見出し画像

「動物と話してみたい」人類はその夢にどこまで近づいた?|トム・マスティル『クジラと話す方法』序章全文

 2023年10月24日、トム・マスティル 著/杉田真 訳『クジラと話す方法』が配本となります。

装画=木原未沙紀
装丁=小川恵子(瀬戸内デザイン)

 あらすじは以下の通り。

2015年、ザトウクジラが海から飛び出し、私の上に落ちてきた。奇跡的に無傷で生還するも、知人の専門家に後日こう言われた。「助かったのは、クジラがぶつからないように配慮したからでしょう」。もちろん、なぜそうしたのと尋ねるなんて不可能ですが、という一言も添えて……。しかしその後、「動物用のグーグル翻訳」の開発を目指す二人の若者が私のもとを訪ねてきた。そもそもなぜ、クジラと人間は話せないのか? シリコンベースの知能が炭素ベースの生命に向けられたとき、動物と人間の関係はどう変化していくのか?

書誌情報より

 本書は、国際的評価の高い映像作家である著者が、生物学の世界で起こる革命を丹念に追ったドキュメントです。Amazon Books編集部が選ぶ「ベスト一般向け科学書2022」のTOP10、『ニューヨーカー』誌が選ぶ「必読書2022(ノンフィクション部門)」にも選出されています。

 このたびの日本語版では、迫力満点の図版71点はもちろん、2023年のペーパーバック版に加えられたロジャー・ペイン(ザトウクジラの歌を発見した海洋生物学者)への追悼文ともいえる「あとがき」を完全収録しました。

 人類と動物の幸福な未来、よりよいコミュニケーションのあり方を模索したいと願うすべての人に贈りたい一冊です。本稿では特別に、本書の「序章」を全文公開します。ぜひ、ご一読いただけたら幸いです。

参考:物語の始まりのシーンは、YouTube上に記録が残っています。著者と、著者の上に「落ちてきた」ザトウクジラです(本書ではCRC-12564と呼ばれています)。短い動画なのでよろしければこちらもご覧ください。


【凡例】
・本書は以下をもとに日本語訳したものである。Tom Mustill, How to Speak Whale: A Voyage into the Future of Animal Communication (William Collins, 2022)。2023年刊行のペーパーバック版の加筆修正も反映している。
・原注は章ごとに通し番号を入れて巻末にまとめた。
・本文中の〔 〕は訳者による補足である。
・外国語文献等からの引用は、基本的には訳者による訳である。既訳がある場合は、既訳を参考にしながら訳出した。既訳をそのまま引用した場合は、その旨を明示した。
・一部の訳語については国立科学博物館の田島木綿子氏(海獣学者)と濱尾章二氏(行動生態学)からいただいたアドバイスを参考にした。この場を借りて御礼申し上げる

序章 ファン・レーウェンフックの決断

もし、それを一度も見たことがないのだとしたら?

レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』[*1]

 一七世紀半ば、オランダ共和国デルフト。そこにアントニ・ファン・レーウェンフックという風変わりな男がいた。次のページに掲げたのが彼の肖像画だ。

1686年、自作の顕微鏡を持つアントニ・ファン・レーウェンフック(ヤン・フェルコリエ作)/©︎ Jan Verkolje(デルフト工科大学より)

 織物商のファン・レーウェンフックには発明家としての顔があった。当時のヨーロッパは、過去半世紀のあいだに望遠鏡や顕微鏡といった拡大ツールが急速に進歩していた。その多くは二枚のガラスレンズを筒に取りつけたものであり、レンズを通して遠くの惑星や小さな物体がよく見えた。しかし、これらは誰もが気軽に使える道具ではなかった。ガラスを磨いて取りつけられる人は少なく、その技術は秘密にされた。織物商見習いとして働くファン・レーウェンフックにとって、「顕微鏡マイクロスコープ」(ギリシャ語の「小さい」と「観察する」の合成語)は、生地の具合を確かめる大事な商売道具だった。初期の顕微鏡の倍率はせいぜい九倍であり、のちの改良品ではさらに倍率がアップした。しかし、二枚のレンズを使う方法には欠点もあった。観察対象を拡大すればするほどゆがみがひどくなり、二〇倍以上にはできなかったのである[*2]。

 デルフトで暮らしていたファン・レーウェンフックは密かに、まったく新しい顕微鏡の開発を進めていた。それは、直径一ミリほどのガラス玉を折り畳み式の金属ブラケットに取りつけ、ガラス玉を通して対象を見るというものだった。この方法では観察対象を二七五倍まで拡大することができた[*3]。ファン・レーウェンフックが生涯でつくった顕微鏡の数は五〇〇を超えると考えられている[*4]。最近の研究によって、彼の顕微鏡のピント調節能力と解像度は、現代の光学顕微鏡に匹敵することがわかった[*5]。

