アンソロジーとしての『五行歌百人一首』
こんにちは。南野薔子です。
先頃出版された『五行歌百人一首』(鮫島龍三郎氏選・市井社)について、思ったことなど少々。この本の制作に当たっては栢瑚の水源純さんカエデさんも大活躍だった由。
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『五行歌百人一首』が刊行された。五行歌の会が立ち上がってから30年、その間に出された月刊「五行歌」誌全冊に加え、個人歌集なども読んでこの集を編まれた、その作業はとても大変なことであったと思う。敬意を表したい。また、私の歌も入れていただき恐縮している。
以下、文中では歌人の敬称を略させていただく。
百人一首と云えば、あまりにも有名な和歌のものがある。藤原定家選と云われてきたが、最近の研究ではどうやらそうではないらしいということのようだ。ただ、定家の選である百人秀歌というものが別にあり、それと百人一首はほとんどの歌が重複しているのだが。そして百人秀歌も百人一首も、それぞれに歌の配列に工夫を凝らしているということが云われている。歌の内容の響き合いのみならず、歌の作者の身分や歴史上の関わり合いなどもそこには映し出されているという。このあたり、岩波新書の『百人一首』(田渕句美子氏著)が面白かった。百人一首の五十番台には、大河ドラマ「光る君へ」でも注目が集まった女房歌人たちの歌が集中しているし、他にもたとえば、百人秀歌の配列をわざわざ組み替えて、七六、七七、七八で、崇徳院流謫の物語を浮かびあがらせようとしているなどがあるようだ(それぞれの歌は直接その歴史的事実に関連して詠まれたものではないのだが、歌を並べることでその物語が暗示されるようになっている)。
そういうわけで『五行歌百人一首』も歌をどのように並べているか、という観点から見て感じたことなど少し述べてみる。
配列の妙もありつつ、大まかには時代順に並んでいる和歌の百人一首と違い『五行歌百人一首』は歌のテーマ別となっている。和歌の百人一首が数百年分の歌からであるのに対し、五行歌の場合は三十年からであるから、たしかに歌の作成時順に配列してもあまり意味は持たないだろう。また、歌人どうしの間の歴史的関係などを反映させるにも三十年では早すぎるだろう。
それでも、この『五行歌百人一首』の歌の配列にも思わず唸らされるところがある。五行歌界の状況をある程度知っていれば、最初の章「恋・愛」の中に阿島智香子、小沢史、紫野恵の、いわば関西、関東、九州の恋歌を代表する三人が連続して出てくるところ(5,6,7)は、よくぞ並べてくれた! という感を持たれた方も多いのではないだろうか。
他にも、私としてはこの並びに唸った、というのがあるのであるのでいくつか挙げてみたい。
第二章の「わたし」の中の漂彦龍、樹実、伊東柚月の並び(15,16,17)は、私の自意識に響き渡る三連打である。第三章「宇宙・自然」の其田英一、高木郷子の並び(27,28)は「目の前のもの」から「大きな広がり」、「有」と「無」が対になっているよう。第六章「幸せ」最後の水源カエデと第七章「人生」最初の松山佐代子(63,64)は章をまたいではいるが、それぞれ子どもと大人の生きる真実という感じが印象的な並びである。第八章「生老病死」の金子哲雄と村松清美の並び(81,82)はそれぞれ「柘榴」と「桃」という鮮やかな果実を配しつつ、片方は死、片方は生を浮かびあがらせている。同じ章の中の村山二永といぶやんの並び(87,88)は手のひらの動作ということが共通しておりそれぞれ印象的で深い。
こういうふうに、単体としての歌の集まりとしてだけではなく、歌と歌の響き合いを味わえるのがこの種のアンソロジーの醍醐味と云えるだろう。そして、上に書いたように、五行歌百人一首の場合歴史的事象などが関係しているわけではないので、読む人それぞれ、どこに響き合いを感じるか、多彩な楽しみ方ができるだろう。
これから先、またいつか別の五行歌百人一首が編まれてゆくのか、和歌の百人一首のようにひろく人口に膾炙するものになってゆくのかはわからない。でも、百人一首というかたちでもそうでなくても、また何らかのアンソロジーが編まれてゆくだろうし、またそこで、アンソロジーだからこその味わいもあるだろう。そういう豊かさが今後も広がってゆくことを楽しみにしている。