「個」の磨き方
モンハンが教えてくれたこと
きっかけはアメリカ挑戦のとき。
海外での経験をこどもたちに伝えてほしいと、ブログサイトを提供していただき、記事を通して内省的振り返りを行うことが習慣となりました。
頻度としてはそれほどではなかったけど、一つ一つの深度はなかなか。
いつからか、ブログを通して自分を知ることは、ピッチ上の自分にも繋がっていると考えるようになりました。
新たな自分を知るためには、自分自身を外から観察する必要があり、その視点が持てるようになるということは世界を見る目も変わる。
そうして自分を成長させることで、サッカーのパフォーマンスも少しづつ変わっていく手応えを感じていたのです。
そうは言っても、これは実際の経験がなければあまりピンとこない話かとも思います。
これはいつだったか、ゲームのモンスターハンターに挑戦した時のお話です。
弟が二人いるのですが、二人の腕前は歴戦の勇者そのもの。
二人との通信プレイで、いかにも強そうなボスがいるステージに挑みますが、ぼくにやれることはなにもありませんので、弟たちがクリアするまではとにかく逃げ回ります。
すべてが終わった後に素材はしっかりと回収。
二人のおかげでとてもよい武器をつくることができ、おかげでファーストステージはなんとかクリアできるようになりました。
しかし、ステージクリアという結果は、武器の能力の高さあってのことで、そもそもの武器ですら自分自身で勝ち取ったものでもありません。
次のボス戦ではあっさりと負け、採集クエストに行けば、たまにわけのわからない強さのボスが出現してこわい思いをするので、すぐに飽きました。
当時のぼくにとってはなんてことのないただのリフレッシュ、暇つぶし程度でしたが、いま改めると人生でも同じことだなと、とてもよい気付きです。
どれだけ強い武器を手にしたところで、自分自身のスキルや成長がない限りは弱いままであること。
また、ただできることを繰り返すだけで、そこに自分の成長がなければ、例え目に見える結果が出ていたとしても、結局は飽きてしまうのだなと。
スキルや装備も力にはなってくれますが、プレイヤー自身がどうアップデートしていくかこそが私にとっては最も重要なことなのです。
勝つためのアルゴリズム
物事における勝ち/負けを分けるものは、能力と環境の掛け合わせの結果であると思っており、そして勝てる人たちは成功パターンを持っています。
例えばピッチ上では、自分の能力を正しく理解し、それをどう活かすか、環境や相手にどう対応するかがカギとなります。
自分の能力を正しく理解するとは、個性の把握でもあり、最低限として自分の強みを活かせる状態であることが大切です。
しかし、自分の在り方だけに気を取られ、組み合わせのもう一つの要素である環境面を考えずにいると、その結果は当然としてランダムガチャのようになってしまいます。
環境とは、サッカーで言えば、対戦相手の特徴であったり、ピッチコンディションであったりなど。
言葉にすると当然のことのように感じるかもしれませんが、ここまでの配慮まで行き届かず、ランダムガチャとしての結果に一喜一憂するという事象はよく見かけることでもあると思います。
勝てる人は周囲をよく観察しながら、その都度でしたたかに戦い方を変えることができる。
このために必要なことは、以下の二つだと考えています:
・自分の能力を知ること(経験、知識、スキルなど)
・環境との組み合わせと、その結果のパターンを知ること
まず、自分の能力とは、経験、知識、スキルなど、これまでの人生で培ってきたものすべてで、つまりその人自身のことです。
ですから、生まれたての赤ちゃんでもない限りは誰にでも存在するものですので、敢えて能力という呼び方をするのは、誰でも絶対に戦うための術を持っているということを強調するためです。
「自分のことだから、わざわざ考えなくても知ってるよ」と、思うことがあるかもしれません。
しかし、人間とは思い込みの強い生き物ですので、自分のことを大きくも小さくも、思うままに変形させることができます。
ぼくの例でいうと、必死で挑戦してきた経験がいつの間にか驕りとなり、事実以上に自身の選手像を大きく捉えていました。
その流れで必要以上にプライドを感じることで、失敗を恐れて挑戦することが難しくなっていた一面もあります。
ぼくにとってのブログは、言葉で客観的に自分を振り返ることで、無意識のうちに変形させていた自分の姿を正しく認識し直すためのものですので、まずはここで自分のデコボコについて理解します。
