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「束ねる、という行為の美しさについて」

花屋さんと縁がない人生を送っているんですが
一度だけお花を買いに行ったことがあります

それは確か小学生の頃
それは確か母の誕生日
父に千円札をもらい、花屋さんにおつかいに

もう閉店してしまいましたが
実家から歩いて15分ほどの花屋さんがありました

お店に入った時、色彩豊かな店内に感動したのと同時に、色んな匂いがあり過ぎて少し苦手かもと思ったことも覚えています、今でも匂いが多い場所は得意ではないのだけれど

今思い返すと千円では利益が出るのかと思うような大きさの花束を作ってくれました、それも色とりどりの花束

二進数で2に達しない年齢だったにも関わらず
「美しい」と感じたような、そんな情動

さて
束ねる、という動詞、その行為
そこにいいようのない美しさを感じます
今回はその輪郭をなぞってみるnote

誰かに対して発する言葉、文章
それ自体が束ねたものではないでしょうか
一つ一つの単語、助詞、一つ一つが選択の連続

文章に対して対応する動詞に
「紡ぐ」がありますね

どうにも好きで、使いたい
でも文章ならいいけど
声に出すと少し気恥ずかしい

「文章紡ぐわ」
といってパソコンに向かおうものなら
どんな傑作を生む気かと期待されてしまうやも

しかし
束ねる、に近しい感情が紡ぐに対してはあります
言葉、糸、人脈、感情、人生
単体としても成立するものを、願いを込めて合わせていく、撚り合わせる。そこに献身に近い祈りが存在してほしい

花束はその一例として象徴的な存在です
大好きな広告に
「花は、僕よりずっとおしゃべりだ」
というものがあります

花言葉やカクテル言葉の類が大好きなもので
この広告もビジュアルとしてもコピーとしても大好きです

相手を想い、選択する
言葉を、花を。そうやってできた文章であったり、花束であったり

私が働くバーの名前は「ブーケ」と言います
そんなところから浮かんだ文章
おしゃべりがすぎましたかね



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