Serina Kashimoto

Footballer 藤枝順心高校 / Butler University / MSV Duisburg / マイナビベガルタ仙台L. 🐾 スフィーダ世田谷FC #20 🐶🌙

Serina Kashimoto

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マガジン

  • Journey of Space Dawg

    昔から宇宙人やと言われてきましたが、思ったより感情とか人のことを知らなくて、やっぱ人じゃなくて犬だったんだなと。 ボールが大好きなわんこです🐶⚽️

  • くそがき日記 -ACL保存でいってみた-

    オペじゃなくて、保存でいくにはどういう道があるのか。 前十字断裂の当事者になったのでやってみた。 *この道のプロどころか、ビギナー断裂者ですので、こういうこと考えてやなーってくらいに読んでいただければ🐶

  • スフィーダ世田谷FC

    スフィーダのあれこれ🐶

最近の記事

憂鬱を観察して

今年はあまりサッカーをしておらず、自分でペースを決められる気ままなリハビリ期間が長ったため、社会復帰に苦労しています。 チーム練習に復帰した二日目には集団行動による疲労感に充てられ、それをチームメイトに漏らすと、向いてそうな個人競技を考えようとしてくれました。 そんなこんなでリーグも終わり、皇后杯前の束の間のおやすみ期間は公式戦こそはなくとも、きちんと練習試合が組まれています。 久々の試合に向けての準備ということで、ぼくの社会復帰のためのリハビリもいよいよ本格化です。

    • この世界に花束を

      最近は少しお疲れモードで、ゆっくりと温かい湯船に浸かりながら、ヨルシカさんの「アルジャーノン」を聴くのが至福の時間。 幸せに満ち足りた心地の中で、なぜこんなにも美しいもので溢れる世界をわざわざ壊そうとするのかという気持ちにもなる。 もちろん目を背けたくなるような現実もたくさんあるのだけど、だからこそ人間同士で互いの足を引っ張っている場合ではなくて。 でもそういった現実が存在する一方で、ぼくが普段生きさせてもらっている日常はとても穏やか。 どうすればもっとよいサッカー選

      • サッカーとぼくと、時々、チーム

        「どれだけ優秀な人にサポートをしてもらっても、彼ら/彼女たちの言葉をどう学習し、実践していくかという過程は自身の頭を通して行われるため、結局自分の成長がなければ本当の意味でパフォーマンスは変わっていかない」 瞬間的に決断をしていかなければならないサッカーでは特に当てはまることであり、ぼくは自分が納得する人生を送るためにも重要なことだと思う。 いくら自分のことを理解してくれている相手であっても、本当にありたい姿を常に自分の中で描きながら、最終的には自分の頭で考えて行動しなけ

        • 「個」の磨き方

          モンハンが教えてくれたこときっかけはアメリカ挑戦のとき。 海外での経験をこどもたちに伝えてほしいと、ブログサイトを提供していただき、記事を通して内省的振り返りを行うことが習慣となりました。 頻度としてはそれほどではなかったけど、一つ一つの深度はなかなか。 いつからか、ブログを通して自分を知ることは、ピッチ上の自分にも繋がっていると考えるようになりました。 新たな自分を知るためには、自分自身を外から観察する必要があり、その視点が持てるようになるということは世界を見る目も

        マガジン

        • Journey of Space Dawg
          14本
        • くそがき日記 -ACL保存でいってみた-
          12本
        • スフィーダ世田谷FC
          3本

        記事

          フットボールな日々。 ぼくの頭の中

          頭の中どうなってるの? 普段なに考えてるの? 最近よく聞かれるので、できるだけ考えていることをそのままにまとめてみます。 内容にもあるように、基本サッカーのことやし、別のことでもサッカーに結びついていきます。 - - - - -  5ヶ月ぶりくらいにちゃんとサッカーやってるのでね、身体は楽しながら、代わりに頭を使うことを意識してやってみてます。 最近というか、今週から思いついて始めたのが「鷹の目ゲーム」。 ピッチを横から平面で見るのではなく、まるで上空を飛ぶ鷹の

          フットボールな日々。 ぼくの頭の中

          「失敗」から学ぶ、三度目の正直

          昨年の9月に前十字靭帯損傷を診断されてから、保存療法による競技復帰を目指してきました。 その中での細かな気付きはたくさんありますが、今回の挑戦での一番の成長は失敗の良くも悪くもをきちんと学び、その上でゆっくり丁寧に試行錯誤してきたことです。 「失敗」という言葉だけを聞くと、ネガティブな響きがあり、できれば避けたい心理が働くものですが、失敗は成功の秘訣であることもまた事実です。 それを理解しながらも、なぜ人は失敗を恐れるのか。 私自身のこれまでを振り返り、それは失敗から

          「失敗」から学ぶ、三度目の正直

          ぼくの中の青い炎

          怒涛の1週間が終わった。 日本大学でのゼミ参加から始まり、毎年開催させていただいている教育チャリティイベント、最後はON Track Nightsでのブース出展。 いざ終わって振り返ってみると、この1週間に詰め込まれたことは意味があったのだろう。 考えることを手放して感情論に走ることに抵抗は感じつつも、やはり想いに勝る才能はないと、そう信じさせてくれる時間だった。 想いには応えたくなる出会いは今年のシーズンキックオフパーティーでのこと。 クラブ代表にお願いして、挨拶