それが把握できれば、苦手なものは失敗してもしょうがない、きちんと対策を立てて練習しようと切り替えられるようになるかもしれないし、一つ確実に言えるのは心の持ち方は変わります。
前章で「新たな自分を知るためには、自分自身を外から観察する必要があり、その視点が持てるようになるということは世界を見る目も変わる」という一文を残しました。
「外から観察」というのは比較することでもあり、その方法として「どのような環境下でどんな自分が表現されているか」というパターンを調べて、それぞれを比較します。
なぜ比較をするのかというと、ただの一例だけでは、ただ偶然そうなってしまっただけという可能性を否定することはできません。
例えば数学の考えにある、AとBの領域が互いに重なり合う領域を求めるように、その小さな部分を導き出して初めて確実性の高いデータと言えます。
もちろんサンプルが多い方がより小さな領域、より等身大に近い自分を知れることになるので、若く元気な頃にさまざまな環境に飛び込んでみるというのはとても良いことだと思います。
「質をつくるのは圧倒的量」という考えを聞くことが最近増えましたが、もしかすると近しい経験をされてきた方なのかなと思ってみたり。
少し話が逸れましたが、この結果をもとに自分の必勝パターンを導き出したり、逆に結果から計算して自分の能力を伸ばす(または仲間との共闘の方法を考える)ことがぼくの考えている勝つためのアルゴリズムとなります。
考え方自体は非常にシンプルですが、ここで大きな壁となるのが、先にも述べたように、人間は思い込みの強い生き物だということです。
つまり、例え計算式がわかっていても、そこで使う数字を間違えてしまえば正しい答えに辿り着かないように、思い込みで認識したものを基に考えるとどこかでエラーが出てしまうのは簡単に想像がつくと思います。
つまりは自分と環境の組み合わせを知ることにおいて(環境とは人やものすべてを含む世界のことであるため)自分と世界をできるだけ正しく認識する力こそが最も大事だということになります。
このあたりの言葉はコテンの深井さんに引っ張られている感覚が書きながらあるので、理解を深めたい方はこちらの記事をおすすめします。
プレイヤー自身の成長がすべてを変える
ここまでは自分や世界の認識を改めることで、自分の枠を知り、それが本来の自分が持っている力の発揮に繋がるという内容が中心でした。
思い込みのパターンに限らず、そこにズレがあれば必ずアプトプットに影響を及ぼすものですので、その修正だけでも十分にパフォーマンスをあげる結果となります。
しかし、これだけだとどうも、自分の身の丈を知ることで一種の悟りを開くような、静かすぎて「ワクワクとドキドキ」が足りません。
自分自身を学習することは覚醒のカギではありますが、やっぱり少年マンガのような自分の可能性を広げていくような過程にロマンを感じます。
どっちがいいではなく、どちらも大事なことであり、優先度的にはもちろんまずは自分と世界の学習から行うべきですが、人生には楽しみも必要です。
では、可能性の拡張ってどうやるの?という、その答えは結果からの逆算と物事の構造を理解する観察力、そしてあとはひたすらに試行錯誤の三つだと思います。
結果からの逆算というのは、前章の最後で少し触れましたが、求める結果に結びつかないことをしても時間の無駄ですので、まず最初に考えるべきこととしてあげています。
さまざまな個性に惹かれるオールフォーワン的な危ない思想を抱えているぼくには特に大切なことです。
前章での組み合わせの把握さえできていれば、あとは結果と予想される環境条件に自らのあり方を選べばいいだけなので、手順としてはそう難しくはないはずです。
次は構造理解のための観察力についてです。
最近では一流の選手は持っているとされている「ミスを忘れる能力」について考えています。
できなかったことを振り返り、次の試行錯誤に活かすことは大事なことですが、試合中だけは話は別です。
マンチェスターシティのグアルディオラ監督は「サッカー選手も、バスケットボール選手もミスをする。でも彼らはただ笑って次の仕事に移る。彼(ハーランド)はそれをやってのける。それが偉大な選手の特徴なんだ」と言っています。(リソース:ゲキサカ記事)
日本ではよくストライカーが育たないという議論が起きますが、失敗の捉え方や、それが文化となる時間の流れの中で脳的機能として遺伝されている可能性など、サッカー以前での影響も大きように感じています。
ぼくはいまFW登録となっていますが、ぼくにとってのFWとは小学生の頃に3分でクビになったポジションというイメージです。
