愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに
少年からの手紙
カート・ヴォネガットという作家のもとに、ある日、ファンの少年から手紙が届いた。
そこには、こう書いてあった。
ぼくはあなたの小説のほとんどを読みつくしたので、あなたの作品の核心をつかんだと。
カート・ヴォネガットは、アメリカの作家。
代表的な小説に『タイタンの妖女』『猫のゆりかご』『スローターハウス5』などがある。
タイムトラベルとか、SFの設定をよく用いた人で、ユーモアがあって、でもシニカルで、魅力的な作品を描く作家だ。
「20世紀アメリカ人作家の中で最も広く影響を与えた人物」とも言われる。
1922年の生まれ。同じ年に生まれた日本人は、水木しげる、瀬戸内寂聴、 丹波哲郎など。
「愛は負けても、親切は勝つ」
さて、少年の手紙には、何と書いてあったのか?
それはこうだ。
これがヴォネガットの作品の核心だというのだ。
それを読んで、ヴォネガットはどう思ったのか?
なるほどと納得してしまったのだ。
これは『ジェイルバード』(ハヤカワ文庫)という小説のプロローグに出てくるエピソードだ。翻訳は浅倉久志。
本当にあったことなのか、ヴォネガットの作り話なのか、それはわからない。どちらにしても、この短い言葉が、ヴォネガットにとって重要であることは間違いない。
でも、この十四字だけでは、やっぱり意味がよくわからない。
「愛は負けても、親切は勝つ」
どういうことなのだろうか?
「わたしが知る唯一のルールというのはだね」
ヴォネガットは来日して、日本の作家の大江健三郎と対談したときに、「人間として何が最も重要と思うか?」と問われて、「Decency(ディーセンシー)」と答えている。
「Decency」は日本語に置き換えにくいが、浅倉久志は「親切」と訳している。
ヴォネガットは「Decency」を、「愛よりは少し軽いもの」「人に対して寛容で相手を尊重すること」と説明しているから、「親切」という訳は適切ではないかと思う。
ヴォネガットは、大学の卒業式でスピーチを頼まれたときにも、これから社会に出て行く若者たちに向かって、こう言っている。
これは『これで駄目なら』(飛鳥新社)という本に載っている。翻訳は円城塔。
他の作品でも、ヴォネガットは、親切が大切ということを書いている。
まあ、親切が大切というのは、わかりやすい。
反対する人はそんなにいないだろうし、たいていの人は納得できるだろう。
ただ、前半の「愛は負けても」というのが、わかりにくい。
「愛は負けても、親切は勝つ」という言葉は、愛は負けるかもしれないという絶望を踏まえているところが、ミソだろう。
それはいったいどういうことなのか?
愛より、親切を上に置いているところも意外だ。
愛は何よりも大切と、多くの人が言っている。愛が世界を救うというような言葉もたくさんある。
愛は難しい
しかし一方で、愛の名のもとに、たくさんのいさかいや争いも起きる。
三角関係や不倫というような恋愛関係の問題はもちろんのこと、神さまへの愛で宗教戦争が起きたり、愛国心によって戦争が起きたり。
愛は強いものであるだけに、逆向きに作用したときには、大きな悲惨を生み出してしまうことがある。
親の愛のように、美しい愛情と言われるものでも、子どもにとっては、重荷になったり、呪いになったりすることもある。
愛は難しい。
「愛すればそれで解決」というわけには、なかなかいかない。そこに愛の悲しみもある。そして、難しいからこそ、愛は尊いのだろう。
また、人を愛したほうがいいとわかっていても、愛するのは難しい。
人類愛に満ちている人でも、いざ目の前にいる一人の人間となると、どうしようもなく嫌いで愛せない、ということもある。
たとえば、嫌いな上司ひとりを愛するのだって、どれほど難しいか。
「愛よりは少し軽いもの」
その点、親切なら、まだできる。
愛することは難しいが、親切にすることは、それよりは簡単だ。
嫌いな相手にすら、多少の親切くらいなら、まだしもできなくはない。
ヴォネガットは、親切を、「愛よりは少し軽いもの」と言っているわけだが、この「軽い」ということが重要なわけだ。
だからこそ、なんとかできるし、より現実的なのだ。
そして、ちょっとした親切が、相手の1日をどれほど明るくするかしれない。
世の中には、誰にも愛されない人がいる。
親もなく、子もなく、恋人もなく、配偶者もなく、友達もなければ、自分を愛してくれる人はいない。
これはとてもつらいことだ。
かわいそうだと思っても、じゃあ、あなたがその人を本気で愛してあげられるかと言ったら、難しいだろう。
でも、親切にするくらいのことだったらできる。
その親切は、たかが親切だが、されど親切で、とてもかけがえない。
私は難病になったことで、そうした親切がいかにありがたいものか、身にしみた。
難病になっても、こうやって生きてきて、仕事もできているのは、親切な人たちがいてくれたらこそだ。
もし、人に愛されなくては生きていけないとしたら、これはとてもじゃない。生きていける気がまったくしない。
愛してくれなんてずうずうしいことを願う気持ちはないが、親切にはしてほしいと、すごく思う。
ヴォネガットの人生
愛が大切というような言い方に比べて、「愛は負けても、親切は勝つ」というヴォネガットの言い方は、すごく現実的だと思う。シビアなほどに。
きっと、かなりきつい体験をしてきた人なのではないかなと思ったら、やはりそうだった。
大学生のときに、ちょうど第二次世界大戦の最中で、ヴォネガットは陸軍に配属され、歩兵としてライフルを持たされて戦場に出される。そのことのショックもあって、彼の母親は、母の日に自殺してしまう。
ヴォネガットはドイツ軍にとらえられ、収容所に送られた。なんとか生き延びるが、味方の軍の空襲で死にかける。スローターハウス5という名前の地下の食肉倉庫にこもることで、なんとか助かっている。
戦争が終わって、サラリーマンになって、妻との間に3人の子供ができるが、姉夫婦が亡くなってその3人の子供も引き取ることに。8人家族になり、生活は大変だった。
離婚して再婚もしている。そのとき、再婚相手の子供も1人、引き取りる。
なんとか一発当てようと、新しいネクタイを考えて、シャツ会社に売ろうとするが失敗。新しいゲームを考えようとして、これも失敗。自動車販売店を開くものの、これも失敗。
小説を発表するが、なかなか評価されなかった。ようやく評価されたのは47歳のときで、もう執筆をやめようとしていたときだった。
その後もいろいろと苦労していて、家が火事になって死にかけたりもしている。
そういう人が、人生でいちばん大切だと思うことは、「親切」だったわけだ。
ヴォネガットは『スラップスティック』(ハヤカワ文庫)という作品の中で、こう言ってる。浅倉久志の訳。
忘れないようにしたい言葉だ。
ちょっとオマケ
もうひとつ、私の好きなヴォネガットの言葉を。
ヴォネガットは、ブルースやジャズがとても好きだった。
音楽で絶望を追い払えるとまで言ったら嘘になる。でも、「部屋の隅に追いやることはできる」。なるほど、それくらいなら、できるかもしれない。
愛せと言わず、親切にしろというヴォネガット。
絶望を追い出せと言わず、隅に追いやれというヴォネガット。
壮絶な人生に裏打ちされた、とても現実的な言葉は、なんとも味わい深い。