 ファン・レーウェンフックは、まわりの世界の観察にも自作の画期的な顕微鏡を使うようになった。ほかの人が昆虫やコルクといった肉眼で見えるものを観察していたのに対して、肉眼では見えない世界があることを発見したのである。たとえば、地元の湖から採取した少量の水のなかに、小型の動物や細菌バクテリアや単細胞生物といった「微小動物」(animalcule)[*6]がたくさんいることを発見し、おおいに驚いた。さらにあちこちを見てまわり、雨水や井戸水だけでなく、口や腸など、人間の体内から採取した試料のなかにも未知の生物が生息しているのを見つけた。ファン・レーウェンフックは、興奮気味に次のように書き残している。「水滴のなかに何千もの生物がうごめいている。こんなにおもしろい光景は初めてだ」[*7]

 当時の人々は、ノミやウナギやイガイの卵を見ることができなかった。そのため、それらの動物は卵からかえるのではなく、「自然発生」というプロセスを経て出現し、ノミはちりから、イガイは砂から、ウナギはしずくから生まれると信じられていた。ファン・レーウェンフックの顕微鏡によって、それらの動物にも卵があることが明らかになり、自然発生説の否定につながった。ファン・レーウェンフックは、赤血球、バクテリア、塩の構造、鯨肉げいにくの筋細胞など、自分が発見した新しい世界に夢中になった。さらに、謎に包まれていた人間の生殖の世界ものぞき、精液のなかに尻尾を持った小型の運動体、すなわち精子がいることを発見した。ファン・レーウェンフックはこの事実に驚いたに違いない。しかし、いったい誰の精子だったのだろうか?

 海の向こうのイングランドでは、自然哲学者のロバート・フックが、顕微鏡のレンズを追加したり変更したりして、せっぺんの構造やノミの毛を調べていた。そして、この秘密の世界のスケッチを出版して大反響を巻き起こした。日記作家として有名なサミュエル・ピープスは、寝床で午前二時までフックの本を読みふけった。折り込みページの挿絵をじっくり見たピープスは、「過去最高に独創的な本だった」と感想を書き残している[*8]。ファン・レーウェンフックは、フックと王立協会(当時は「自然についての知識を改善するためのロンドン王立協会」と呼ばれていた)に所属するほかの博学な実験者に宛てて手紙を書き、自分の発見を報告した。ファン・レーウェンフックの証言はもっともらしかったが、この「好奇心旺盛で勤勉な」商人の言うことを信じる会員は少なかった[*9]。当然といえば当然の反応だ。ファン・レーウェンフックは「作り話だと何度も言われた」と愚痴をこぼしている[*10]。この王立協会の冷淡な対応は、ファン・レーウェンフックが自作の顕微鏡を他人に見せようとせず、そのつくり方を教えようとしなかったせいでもあった。

 ロンドンにいたフックは、ファン・レーウェンフックの観察結果を再現しようとした。精巧で微小なガラス玉の複製に苦労したが、一六七七年一一月一五日についに完成した。フックがそのガラス玉を通して雨水を見ると、小さな生物が動いているのがわかった。フックは「そのすばらしい光景に驚き」、微小動物が「本当にいることがわかった」と述べている[*11]。まさに百聞は一見にしかず。ファン・レーウェンフックは正式に王立協会のフェローになり、いまでは「微生物学の父」と呼ばれている。私たちが微生物を観察できるようになったのは、ファン・レーウェンフックの顕微鏡のおかげだ。しかし、ほかの人が何もないと思い込んでいる場所に目を向ける彼の好奇心の強さも、同じぐらい重要だということを忘れてはならない。

ファン・レーウェンフックが描いた微小動物のスケッチの複製。Fig. IV(左の列の上から3番目)が最初期のスケッチであると考えられている/©︎ Antonie van Leeuwenhoek

 その後、数世紀のあいだに、人間の生活は変わった。通りで誰かがくしゃみをすれば、私たちは病原菌が飛び散る場面を想像する。ほくろの形が気になれば、がん細胞が猛烈に分裂している様子を思い浮かべる。ミクロの世界の知識があるから、手や傷口を洗い、胚を冷凍保存する。さらに私たちは、人間の体内には細胞と同じぐらいのバクテリアがひそんでいて、目に見えない生態系エコシステムを構築していることも知っている。つまり、ファン・レーウェンフックの「見る」という決断が、その後の人間の行動、文化、自己認識が変わるきっかけになったのだ。

