がします。
ちなみに、いろいろと調べている中で悟りは52段あるそうです。
とても奥が深いですね。、
煩悩が多い私には険しい道のりのように感じました、。笑
今回、この言葉や意味について知れたことが私にとって学びになりました。
言われてみれば当たり前でも、気が付いたら忘れてしまっている大切な考えだと思います。
これをひとつの教訓として、精進してきます!
詳しく知りたい・深く知りたいという方は、お寺の住職様などにきいてみると教えてくれるかもしれませんね。
この記事が何かのきっかけになれば幸いです!そしてご覧になってくださる方、本当にありがとうございます!
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