          ぼくの中の青い炎

          力の加減

          まだベガルタにいた頃、先輩のひとさんとくそがきの師匠とで、トレーニング終わりにそのままお昼に行くことになった。 そこでの会話もサッカーや認知に関係するものばかりで、そのときの一連をいまでもよく思い出す。 正確なキューイングの言葉までは覚えていないが、「割り箸の箸袋で机を撫でてみて」のようなことを言われ、それぞれでやってみる。 優しく、柔らかに箸袋を動かすひとさんとは対照的に、箸袋が半分から折れるくらいに押し付けて机上を往復させるぼく。 力の加減というものが苦手であり、

          道を切り拓く

          つい先日のこと、トレーナーとして生計を立てている友人二人と身体を動かしていた。 ぼくは身体感覚の鋭さとその言語化が得意なので、それをキーとしながら、二人があーだこーだと擦り合わせながら次のアプローチを考えてくれる贅沢な時間。 彼らが普段一緒にやっている人とはまた違うタイプなこともあり、この日を堺にまた大きなアップデートができたのだが、それにしても気になることが一つ。 セッションの間、トレーニングによって感覚が変わりすぎることがないよう、二人が執拗なくらいに気にかけていて

          道を切り拓く

          評価という思考の罠

          おすすめにでてきた、こちらの記事。 なにも女子サッカーに限った話ではないのだなという雑感と、ぼくも似たような経験があるので、ぼく視点でも書いてみる。 一番に心に浮かんだのは、中学生の頃に経験したナショトレ選考でのこと。 ぼくは世代別代表や、ブンデスリーグでの契約など、履歴書だけをみると煌びやかなものを歩んではいるが、中学までは本当に無名な選手だった。 中学一年生のとき。 最後のチャンスとなる三年生に譲ってあげてほしいと言われ、ナショトレには行けなかった。 次こそは

          評価という思考の罠

          スフィーダ

          歴史は繰り返す。 人が変わってもその事実は変わらないおもしろさと、その中でも人は変化しているおもしろさと。 いまのぼくが客観的にみることができるのは、文字通り一歩引いたところにいるからと、ぼくも同じ渦の中に身を置き続けた経験があるから。 サッカーのシーズンは長いかもしれないけど、一つ一つを構成する周期は短い。 よくもわるくも、「いま」に目を向けるには絶好の環境である。 「いま」を充実させることはとても大切なことではあれど、過去の事実からの学び、先立つものから計算する

          存在証明

          今年のぼくも忙しい。 忙しいとはいっても、自分で勝手にそうしているだけなのだけれども。 目下の目標は「前十字が切れたままでもプレーできることを証明すること」である。 エビデンスを持ってこいと言われてもなかなか難しい案件ではあるものの、そうも言ってられないので、今回もまた噛み砕いていく。 復帰の鍵1:数字と質での担保エビデンスと言われてまずパッと思い浮かぶのが数字での証明。 前十字靭帯再建手術からの復帰の目安として、力の発揮における左右差を測定するのが流れとなっている

          やる前から無理だと決めつける思考はどこからくるのだろう

          「そんなの絶対無理だよ」 スタジアムへと向かう車内。 昔、友人と交わした会話がふと頭をよぎる。 地域に根ざすクラブ活動の大切さを伝えたいと意気込んでいた流れでの言葉だったと思う。 あれから数年が経ち、今日の光景をスタンドから見渡しながら、一部くらいなら覆えされたと言ってもいいのではないかと感じた。 そんなことを考えながら、こういった言葉をかけられること自体はなにも特別なことではないなと、よくよく自身の人生を振り返りながら思う。 海外でプレーするためにクラウドファン

          やる前から無理だと決めつける思考はどこからくるのだろう

          くそがきフットボーラー

          3人揃っていまの自身 この方は「自分」を選び取ったんだな。 この場合の「自分」とは、自身の中に存在する人格の一つで、哲学的な思考など、とにかく頭を使いたがる傾向がある。 そんな「自分」センサーに引っかかったことで興味を抱き、実際の言葉を拾いながらふと感じた。 自分を変えねばまずいと慌てて行動し続け、最後には人格が3つも存在するというオチに辿り着いたタイプなので、こうして自身を高い解像度で表現されている方はとても興味深い。 サッカー界の産業廃棄物のエピソードが特に好き

          くそがきフットボーラー

          フットボーラーの思考

          身体と思考(脳)、そして感情と理性の関係性 前十字のリハビリで、ある種の限界突破をしたのだろう。 相も変わらずもマイナーエラーに悩まされつつも、自分で対処できることが確実に増えた。 最近気付いた身体の歪み方の種類の一つとして「捩れ」がある。 イメージとしては各関節が柱時計のゼンマイというか。 それぞれが正常時よりも回りすぎていることで、その周辺の筋肉が引っ張られ位置が変わっていたり。 中には文字通りにくるっと捩れてしまっているような感覚を覚えるものもある。 ケア

          フットボーラーの思考

          原点: 最強の初心者

          「敵は己の中にあり」 当時まだ17歳。 いまよりもっと蒼く、だけども、もっと広いフィールドで生きていたときに口にした言葉。 その存在を敵として定義してしまったからだろう。 とてつもなく巨大で、飲み込まれそうに真っ黒いなにかとして現れるようになった。 なにかを掴み、突破口が開けそうになる度に現れるそいつがようやく、他の誰でもない自分自身だったことに気づいたのがつい最近。 自己中、ワガママ。 ずっととらわれ続けてきた言葉を、でもそれが自分だからしょうがないと笑い飛ば

          原点: 最強の初心者