 これがファン・レーウェンフックの遺産である。私たちは、彼が見つけたものをいまさら疑うことはできないのだ。

***

 目に見えない世界はまだ残っているのだろうか。じつは、あなたはその最前線に足を踏み入れている。一七世紀以来、見るためのツールが急速に普及したが、現在、その多くは私たちに向けられている。たとえば、防犯カメラは道を歩く人を監視し、アイフォーンのセンサーと回転儀ジャイロスコープ〔角速度計測器〕は部屋の温度変化と睡眠状態をチェックする。さらに、眠っている時間、夢を見ている時間、住んでいる場所、行き先、指紋、せいもんこうさいのパターン、歩き方、体重、排卵日、体温、濃厚接触、乳房のスキャン、歩数、顔の輪郭、表情、好きなもの、嫌いなもの、好きな人、嫌いな人、興味がある歌や色や対象、興奮させるもの、おもしろいと思うもの、本名、アバター、ハンドルネーム、よく使う言葉、アクセントなど、ありとあらゆることが監視の対象になっている。だが、これらは始まりにすぎない。あなたはいまや、友人や家族だけでなく、一度も見たことがないコンピューターにも覚えられている。コンピューターがあなたについて感知したことは、として大規模なサーバーに送られ、何十億ものほかの人間のデータと一緒に保存される。あなたについてのデータは、あなた自身が書く回想録よりも速くまとめられ、あなたの死後も残りつづける。さらに、これらのデータからパターンを見つけるアプリまで存在する。

 過去数十年間、多くの優秀なエンジニア、数学者、心理学者、コンピューター科学者サイエンティスト、人類学者が、アメリカ政府や中国政府だけでなく、アルファベット、メタ、バイドゥ、テンセントなどの大手IT企業にスカウトされてきた。一九四〇年代なら、かれらはマンハッタン計画に参加していたかもしれないし、一九六〇年代なら、NASAのジェット推進研究所(JPL)で宇宙船の設計にたずさわっていたかもしれない。しかしこんにちの優秀な若者は、多額の報酬を得て、人間のデータを記録、収集、分析する新たな方法を研究している。かれらが開発したアプリは、言語のパターンにもとづいて、ある言語を別の言語に翻訳し、表情のパターンにもとづいて、笑顔が本物かどうかを人間よりも正確に特定する[*12]。私たちは、自分のデータが蓄積されている事実や、パターンを特定するアプリに自分が操られる可能性があることを受け入れざるをえなくなっている。

 こうした状況において、私たちは、人間が動物の一種であるということを忘れがちだ。私たちの体、行動、コミュニケーションのパターンは、人間という動物のであり、人間の見えないパターンを検出するために開発されたツールは、じつはほかの動物でも機能する。ファン・レーウェンフックの顕微鏡が、生地の確認だけでなく、ノミの発生源の発見にも役立ったように、追跡トラッキング装置デバイス、センサー、パターン認識マシンなどは、商品を効率的に販売する目的で開発されたものだったが、いまではほかの動物や自然を観察することにも使われている。しかも、その過程で生物学に革命が起きている。

 本書は、この新しい発見の時代において、自然界の謎の解明に取り組んでいる先駆者たちについて書かれた本だ。それは、ビッグデータが大型動物と出会い、シリコンベースの知能が炭素ベースの生命のパターンを発見しようとしている最前線への旅である。最も神秘的で最も魅力的な動物であるクジラとイルカに注目し、かれらの生態と能力に対する私たちの固定観念が、最新技術によっていかに覆されたのかを明らかにする。また、水中ドローン、ビッグデータ、AI(人工知能)、人類の文化が組み合わさることによって、かれらのコミュニケーションを解読する方法がどのように変わりつつあるのかを探っている。

 本書は、クジラと話す方法について、さらに言えば、人間の科学、技術、文化が変わることで、そのようなことが可能になるのかについて書いてある。パターン認識マシンの対象を人間からほかの動物の発話に向けることで発見したことは、人間の生き方を変えるのだろうか。まさに、ファン・レーウェンフックが自作の顕微鏡で見つけたミクロな世界が、その後の人間の生き方を変えたように。そしてその発見は、クジラを含むほかの種の保護を人間に強いることになるのだろうか。

 どれも雲をつかむような話に思えるかもしれない。以前の私ならそう思ったはずだ。しかし、これは虚構フィクションではない。思いもよらない現実に襲われた私が、その正体を追跡する途中で知り、考えたことである。ことの始まりは、二〇一五年、三〇トンのザトウクジラが海から飛び出し、私の上に落ちてきたことだった。


