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拝啓ダニエル・キイス様

アルジャーノンに花束を、名前も表紙も知っていたのですが、映画もドラマも見ずにいて、おととい読み終わりました。まえがきに、先生はたくさんのファンレターをもらい、共感してくれる人がこんなにいるなんてと感涙したそうで、だから私もお手紙を書こうと思います。一読者のささやかなつたない感想でも、きっと先生は真摯にみてくださると思うので。

私がいちばん心に残っているのは、実は結末ではなく、「ぼくはアルジャーノンと友だちになりたい」と記録するところで、その次はパン屋から追い出されるところです。知識の壁の向こう側に、いつの間にか行ってしまったことを愕然と認める部分には胸が苦しくなりました。

私も、チャーリィと同じように、「こうであったらいいだろうに!」と思う私の虚像がいます。もっと朗らかで明るく、愛嬌があり、何事もそつなくできて、ひとさじの隙(さみしさ)がある。見目も中身も美しく努力を怠らず人のせいにしない。そうであったならどれほど日々が輝いているだろうと。そうでない現実の私に絶望。
しかし、虚像の私が果たして何を思うのか、その現状で幸せなのか、周囲はその私をどう捉えるのか、本当に私は私のままなのか、ということを、全然考えていなかったことに気がつきました。ようは私の願いは、「同じ1日をリピート・なぜならもっとうまくやるから」に過ぎなかったのだと思います。

誰もがチャーリィを、「持っていない」ことをばかにしていたから、チャーリィは「持つ」ことにしたけれど、とうとうそれにより自分の家を見失う。感情的なものだと理性ではわかっているが、だからといって何の慰めにもならない。とても悲しかったです。でもどうすることもできないことです。

チャーリィは世界の矛盾に絶望しましたが、そもそも世界は矛盾に満ちているのだと思います。そして大人になるとは、ただ何かを究めるのではなく、自分で自分の行動を決めること、責任を持つこと、覚悟をもつことが大事なのかもしれないとも思いました。ずっと「ごほうびスタンプ」では大人になれないのだと。

チャーリィは、はじめはアルジャーノンと友達になりたいなんて全然思いもしませんでした。得たもの全てを失う最期、記憶にアルジャーノンがいることは美しいですが、私の趣味には、あまりに物語すぎてしまって。
それよりもそのアルジャーノンとの真の出会い、彼に心をよせるこの一言が好きです。

私も死ぬとききっと全てを失い、栄光ははかなく消え去るのだと思います。そこへいきつくまでの日々を大事にします。
すてきな傑作をありがとうございました。今後も多くの人の脳裏に残ることをお祈りします。

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