鮫島龍三郎さん五行歌集『喜劇の誕生』(市井社)
こんにちは。南野薔子です。
しばらく前になりますが、鮫島龍三郎さんの五行歌集『喜劇の誕生』がそらまめ文庫の一冊として市井社から刊行されました。
「ほっかりとして、温かく、おかしく、そして悲しい。」というフレーズが、この五行歌集を紹介するものとして五行歌の会ツイッターから流れてきます。たしかに「ほっかり」という語感がとてもこの五行歌集にはふさわしいと思います。使われている言葉は概ね平易でシンプル、温かみがあり、すっと入ってきます。
でも内容がシンプルかというとそうではない。シンプルな言葉のうちに、鮫島さんの経験や思索、感慨が何層にも折り重なっている。それをこれだけ平易に差し出すということはそう簡単にできることではないなあ、と感じ入りました。
内容的に温かさやユーモアを感じる歌も多いのですが、私はなぜか、内省や批判精神、悲しみを感じる歌に惹かれます。少し紹介します。
わたしは
わたしを
信じていない
この世で一番恐ろしいのは
自分の心だ
この世のルール
いつも
明るい ふり を
すること
人にも 自分にも
私は
子供たちに
希望を
語ることが
できない
私の欲が
私達の欲に
なると
なぜか
正当化される
広く深く、思索を重ねた末に、それらが平易な言葉での歌としてこうして生まれ出るまでの道のりを思います。もちろんそれは作者にしかわからないことですが、思索そのものと同じくらい、それをもっともよいかたちで歌にすることについても、真摯に心を砕いてこられたのに違いありません。
宇宙の過剰が
この体
体の過剰が
この心
心の過剰がこの歌だ
宇宙には物質と反物質が同量存在して両方消滅するはずなのに、なぜか物質がある、だから体がある。体の中で、神経細胞がやたらと活発になって心というものが生まれた。心というものがやたらと活発に働いたから歌ができた。この歌はそういう事実に沿ったものでもありますが、それ以上の、哲学的な深みを感じます。「過剰」こそが人間らしさである、という人間讃歌のようでもありますが、人間も歌も「所詮余計なもの」という自嘲の響きも感じ取ることができます。だけれどもそこから「所詮余計なもの、だからこそ楽しみ、よいものになろう」という肯定の心も読み取れると思っています。
初めての
二人の旅は
葉っぱが
みんな
輝いた日
素敵な「過剰」がぎゅっとつまったこの五行歌集が多くの人の手に届きますように。