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【小説】神社の娘(第43話 橘平と桜、野宿する)

「うわー、今日、野宿だあああ…」 

 桜は早朝の境内掃除をしながら、思わず口にしていた。今日はあさひもおらず、一人だ。

 そう、本日は桜が必死に勝ち取った「野宿の日」である。楽しみで眠れないという経験がなかった桜は昨夜それを初体験し、今朝はちょっとだけ寝不足である。

 実際は八神の親戚からテントなどを借りて行う春キャンプ。桜にとっては野宿でもキャンプでも、名前なんてどっちでもいい。友達や同年代と、楽しそうな遊びができることが嬉しいのだ。

 家から八神家への道中は、用心に用心を重ねた。バイクの速度は抑えめに、誰も見てないこと、見られても問題ない村民かをよく確認しつつ、八神本家を経由して、夕暮れ時には橘平の家までたどり着いた。

「いらっしゃい、桜さん!」

「こんにちは、こんばんはかな?あ、そちらが」

「大四優真です。橘平くんからお話は聞いてます。優真と呼んでください」

「では優真さん。桜とお呼びください」

 桜の笑顔。優真は桜の背景に、犬小屋ではなく色とりどりの花々が見えた。

「……じゃ、じゃあ桜さん、で」と、恥ずかしそうに答えた。

 優真は女子が参加すると聞き、もちろん「彼女!?」と反応した。しかし橘平から家柄を聞き「それは絶対違うね。お伝え様ね」とすぐに取り消した。ちなみに優真も一宮に同年代の娘がいたことは知らなかった。

 また、彼女がお忍びである事、今日の事が絶対に家にはバレてはならないということも伝えた。

 口は軽いほうではないはず、と橘平が信じて話したところ「いいね、僕たちだけの秘密。映画みたいでいいね」と変にノリ出してしまった。なんにせよ、この秘密をばらすことはないだろうと思われる。

 自己紹介も済み、彼らは夕飯の材料や食器などを持ち、早速、テントのある場所へ向かった。テントはすでに、明るいうちに橘平と優真、そして橘平の祖父の力を借りて設置してある。桜用と男子用の2つだ。本当は桜も一緒にテントを張りたかったのだが、家のことで夕方からしか参加できなかった。

 歩きながら、優真は自分の趣味の話をし、桜にも何か趣味や好きなモノ・コトはあるのか、という質問をした。

 桜の好きなものは猫や犬、通学時のバイクの風、趣味は読書だという。小説、漫画、その他さまざまなジャンルを読むということで、優真が好きな海外小説も読んだことがあった。

 そこに優真は食いつき、桜と感想評論大会を始めていた。クラシカのプラモを作ったときもそうだが、桜は意外と作品について語れるタイプだった。

 好きな事。趣味。ハマれるもの。語れるもの。

 ずっと好きでいられるもの。

 そういうもののある人が、橘平は昔から羨ましかった。彼は語れるほど「好き」がない。走るのは嫌いじゃないから陸上部、映画をみるのも嫌いじゃないから優真とつるむ。特に好きな教科もない。趣味もない。

 橘平は祖父をぼやっとしている、と思うこともあるけれど、祖父にはプラモデル作りという立派な趣味と技がある。本当にぼやっとしていて、何もない自分に時折、切なくなることがある。

 二人が楽しそうなのは嬉しい。だけど二人の放つ「好き」がまぶしくて、割り込むことははばかられた。橘平はただただ、語り合う二人をにこにこ眺めるしかなかった。早速、桜は優真と友人になれたようだった。

 俺も好きなものが、趣味でもハマれるものでも何でもいい。

 好きが欲しいなあ。

 

