孤独を選んでいるのか。
わたしはひとりが好きだ。ひとりがいい。できればもう新しい交友を築いたり深めたくない。なぜなら別れが来ることが怖いからだ。あと、誰かといる時に感じる孤独感も味わいたくないからだ。
出会ったときから別れの想像をするというのは相手に悪いが、生きている間の別れだけではなく死の別れまで考えてしまう。どうしても考えてしまう。だって、人は出会ったら必ず別れがある。
誰かといるときに感じる孤独感は、実際にひとりでいるときの孤独よりも孤独だと思う。昔から友達の輪の中にいても常に心はどこか寂しくてなんか違うくて、この気持ちの成り立ちはいまだに分からない。
周りにはない環境で育ったためか、強い大人になりたいと思う気持ちがありすぎたためか、いずれにせよ表面上周りに合わせる努力に精神をすり減らしていた。
わたしは今必要最低限でしか人と過ごしていない。ひとりを選んでいる。
「必ず来る別れや誰かといるときの孤独感を味わうくらいなら、最初から誰とも深く関わらない方が楽だ」とわたしのメモには記されている。
ふとそのメモを読んで、最初から誰とも深く関わらないことを選ぶって「ひとり」というより「孤独」だな、と感じた。
だとしたら孤独感を避けながら、やっぱり孤独を選んでいるのだろうか。いや、そもそも孤独ってなんだろう。分からなくなったのでとりあえず定義を調べてみる。
「孤独とは、人が他者とのつながりや社会的な関係が欠如していると感じる主観的な状態。これは物理的に一人でいる状態だけでなく、心理的・感情的に孤立していると感じることも含まれる。」
「孤独は一時的な感覚であることもありますが、長期的に続くと精神的な健康に悪影響を及ぼすことがある。一方で、一人でいることをポジティブに捉え、自分自身と向き合うための時間とする場合には「孤独感」とは異なる経験となり得る。」
…そうか、今更だけど孤独って主観的なんだな。ひとりでいるときは物理的にはひとりだけど孤独感は感じない。これはわたしの主観だ。だからひとりを選ぶことは孤独ではない。
しかし、「最初から誰とも深く関わらない」というのはどうなのか。人は親しい関係がなかったり、その関係が十分に支えられていないと理解されていない、愛されていないと感じるらしい。また、人生や存在に対する意味や目的を見失ったり、世界から疎外されていると感じる状態を「存在的な孤独」というらしい。それなら、わたしのこの考えは正した方がいいかもしれない。傷つくことを避けた先に、大きな孤独が待っていそうだ。
でもやはり、どうしても別れが来ることが怖い。これは深い関係になればなるほど怖い、たとえば家族とか親友とかの類だ。
ああ、だけどそうだな、どうしても人には死が訪れる。そしてそれは急に来るかもしれない、自分も、周りも。これは常に頭の中にあることだ。自分が死ぬときに、人を失う怖さで人と深く関わることを避けた浅い生き方を後悔するのは嫌だな。
なかなか新しい人間関係を深めることは難しいと思うが、今ある自分にとって大切な人間関係は、失う想像を恐れずにもっと相手をよく知って一緒に笑ったり、悩んだり、できればその人のストーリーの登場人物になりたい。それが今出せるわたしの結論、想いだ。
今、もうわたしは孤独を選んでいないだろうか。