その後なぜかブンデスリーグでセンターFWとしてのデビューを果たしますが、そこでもすぐにポジションを変わっています。
つまり、ぼくにとってのFWというポジションはある種の苦手意識の塊であり、その中で自然にミスを忘れるということは現状は不可能に近いのです。
ではどうすればいいのか。
この答えそのものはとてもシンプルで、結果としてミスを忘れる(ように見える)という状態をつくればいいのです。
人間は思い込みが強いという話をしましたが、裏を返せばとても器用で柔軟でもあるということです。
モンハンネタはもう尽きたので、サッカーでもよく議論されるいわゆる「もも前走り」と「もも裏走り」を例に話をします。
もも前ともも裏、前と後ろというだけでも使う筋肉は大きく変わりますが、このどちらが主導でも「走る」という動作は成立します。
ここでの違いは自分で地面に足を踏むことが走るという考えの場合はもも前を使いがちでしょうし、地面についた足をお尻に引きつけることが走ることだと考えている人はもも裏主導となるはずです。
最近になってようやく後者側の考えを理解するまではずっと前者の意識だけで走ってきたので、度重なる怪我の原因にも繋がっていたと思います。
これもどちらが正解ではなく、状況によっての使い分けで、動き出し時ではより多くの力を発揮できるもも前を主導にし、スピードに乗ってきたら地面の反発を利用するためにもも裏に切り替えたほうが効率的です。
本来であればこれが「走る」という考えの基本となり、ここからサッカーという競技特性や自分のパフォーマンスを考えるべきとなります。(こういった視点に優れているのがさにおだったと思います。)
この話で強調したいことは二つあり、一つは実際に怪我の原因となっていたように、正しい文脈の理解がないままでのただの思い込みはエラーにしかならないこと。
しかし、逆を返せば、きちんと全体の構造を理解した上で、自分の持つ能力を掛け合わせた結果として同じような形を再現することができれば、それはもう自身の可能性の拡張であると考えています。
ミスを忘れる能力について話を戻すと、忘れることが難しいのであれば結果として忘れている(ように見える)形になるように考えればいいのです。
思考面での成長のコツは発想の転換で、例えば「忘れる」であれば、失敗から切り替えるや受け入れるということが思い浮かびます。
ぼくの場合は例え自分が苦手なプレーにおける失敗であっても、まるでそれ自体が自身の選手としての価値に響くように感じることがあります。
普段の練習では苦手ととことん向き合いながら試行錯誤を重ねつつも、試合中においては苦手なものはしょうがないと割り切ることに慣れる必要があります。
つまりはTPOですね。
このTPOを細かく分類して、それによって自分の振る舞いをコントロールするというのがこれまで話してきた組み合わせの話に通ずるのですが、実践の前に頭の中で予行練習をすることも大事だと思っています。
サッカーではよく、うまくいくイメージを寝る前に思い浮かべておくことを推奨されますが、ぼくは大失敗のようなプレーの後にすぐ切り替えるようなシミュレーションもします。
このシミュレーションにおいて、より効果を発揮させるには想像力が大事です。
プレーイメージとしては視点(俯瞰ではなくプレーしている選手の目で見る)や感覚を伴うことまで意識できればかなり良いと思います。
今回のような場合では、成功シーンではなく失敗シーンも含めて、さまざまな状況を想定しておくこと。
例えば、宇宙開発並みのシュートを放って、よく飛んだなーを遠くを見つめるような格好をする自分の姿を俯瞰的な視点で想像します。
これは海外の選手が実際にやっていた映像をみた日、夢で自分が実際にやっているシーンが出てきてなんだか笑えてしまったことをきっかけに始めてみたのですが、この時は敢えて俯瞰的視点でイメージするようにしています。
試合中のような即座の切り替えが必要な時は敢えて客観的な視点に切り替えることで、自分のミスすらも他人事のように流すという練習です。
構造分解と試行錯誤があれば、例えば速さのような身体能力や、キックのようなボール技術などでもある程度の再現も可能だと思います。
ただし、それを可能とするその土台には、プレイヤーの視る力、考える力、実行力、といったような、シンプルな人間力のようなものが必要不可欠です。
つまりは、プレイヤー自身の成長が覚醒の扉が開き、そしてすべてが変わっていくのだと思います。
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