 彼のどうでもよくて、どうでもよくない、昔からの悩みだった。

◇◇◇◇◇

 テントを張った場所に着き、3人は早速、夕飯の準備に取り掛かった。

 折り畳みテーブルの上にコンロを置き、持ってきた大き目の鍋に、持ち運びが意外と大変だった2Lペットボトルの水を注ぐ。水大変!と言いながら、3人はそれぞれ2本ずつ、リュックにいれたり手に持ったりして上までやってきた。テント張りの際にも、いく本か持ってきている。

 沸騰したところで、即席ラーメンを3つ投入した。味は優真のリクエストで塩だ。

「具はこれ。うちで用意したねぎとわかめ。あと優真が持ってきてくれた手作りチャーシュー、煮卵」

「優真さんチャーシューと煮卵作れるんですか、すごいです!」

「いや、こんなのさ、動画見れば作れるよ。ま、まあお母さんと、だけどさ」

 優真は親友の橘平が今まで見たこともないほどに照れていた。こんな反応するのか、と新鮮だったし、友達のちょっとかっこつけてさらに照れる姿は、恥ずかしい気にもなった。お母さんと作った、で、かっこつけるのもチグハグでおかしかった。

「葵兄さんには絶対無理よ、動画見たって」

「桜さん、お兄さん居るの?」

「お兄さんみたいな存在の人。ご存じでしょうか、三宮葵さん」

「知ってるよ、かっこよすぎて!」

 魔法とサメにしか興味のなさそうな優真ですら、葵のことを知っている。橘平は向日葵の幸せな行く末を願いながらラーメンの行方を見守った。

「あのかっこいい人は作れないの?」

「頑張ってはいるんですけれど、全然、料理が上達しなくて。頭はいい方なのですけど。不思議」

「葵さんこそ向日葵さんに料理教わればいいのになー」

 と橘平は菜箸でラーメンをほぐしながらつぶやく。向日葵、に優真が食いついた。

「え、ちょ、向日葵さんて」

 口が滑った、と橘平は口に手をあてた。鑑賞会に彼女を誘おうとはしていたが、今、口にするタイミングではなかった。失態だ。

「え、き、き橘平く、くんは、もしや、ひ、ひま、向日葵さんとお友達、なワケ?」

「う、あ、うん、実は、友達??っていうか」

「なんで!?なんで教えてくれなかったんだよ!?」

「いや、俺も友達??になったのは最近なんだよ、そ、その桜さんのお友達なんだよ、向日葵さんは!」

 桜が鍋にスープの素を入れて、橘平が置き去りにした菜箸でかき混ぜる。

「ラーメンできましたー」

 男子二人が向日葵をめぐってなんだかんだ言っている間にラーメンはできあがり、桜は丼型プラスチック容器に麺とスープをよそう。慌てて、橘平と優真が具を載せた。

 ふわっと湯気があがり、即席特有の食事とスナックの中間のような香りが広がる。

 いただきます、と3人は手を合わせる。

 男子二人は早速割りばしで麺を勢いよくすする。桜はじっとラーメンをみつめ、鼻を近づけじっくり匂いを嗅いでいた。

 その姿に、そうだ初めてのラーメンなんだ、と橘平は見守っていたが、優真が声をかけた。

「桜さん、食べないの?」

「あの、私インスタントのラーメンって初めてでして。まずは見た目と匂いを楽しんでいるんです。じゃあ味も楽しみましょう」

 と、桜はずずっと初即席麵を口に含んだ。よく噛んで味わっている。

 スープも飲む。

 その様子を見届ける二人。

 ごくん、と桜が飲み込んだ。

 二人も桜の感想をごくんと待つ。

「うん、美味しい!」

 暗闇の中で唯一光を放つ竹のような桜の輝く笑顔に、男子二人はよくわからないがとてつもなく嬉しくなって、抱き合った。

「じゃ、じゃあ、その僕が作ったチャーシューなども」

 かしこまりました、と桜はチャーシューを小さく一口かじる。その小動物のような食べ方が可愛らしいなあ、と橘平はいつも思っている。

