自分の家のように感じる(でも家ではない)|まちは言葉ができている|西本千尋
テキストレーターのはらだ有彩さんが、地元の明石市を書いたエッセイ[*1]。読んでいくと、風景がすぅーっと立ち上がって、頭の中で人や物が動き始める。わたしの故郷ではないのに、どこか懐かしい。海があるっていいなあ。羨ましくなる。「魚の棚(うぉんたな)」商店街でわたしも買い物がしたい。7代目の富士せんべいも食べたい。
「自分の家のように感じる」その感じが、少しだけわかる気がした。たくさん遊んで、いつの間にか自分のものみたいになった風景。自分を気遣い、思いやり、心配してくれるような関係。もしもくつろげる家がないならば、わたしたちはなおさら、その自由で温かな居場所をよそに、まちに求めるのかもしれない、とも思った。
条例という「市民の言葉」
明石市は子ども施策で有名であるが、同市のまちづくりの真価は、子ども施策だけでなく、上記にあるように「すべての人」を対象とし、また「すべての人」が主体となるような「まちづくり条例」にこそ宿っている。この条例は制定過程から多くの当事者が関わった。たとえば同条例の9条には「障害者等の参画」が挙げられ “Nothing About Us Without Us”(我々のことを我々抜きで勝手に決めるな)の理念が書き込まれている。明石市民が、誰ひとり排除せず「すベての人が自分らしく生きられる街」という共通言語を得たことが羨ましかった。
この施策を先導した泉房穂市長はこの春、二度目の暴言の責任をとって退任する。これまで、泉市長のようにこども施策を展開し、弱者に向き合った政治家はいなかったとして、市民だけでなく、多くの関係者が泉市長をかばい、熱心に慰留を促した。人権擁護を掲げた市長の二度目の暴言とそれによる退任は、ショックだった。
たしかに泉市長は、「やさしい社会を明石から」というキャッチフレーズのもと、「国を待つことなく明石からはじめる」「明石だけでなく明石から全国に広げる」など、自分の「言葉」を持ち、「地方から市民ニーズに応えていく必要がある」として市民に語りかけ、市民とともにまちを変えようとした、稀有な政治家だった[*3]。そして特筆すべきは、それらの「言葉」が徹底して、条例という形で明文化されていることだろう。つまり、規則や内規のように、市長や役所内部のルールとして作られ、多くの者のあずかり知らぬところで運用される「言葉」ではなく、議会や市民の「言葉」として存在しているのである。
ところで、泉市長は自著[*4]及びひろゆき(西村博之)氏との対談本[*5]の中で、一連の自身の取り組みの原動力を、自分の生い立ちから来る「冷たい社会」への「復讐心」とあえて説明している。もしかすると、同市の施策や条例にみられるのは、泉市長が自らでも手に負えないほどの怒りや憤りを懸命に飼いならそうとして、なんとか形にした「言葉」なのかもしれない。それらは12年の任期の中で、他者に開かれ続け、困難を抱える当事者と手を携えながらマジョリティに問いかけられた「言葉」の履歴として残されている。
今回わたしは、その「言葉」のみを切り出すことなど到底できないと感じながらも、その「言葉」のみを追ってみることにした。それは彼の「復讐心」に忠誠心を重ねたからではない。暴力、暴言を肯定するからでも決してない。彼の言葉が条例という「市民の言葉」となり、わたしたちの目の前にただ差し出されているからである。
「まちづくりの有効な手段」としての条例制定
これらは、泉市長の下で制定された明石市の主要条例[*6]である。泉市長は「条例づくりは、まちづくりの有効な手段」と話しており、条例化の目的としては下記を挙げている[*7]。
これらの条例の中には、施策や事業実施のためには、必ずしも条例制定まで必要ないものが含まれている。つまり、条例にしないといけないので致し方なく作ったという消極的理由ではない。むしろ、市長就任から数年のある種の実験期間を経て、具体的に成果や手応えがあった施策の「普遍化」のために条例化という手法が積極的に選ばれているのである。ときに国の法律の問題を突き、法改正を迫るために条例化し、その必要を訴えるというケースもあった[*8]。
少々技術的な話になるけれど、国の法令で委任された範囲を条例化するような、いわゆる「委任条例」ではなく、全国初の条例を「自主条例」として次々作っていくというのは、市長の手腕だけではなく、職員の立法・執行能力、関係団体、審議会、専門家の協力体制など、分厚い資源がなければとてもできないことだ。1993年以来、わが国では、30年にわたって地方分権化――「地域のことは地域で決めていこう」「国主導から地方主導へ」――の流れを良いことと捉え、その希望的観測が語られ続けてきた。
でも、実際にそのような希望を手繰り寄せた自治体は少なく、今も多くの自治体は、国―地方の非対称な関係に翻弄され続けている。そのような中、明石市の主体性、自律性、先駆性はあまりに目立った。「条例づくりは、まちづくりの有効な手段」として、本当に地域が地域のことを地域で決めていったのである。
「誰ひとり取り残すことのない」まち
「10年連続人口増」、「人口増加率 中核市で全国第1位」、「地価7年連続上昇」、「明石駅南側の新規出店2.4倍」、「税収8年連続増」、「基金残高51億円増」、「市民満足度91.2%」――。
これらは泉市長下12年の実績の一部である[*9]。ずっとケアに回す「財源がない」「経済成長しないと福祉に回すお金がない」などと言われてきたから、「こども施策」によって経済が回るなどと言われても、にわかに信じられなかった。土木などの公共事業や観光まちづくり以外でも、経済成長するんだね。こどもにお金を回せば経済が伸びるんだね。じゃあ、どんどん回せばいいよね。明石市の成功を国でやればいいじゃん。周囲の子育てや福祉分野のNPO関係者はおおいに盛り上がっていた。
