伊東柚月さん五行歌集『青の音階(スケール)』(市井社)
こんにちは。南野薔子です。
今日は伊東柚月さん五行歌集『青の音階(スケール)』の感想です。
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伊東柚月さんとは、九州五行歌会でもうずっと以前からご一緒させていただいている。そして柚月さんは歌会の上位常連である。
今回『青の音階』を読んで、あらためて、印象に残っている歌がなんて多いんだろう、とびっくりした。あの歌も、この歌も、はっきりと記憶に残っている。
柚月さんは、つまり、五行歌の中に「印象の輪郭」を浮かび上がらせることが抜群に上手いのだ。ぴしっと、焦点が合っている。といっても、シャープで鮮明な歌い口ばかりというわけではない。繊細な歌、やわらかな歌、本当にいろいろなタイプの歌を書かれているのだが、それぞれのタイプに応じてのピントの合わせ方が絶妙なのだ。だからきっと歌会でも上位常連なのだ。
繰り返し読んでいるうちに「錬成」という言葉が浮かんできた。柚月さんの歌は「錬成」の賜物なのだ。それは、歌をどう書くかという技術等の錬成というよりは(それもあるけれど)歌を生み出す心自体の錬成なのだと思う。心そのものが深々と錬成されているから、そこから生み出す歌は輪郭が確かなものとなる。
その錬成の過程は、本当のところは柚月さんご自身にしかわからないことだと思うし、またご自身の経験等を安易に結びつけない方がいいこともあるだろうが、やはりきっと、この歌集に垣間見える、たやすくはない数々の経験によって錬成されてきたところは大きいのではないかと感じる。いや、経験が直接錬成したというより、経験をしながら、自らの心を錬成することをやめなかった強さが、歌にはっきりした輪郭を与えているのではないだろうか。
柚月さんにとってとても大きく重いだろうそれらの経験を直接指し示すような歌はあえてここには引用しないが、章タイトルにもなっている「それがなんだっての」の歌や「青い小花のワンピース」の歌は、月刊「五行歌」誌で読んだ時の衝撃をはっきりと憶えている。
ただ、それらの個別的具体的な歌が、不思議な普遍性をもって立ち上がってくるのが、柚月さんの歌のすごいところだと思う。全く同じ経験をしているわけではなくても、読んでいるこちらのどこかに、憶えのある感情、感覚を呼び覚ます。
人生の経験の歌だけではない。自然などを歌った歌でも、その感覚を読む側にたしかさを持って共有させてくれる。
少しだが引用する。
いよいよ
上昇するとき
羽ばたきをやめ
鳥は
風に一切をあずける
アゲハ蝶
ふわりふわりと
海を渡ってゆく
あなた一人足りないままの
夏を巻きとるように
この世の
底
のような台所で
魚の腑が (腑=はらわた)
てらてら光る
多彩な歌集だ。そのすべての側面を紹介しようと思ったら引用だらけになってしまう。錬成された心は、あらゆるものごとに的確に反応して歌を生み出すのだろう。恋の歌、家族の歌、さまざまなひととの関わりの中で生まれた歌、自分の歌、どことなくユーモラスな歌……。
それらのもの思いの極みのように、哲学的、いや、哲学というよりもっとやわらかな、包容力のある、そして凜とした心持ちの歌が何首もある。その中の一首が、読売新聞の編集手帳で三度も引用されたというこの歌だ(この世にある五行歌作品のうち、読んだ人ののべ人数が一番多いのはこの歌なのではあるまいか)。
いっそ
大きく凹もう
いつか
多くを満たす
器になるのだ
そして、歌集タイトルが『青の音階』であることに呼応するように、音楽と関連している歌も多い。柚月さんご自身、ピアノやキーボードを演奏してバンド活動もされており、歌(songの方の)の上手さも折り紙付きだ。だからか、歌そのものに音楽的な流れを感じるものも多い。その中から私の大好きな一首。
藍と茜と薄墨色の
溶け合うところ
空の果てまで
流れ 流れて
わたしはブルース
カバーの絵は柚月さんご自身が描かれたもの。実は私も、中学生の頃、水彩で青系の色をにじませて使うのが好きだったので、この表紙を見たときはなんだかなつかしく嬉しかった。
そして柚月さんのお名前が黄色で記されている。柚月という名前が、黄色やオレンジを連想させる色だ。そして青と、黄色やオレンジとは、色相環上でちょうど真向かいにある補色の関係である。
たゆたう、さまざまな青。それを補うように、バランスを取るように、黄色いひかり。この表紙の姿も、この歌集をみごとに象徴している。
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歌会仲間として、この場を借りてあらためて。
柚月さん、『青の音階』ご上梓おめでとうございます。
豊かな歌集を、本当にありがとうございます。