【原注】
[*1]Rachel Carson, The Sense of Wonder: A Celebration of Nature for Parents and Children (New York: Harper Perennial, 1998), 59.〔レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』、上遠恵子訳、佑学社、1991年〕
[*2]Paul Falkowski, “Leeuwenhoek’s Lucky Break,” Discover Magazine, April 30, 2015, https://www.discovermagazine.com/planet-earth/leeuwenhoeks-lucky-break.
[*3]Felicity Henderson, “Small Wonders: The Invention of Microscopy,” Catalyst, February 2010, https://www.stem.org.uk/system/files/elibrary-resources/legacy_files_migrated/8500-catalyst_20_3_447.pdf.
[*4]Nick Lane, “The Unseen World: Reflections on Leeuwenhoek (1677) ‘Concerning Little Animals,’” Philosophical Transactions of the Royal Society B: Biological Sciences 370, no. 1666 (2015): 20140344.
[*5]Michael W. Davidson, “Pioneers in Optics: Antonie van Leeuwenhoek and James Clerk Maxwell,” Microscopy Today 20, no. 6 (2012): 50–52.
[*6]Antony van Leewenhoeck, “Observations, Communicated to the Publisher by Mr. Antony van Leewenhoeck, in a Dutch Letter of the 9th of Octob. 1676. Here English’d: Concerning Little Animals by Him Observed in Rain-Well-Sea- and Snow Water; as Also in Water Wherein Pepper Had Lain Infused,” Philosophical Transactions (1665–1678) 12 (1677): 821–831.
[*7]H・オルデンバーグに宛てたアントニ・ファン・レーウェンフックの手紙(1676年10月9日)、in The Collected Letters of Antoni van Leeuwenhoek, ed. C. G. Heringa, vol. 2 (Swets and Zeitlinger, 1941), 115. www.lensonleeuwenhoek.net/content/alle-de-brieven-collected-letters-volume-2.
[*8]Samuel Pepys, The Diary of Samuel Pepys, edited with additions by Henry B. Wheatley (London: Cambridge Deighton Bell, 1893), entry for Saturday, January 21, 1664. https://www.gutenberg.org/ebooks/4200.〔サミュエル・ピープス『サミュエル・ピープスの日記 第5巻(1664年)』、臼田昭訳、国文社、1989年〕
[*9]“The Unseen World: Reflections on Leeuwenhoek (1677) ‘Concerning Little Animals.’”
[*10]フックに宛てたファン・レーウェンフックの手紙(1680年11月12日)、in Clifford Dobell, trans. and ed., Antony van Leeuwenhoek and His “Little Animals,” (New York: Russell and Russell, 1958), 200.
[*11]“Hooke’s Three Tries,” Lens on Leeuwenhoek, www.lensonleeuwenhoek.net/content/hookes-three-tries.
[*12]David L. Chandler, “Is That Smile Real or Fake?” MIT News, May 25, 2012, news.mit.edu/2012/smile-detector-0525.

目次

序章 ファン・レーウェンフックの決断
第1章 登場、クジラに追われて
第2章 海の歌声
第3章 舌のおきて
第4章 クジラの喜び(ジョイ)
第5章 「体がでかいだけの間抜けな魚」
第6章 動物言語を探る
第7章 ディープマインド——クジラのカルチャークラブ
第8章 海にある耳
第9章 アニマルゴリズム
第10章 愛情深く優雅な機械
第11章 人間性否認
第12章 クジラと踊る
あとがき 耳を傾けて
謝辞
図版クレジット
原注

著者略歴

トム・マスティル〈Tom Mustill〉
生物学者から映画製作者兼作家に転身。人間と自然が出会う物語を専門とする。グレタ・トゥーンベリやデイヴィッド・アッテンボローといった著名な環境活動家や動物学者と共同で制作した作品により、数々の国際的な賞を受賞。それらの作品は、国連やCOP26(気候変動枠組条約第26回締約国会議)で上映されて話題になり、各国の首脳、WHO、ロックバンド「ガンズ・アンド・ローゼズ」にシェアされる。鯨類保護の取り組みが認められ、「世界クジラ目連盟」(World Cetacean Alliance)のアンバサダーにも選出。作家として初めての作品である本書は、Amazon Books編集部が選ぶ「ベスト一般向け科学書2022」のTOP10にランクイン。現在、妻のアニー、二人の娘のステラとアストリッドと一緒にロンドンで暮らしている。

訳者略歴

杉田 真〈すぎた・まこと〉
英語翻訳者。日本大学通信教育部文理学部卒業。訳書に、『世界滅亡国家史——消えた48か国で学ぶ世界史』(サンマーク出版)、『武器化する世界——ネット、フェイクニュースから金融、貿易、移民まであらゆるものが武器として使われている』(原書房)、『語り継がれる人類の「悲劇の記憶」百科図鑑——災害、戦争から民族、人権まで』(共訳、原書房)など。

★書誌情報★


この記事が参加している募集