【試し読み】比喩のはしごを降りてゆく ──コロナ禍と戦争の比喩をめぐって【たのしい授業】
今回は,月刊誌『たのしい授業』2020年8月号から,とくに反響の大きかった記事をひとつご紹介いたします。
新ことばノート(15)
比喩のはしごを降りてゆく
── コロナ禍と戦争の比喩をめぐって
村上道子 『ことばの授業』著者,元小学校教員
「せめて八百屋さんぐらいに」
ことばについて考えていると,しばしば比喩という表現に出会います。そして比喩というと,私は板倉聖宣さんの「先生もせめて八百屋さんぐらいになってほしい」ということばを思い出すのです。私はこのことばを初めて人づてに聞いたとき,板倉さんの意図がわかりませんでした。先生の仕事をどうして八百屋さんにたとえたのだろう,いろいろな野菜や果物を売っているお店が,先生の仕事と何の関係があるのだろうと考えましたが,ぴったりする答えはみつかりませんでした。
その後,板倉さんの講演集(『科学と教育のために』季節社1979年)でこのことばが出てくる話を読んで「あぁ,そういうことだったのか」と納得しました。板倉さんは次のように語っています。
八百屋さんは全部自分で考えて仕入れたり,値段をつけることができるのです。(中略)仕入れにも,小売りにも,自分自身の価値判断が全部入ります。その価値判断は,お客さんの価値判断に従属するといっても,お客さんの価値判断をかえていくのも八百屋さんです。(中略)みなさん自身が,「このことは本当に教えたい,だから教える」ということになれば,せめて八百屋さんくらいにはなれると思うのです。(『科学と教育のために』68ペ)
比喩はことがらの一面を浮き彫りにする
「八百屋さん」ということばにはいくつもの含意があり,人はこのことばから自由にイメージを描くことができます。各地の新鮮な野菜や果物が並ぶ店先,威勢のいい声でお客さんを迎える店主,市場でのせりの様子など,このことばから抱くイメージは人によってさまざまです。ですから比喩として使われる際は,使う人がこのことばのどの側面を取り出すかによって,比喩のもたらす意味は変わってきます。
板倉さんは,八百屋さんの「自分自身の価値判断で商売している」という側面を取り上げ,比喩として使ったわけです。その上で,先生たちも八百屋さんのように自分自身の価値判断をもって
仕事をしてほしい,それは「自分が本当に教えたいから教える」ということなのだ,と訴えています。
おそらく「八百屋さん」と聞いてすぐに「自分の価値判断で商売している人」を思い浮かべる人は,そう多くはいないでしょう。でもそこが比喩の比喩たる所以なのだと思います。八百屋さんと先生の仕事はそう簡単には結びつかない,その意外性にこそ,比喩らしさがあるのではないでしょうか。そこで私たちは,板倉さんは八百屋さんをそういう視点で見ているということに気づかされ,そのことが先生のあるべき姿につながっているということも教えられて,新鮮な思いがするのだろうと思います。
このように比喩を使うにあたっては,たとえることがらの一面が取りあげられ,その部分が浮き彫りにされます。同時にその他の要素は切り捨てられるので,比喩はある面を強調するために使われるともいえるでしょう。
コロナ禍と戦争の比喩
今回のコロナ禍への対応をめぐって欧米諸国では「戦争」の比喩が使われることが多かったようです。私が初めて戦争の比喩を知ったのは,たしか「フランスの大統領が〈コロナとの戦いは戦争だ〉と言ったのはなぜか」という説明のなかでした。その答えは「フランスでは戦争とでも言わないと,国民が政府の言うことをきかないからだ」ということでした。この説明には異論があるかもしれませんが,少なくともこういう解釈があるということは,「戦争ということばを持ち出せば,だれでも政府に従わざるをえないものだ」という社会通念が想定されているのだろうと思います。このころから欧米諸国はこぞって戦争の比喩を持ち出し,アメリカの大統領は自らを「戦時大統領」と呼んでいるといいます。
カナダ在住の日本人ジャーナリストで社会学者の小笠原みどりさんは「ビーバーテール通信 第 5 回 戦争の比喩が隠すもの」(2020.5.6)という文章で,カナダやアメリカでの「戦争」や戦争関連用語の多用を伝えています。たとえば,医療従事者やスーパーの店員など「必要不可欠な事業」で働いている人たちを「前線要員」と呼び,「前線のヒーローたちに感謝しよう」というメッセージが町にあふれているといいます。
戦争の比喩は,露わになった政治の責任(中略)を見えなくする。人々をひとまとめにして,感情を動員し,命令に服従させるのが戦争体制だからだ。お粗末な保健医療体制のツケを払い,防護服もマスクも足りない惨状に「前線のヒーローたち」があげている悲鳴を,人々の称賛でかき消しながら。
