日本の経済の自由度は管理通貨制度と代議制民主制がネックになっているのかも
通貨発行量と中央銀行
管理通貨制度は上の引用のようなものですが、金本位制度では経済が拡大して通過の需要が高くなった時、金保有量以上に通貨発行できないことがボトルネックになるのを回避でき、経済規模にあった通貨が発行できるというメリットがあります。
ただデメリットもあり、政策目標が政府や中央銀行と一般的な民衆の認識との乖離があったり中央銀行が経済規模を誤ったりすれば適切な通貨量が発行されないようにあります。
またあとで書こうと思っている代議制民主主義も関係してますが、政策目標が一部の層を優遇や搾取するものであって民衆を苦しめることになって直ちに政策目標や政府の方向性を変えさせることは出来ないです。
管理通貨制度はこのように運用者に左右され、世界が複雑化すればするほど運用者に高い能力が求められるようになり、運用者に対しての依存性が高まってしまいます。国民主権でありながら、国民の多くの意見が通りにくい構造がここに出来上がるわけです。ここまで言っていいものか悩みますが、太平洋戦争の時のように全体主義的な体制になる可能性をもち、少しのことでなってしまうでしょう。
代議制民主主義にある潜在している危険
代議制民主主義の本を買って積んでいたので、この機会に読んでいてまだ一章を読んだところですが、やっぱり民主制というのはいろいろ難しいようです。歴史的に見ると支持層を巧みに作り、一部の人間が権力を握ることを認めさせようと手をまわす勢力がいつの時代にもいて、議会が公平感を欠くような事態に陥りやすいようです。
さまざまな対抗策をとってもかわるがわる自分たちに権力を集中したい勢力が出て画策するようで大衆の見る目がないとすぐ堕落するようです。何かの改革が必要ですが、選挙が利益集団に左右されている日本の現状では難しいです。
利害当事者の意向に沿いやすい構造をした代議制民主主義で、利害当事者が暴走し始めた瞬間太平洋戦争に向かった時のようになるかもしれません。全体主義は特に特殊な状況で成立するのではなく、ちょっとした日常のほころびが原因かもです。
どうやってボトルネックを避けるか
上の二点だけではなく、政治の腐敗などボトルネックは多いけど、解決策は何だろうと考えたところ、なるべく議会や政府や中央銀行が動かなくても通貨発行量が市場に合わせて変動するようなシステムにしたり、成田悠輔氏が『22世紀の民主主義』で書いているように何らかのアルゴリズムをシステムに導入してハックする方法があると私は思ってます。
MMTは管理通貨制度上でしか成り立たない理論で理論にのっとった政策は結局中央銀行や政府の動きに左右されるので、経済システムを語る理論としては不完全です。主流派のモデルもよくないですが、MMTにのっとった政策をすればうまくいくという言説はそもそも議員や政府や中央銀行にしたい、もしくは無意識にさせるようなものでない時点で、新しく作る理論としては失敗ではないでしょうか。
国家を集合として見ると法律は公理?
唐突に数学の話をしますが、集合論を勉強していくと思うのですが公理系によって集合の性質や制限が決まっているように見えます。まあ私が数学あまり得意ではない民だからそう見えるのかもしれませんが、この視点を政治とかに置き換えると国家は人の集合で憲法や法律が公理にあたるのではないでしょうか?
犯罪を犯す人が出ないように刑法があったりでちゃんと法が人の動きを制限しようとしています。しかし裏金問題や献金問題など政治家の汚職があるのはちゃんと法がないのではないでしょうか。正直憲法50条の通称不逮捕特権は改正させるべきではないでしょうか?逮捕される危機感がないので政治家は裏金を作り続けるのではないでしょうか?岸田首相の処罰が甘いという批判が出ていたようですが、正直身内に厳しいこと出来るわけ無いのは自明なので、不逮捕特権に制限をかけるようにするべきでは?9条より焦点を当てるべきかもですね。
まとめ
別に本気で管理通貨制度と代議制民主制がだめだとは思わないけど、日本の現状を考えると重石になっているなと感じます。どの政党にも支持母体があり、その利害関係者の意向に沿ってしまうようです。中央銀行は民衆と感覚がずれることがあります。