さて。わたしたちは脆弱な人の支援を求めるとき、そのことが人道的に正しい施策であるかどうかよりも、それによって経済的な効果があるのだと言わなくてはいけない(と思わされている)。支援を受けることによって、自立的な働き手/経済成長の担い手/将来の納税者となります。あるいは、将来の社会保障費の低減につながります、と。そんな物語が、個人の自由や平等、人権の尊重という物語よりも断然、優先度が高いとされている。ご飯を満足に食べられていない子どもがいたとしても、それを問題だとしてすぐさま助けてくれる社会ではない。むしろ、「貧困なのになぜ子どもを産んだんだ」みたいなことを嗤いながら言ってくるような社会である。そんな社会を「誰ひとり取り残すことのない」まちに変えていくには、徹底的にわかりやすい成果――すなわち経済効果――をあげなくてはいけない。そのためにも、明石市での「こども施策」の上記の成果はどうしても必要なものだった。それが手に入ったことを喜びながらも、ぐっと唇を噛んだ。経済効果と無関係に、必要なものは必要だと言えない社会。経済効果を経由しないと、命が大事、弱者が大事と言えない社会にわたしたちは住んでいる。
わたし自身、ひとり親として子を育てている。子どもを連れて地元に戻ってきたとき、友人たちはわたしの話を聞いてくれた。ひとしきり話を聞き終えたあとに、みんな共通して必ず、「もうこれ以上頑張らないでいい」と言った。おいしいお菓子や手紙を届けてくれた。何度も会いにきてくれた人もいた。その後、少しずつ立ち上がって、支援団体、保育園・こども園に出会うことができ、相談、食料支援、子の預かり、見守り含め、総合的なケアを受けることができた。安心で安全な場所を作れるように、みんながリレーのように助けてくれた。このことは、どんなに感謝してもしきれない。おかげで、わたしは今、笑うことができているし、泣くこともできるようになった。わたしは家を失ったけれど、「自分の家のように感じる」(でも家ではない)複数の関係[*10]が、連れ立って一緒に走ってくれたことをずっと忘れない。
「すべての人が自分らしく」自分の人生を生きることができるように、「すべての市民が大切にされ、誰一人取り残されることのないように」――。明石市ではその理念が条例にもなったが、それ自体、祈りのように唱えられた「言葉」だとも思う。わたしたちはこの「言葉」を、今、この瞬間から形骸化させることもできるし、幾度でも訪ねることができる。時間も空間も超えてつなぐことができる。
それをわたしたちが望むならば。
【注釈】
[*1]はらだ有彩「変わっていく商店街、変わらない商店街【兵庫県明石市】」『SUUMOタウン』2022年2月10日より。
なお、はらださんの肩書「テキストレーター」は「テキスト、テキスタイル、イラスト」を組み合わせた造語である。
[*2]同条例の第1章第1条より。
[*3]いずれも「市長コラム 明石市が目指すまちづくり」より。
[*4]泉房穂『社会の変え方』ライツ社、2023年
[*5]泉房穂+ひろゆき『少子化対策したら人も街も幸せになったって本当ですか?』KADOKAWA、2023年。「『すべての人』を対象とし、また『すべての人』が主体となるような『まちづくり』」において、対立するもしくは反対意見を有する者との間で、どのような議論が展開されるのかを知るために手に取った。編集の過程で、過激な言葉が抑えられ、対立構図は想像していたほど鮮明ではないが、随所で功利主義的な見解を述べるひろゆき氏に対する泉市長の反駁がなされている。
[*6]「明石市例規類集」などを参照。関心のある方はぜひ、一つひとつの条例の名前を検索してみてほしい。
[*7]泉房穂『社会の変え方』ライツ社、2023年、257頁、352-353頁を参考にまとめた。
[*8]例えば「明石市職員の平等な任用機会を確保し障害者の自立と社会参加を促進する条例」は、成年後見制度を利用する障害者にも職員としての採用の道を開くため、2016年に制定された条例である。
制定当時、地方公務員法第16条(地方公務員の欠格条項の要件を定める)の第1号に「成年被後見人等」の規定があったことから、成年被後見人等に該当する場合は、国や地方公共団体等の職員の採用募集において試験を受けることができなかった。そこで明石市では、条例の定めをもってその門戸を開き、被後見人や被保佐人であっても明石市の全職種の市職員採用試験の受験を可能とし、現職職員が被後見人になった場合でも失職しないと規定した。その後、2019年、国において成年被後見人等の人権擁護の観点から同法の改正がなされ、「成年被後見人等」は欠格条項から削除されたため、本条例も2019年に廃止となっている。明石市の条例制定が国の法律改正の一つの契機になったことが推測できる。
以上は「議案第20号関連資料 明石市職員の平等な任用機会を確保し障害者の自立と社会参加を促進する条例を廃止する条例(案)の概要」や「地方公務員法の欠格条項に関する質問主意書」(第193回国会、提出者=中根康浩)を参考。
[*9]「笑顔のタネあかし」や『社会の変え方』の目次扉を参照。
[*10]ここでの〈「自分の家のように感じる」(でも家ではない)複数の関係〉とは、地域コミュニティにおける関係ではなく、アソシエーション(共通の目的や関心に応じて自発的につくられる集団・組織)によるものを想定している。一方、冒頭に引いたエッセイではらだ有彩さんの挙げられたそれは、おそらくコミュニティ(地縁)に由来するものなのではないかと想像する。