ここでは「戦争」の名の下に,人々が「ひとまとめ」にされ,「感情を動員」して「前線」で働く人たちを英雄視し称賛することを怪しまないという現実が語られています。このような情況は,他の国でも似たりよったりなのではないでしょうか。
日本では欧米ほどあからさまに戦争の比喩を語ることはないようですが,それでも「自粛」していない店を探し出して非難攻撃する「自粛警察」や,たまたま暑くてマスクを外していた人が「なんでマスクをしないんだ」と「マスク警察」に難詰されたというような話が伝えられています。戦争ということばこそ出さないものの,人々を挙国一致のムードに巻き込んでしまうこの見えない力は何なのでしょうか。おそらくはごくふつうの庶民がこのような言動に走るさまからは,伝え聞く戦争中の「隣組」や「非国民」ということばを連想させられて,不気味な感じがします。
文化の発達とともに比喩のはしごを登る
コロナ禍をめぐって戦争の比喩が持ち出されるのは,「戦争になればだれでも政府に従うのが当然」と考えられているからでしょう。ここでは戦争の含意のうち「国民を総動員して,命令に服従させる」という側面だけが浮き彫りにされ,「武器を使って敵を殺しあう」という戦争の原義は切り捨てられているわけです。
今回のコロナ禍に限らず,戦争ということばは実際に武器で殺しあうという原義を抜きにして,比喩としてさまざまな面で使われてきました。それは個人による折々の表現を超えて,今や「貿易戦争」「交通戦争」「受験戦争」など,「厳しい戦い」といった意味あいで決まり文句のようになっています。
このように,ことばが比喩として使われるうちに次第にもとの意味から離れていくありさまを,外山滋比古さん(英文学者)は「文化の発達は,われわれの認識に,比喩の梯子を登ることを命じる」(『日本語の個性』中公新書,1976年,118ペ)と言っています。
文化の発達とともに比喩のはしごを登っていくのは,ことばの宿命なのかもしれません。「革命」は「産業革命」「フランス革命」「ロシア革命」などの古典的な用語から,「流通革命」「IT革命」へとすすみ,「革命」ということばの変遷をたどるだけで世界史の一面が描けそうです。さらに近年は,「ラーメン革命」「ホテル革命」などと,身近なことがらにも気楽に使われるようになっています。
比喩のはしごを降りてゆく
「戦争」や「革命」の例で見たように,比喩のはしごを登ってゆくにつれて,ことばの原義は次第に生々しさを失い,記号化してゆきます。戦争の比喩は,「戦争」が「挙国一致」や「命令への服従」を示す記号として通用し,そのことを当然のこととして受け入れる素地ができていたからこそ,可能だったわけです。
しかし実際問題として,戦時でもないのに(戦時なら許されるというわけではありませんが)個人の自由な活動が封じられるという事態が起こってきています。そうなるとあらためて「本当の戦争だったらどうなるのだろう」と,戦争の原義を問い直してみたくなるのではないでしょうか。このように,比喩に使われたことばの原義に立ち戻ってみることを,外山さんは「比喩のはしごを降りてゆく」と表現しています。
戦争という比喩のはしごを降りてゆくと,戦争とは「(多くは)国家間で武力を用いて争うこと」であることを認めないわけにはいきません。一方コロナ禍は今や人類規模の問題であり,人々に求められているのは「国と国とが武力を用いて争う」戦争ではなく,その対極の「各国が知恵や資力を出し合う国際的な協力」であるはずです。
これまで戦争の比喩を主に「挙国一致や服従」の含意として見てきましたが,コロナウイルスとの「闘い」そのものを「戦争」にたとえる言い方も散見されます。しかし研究者の考え方として「感染症は撲滅できないものなのだから,コロナウイルスとは〈戦争〉ではなく(人的被害を最小化しつつ)〈共生〉を目指すべきである」というような話をよく聞きます。この点から考えても「戦争の比喩」は適切ではないことは明らかでしょう。
とは言ってもいま世界の現実は,国際協力の要であるWHO(世界保健機関)をめぐる米中の覇権争いが取り沙汰され,ワクチンの開発等の研究面でも,国際協力というよりも国際競争の様相を呈しているようです。このように今回のコロナ禍は,純粋に医療の問題としてだけでなく,国家間の利害や思惑が交錯する場ともなっていることが,事態をいっそう複雑にしているに違いありません。
そうであるならなおのこと,安易に戦争の比喩を語るべきではないでしょう。比喩はたいへん便利なものですが,比喩を使うことの危うさも考えてみる必要があると思うのです。(2020.7.13)
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