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そよそよと風が吹いています
森に朝がきました
静かな朝です
一番早起きの小鳥がピイと鳴くと
葉先を小さく揺らす青や緑の葉っぱたちの上で
しずくがキラキラと踊ります
しっとり湿った重たい土には
ひとつまたひとつ
動物たちの足跡がつきはじめました
そよそよと風が吹いています
丘の上の青い屋根の家では
女の子がパンを焼いています
小さな胡桃のパンが4つ
オーブンの中でまあるく膨らみます
黄色いレースのカーテンがふわりと揺れると
かすかに濡れた土と緑の匂いがしました
「あぁ、小さなレニの匂い!」
女の子と小さなレニは毎日一緒に遊びました
森で木苺を摘んだり
芝生で大の字に寝転んだり
川のほとりでサンドイッチを食べたり
どこに行くにも2人は一緒
柔らかい土を鼻で掘って遊ぶレニ
葉っぱの上にいたてんとう虫を鼻でつつくレニ
レニはいつも嬉しそうに尻尾をふりながら
女の子の隣にいました
胡桃のパンがきつね色に色づきます
女の子は庭に出ると
木陰でくつろぐ小さな老犬をぎゅっと抱きしめました
老犬は少しだけしっぽを動かすと
嬉しそうに女の子に鼻を押しつけました
そよそよと風が吹いています
町の外れの4階建ての古いアパートの屋上では
美大生が洗濯物を干しています
真っ青な空を仰ぐと真上に太陽が輝きます
Tシャツの裾が揺れてハンガーがキイと音を立てると
かすかに香ばしいナッツの匂いがしました
「あぁ、トンボおばさんのクッキーの匂い!」
町のまん中から西に5分歩いたところに
学校帰りの子供たちでにぎわうケーキ店はありました
大きなクッキーは1枚100円で
大きなめがねをかけたトンボおばさんが
中でも大きいのを選んで白い紙に挟んでくれます
自分の心と話すときにはそのまま
仲直りのときには2つに割って
夢を語り合うときには4つに割って
一口齧ると小気味良い音がして
口の中にナッツの香りがひろがります
白いTシャツはすっかり乾いています
美大生は100円玉をジーンズのうしろポケットに入れると
町の真ん中の方へ向かって歩いて行きました
そよそよと風が吹いています
夕暮れ時の商店街では
お母さんが慌ただしく買い物をしています
魚屋さんで鰆を3尾、八百屋さんで玉ねぎを買いました。
路地の金木犀がオレンジ色の小さな花をたくさん咲かせています
パン屋さんに向かう細い路地を曲がると
かすかに石鹸とお日さまの匂いがしました
「あぁ、わたしの赤ちゃんの匂い!」
赤ちゃんは穏やかな春の日に産まれました
柔らかいガーゼのおくるみに包まれたその宝物はお日さまの匂いがしました
一生懸命におっぱいを吸いながらうとうとする赤ちゃんを見守りながら
お母さんもうつらうつらしています
ゆっくり目を開けると赤ちゃんもゆっくりと目を開けます
人差し指で小さな掌をくすぐると
赤ちゃんもぎゅっと力強く握って応えます
ゆっくりと時間が流れます
パンを一斤受け取ると
両手に大荷物を提げながら
商店街を抜けて坂を登ります
ランドセルを背負ったやんちゃな宝物が
手を振りながら走ってきます
お母さんは両腕を広げて受け止めると
ぎゅっと抱きしめて頬っぺたをくっつけました
そよそよと風が吹いています
海辺の小さな木の家に
おじいさんは1人で住んでいました
夜空の星を眺めながら
紺色のマグでココアを飲みます
大きなあくびをして窓をしめようと手をかけると
かすかに甘い金木犀の匂いがしました
「あぁ、おばあさんの笑顔の匂い!」
おじいさんとおばあさんは長い時間を一緒に過ごしました
おじいさんはおばあさんの喜ぶ顔が大好きでした
おじいさんは仕事帰りに花屋さんでおばあさんへの贈り物を買います
金木犀やクチナシなど良い香りのする花に
おばあさんは何度も顔を近づけて喜びました
2人はよく手を繋いで海辺を散歩しました
太陽が反射してきらめく水面
規則正しく寄せては返す波の音
水平線に沈んでゆく夕陽
窓を閉めて厚手のカーテンを引きます
おじいさんはベッドに入ると眼鏡を外してランプを消しました
今日も目を瞑るとおばあさんを想います
そよそよと風が吹いています
そよそよと風が吹いています