 煮卵も食べて、と優真が薦めた。

「どっちも味がしっかりついてて、美味しいです。さっぱりした塩ラーメンと合います!うん、すっごく美味しいな~」

 周りはすでに暗くなっているのに、桜だけまぶしい。優真は手を合わせ、うつむく。まるで拝んでいる格好だ。

「え、優真」

「いやなんかさ、桜さん、すっごい褒め上手だね…涙が」

「ちょっと優真さんたら、本当のこと言っただけで」

 幸次も大粒の涙を流していたが、桜は人を感動させることができる存在のようだと橘平は思った。

 それについて、優真がこう表現した。

「それが…刺さるよ…。桜さんはそうか、一宮の人だから神なのか、そうだアイドルなんだ…!誰もが信じ崇める最強無敵の一番星!」

「向日葵さんが優真のアイドルでしょ。浮気?」

「違うよ!向日葵さんは憧れの女性、桜さんはアイドル、そう、偶像なんだ!やっぱり神社の娘さんだ!」

 どう違うのか橘平にはさっぱりで、優真からは「辞書引けよ!」と訳もなく怒られた。

 桜は「アイドル」などという優真の言葉に、恥ずかしくなってきてしまった。

「そんな大した人間では」と、胸の前で両手を左右にふる。

「無敵の笑顔のアイドルです!」優真は強調し、さらに「ああ、アイドルですからスキャンダルには気をつけてくださいね。スキャンダルはノーサンキュー、清いイメージで、正しく美しく、ですよ」そう付け加えた。

 桜の気持ちは恥ずかしさから困惑に変わる。優真に抱いていた印象が「本と映画が好きな、明るくほのぼのしている人」から「ちょっと面倒な人」にだんだんと塗り替えられていく。

「え…ええ、気をつけますね」

「橘平くん、マネージャーとして守ってあげるんだよ? 変な虫がつかないように」

「ま、まねーじゃー?」

「そ、そーだわ優真さん! クラシカ・ハルモニの第1期鑑賞会をなさったって橘平さんから伺ったんです。お詳しい方の解説付きとか。私も好きなので、ぜひ解説付き第2期鑑賞会にお招きいただきたくて」

「もちろんです!! ぜひ!!」

「日にちはいつなんでしょう。実はその、土日だったらと…」

「じゃあさ、今度の土日はどうですか? 春休み最後の土日」

 ちょっと、お待ちを、と桜はスマホを取りだした。隣に座る橘平がちらとのぞくと、向日葵にメッセージを送っていた。

「スペシャルゲスト…」

「わ、のぞかないで!」

「ゲスト?」

「もう一人、鑑賞会に興味ある人がね。あ、よっしーにも聞かなきゃ」

 橘平がよっしーにメッセージを送ると、時を置かずに<承知>と返って来た。

 向日葵も<OK!楽しみ!>ということで、鑑賞会の開催が決まった。

 それからはテーブルの上のランタンの灯りを囲んで、学校の事、日常のこと、趣味の事、好きな食べ物…「どうでもいい」雑談をした。特に記憶に残るようなトピックなんかない、ただのおしゃべりだ。

「でさ、小学校の修学旅行の時、橘平くんたら」

「ちょちょちょその話は」

「いいなあ。楽しそう」

 桜の羨ましがり方に、橘平は違和感を持った。寂しげで、物欲しそうなのだ。

「そういや、桜さんって修学旅行どこ行った? 私立だから海外とか?」

「私、修学旅行いったことないの」

「なんで!? 当日具合悪くなっちゃったんですか!?」

「ううん。親がダメって。危ないから」

 さらに桜は林間学校も、遠足など校外学習すらも、参加したことがないらしい。

「いやあ、お嬢様なんですね。大四家と大違いだ」

 もちろん橘平も衝撃ではあったが、もう何をやってないか聞いても「そうかもな」の域である。スーパーに行ったことがなかったほどだ。

「お嬢様というのか分かりませんが…少しおかしい家なんですよ」だから、と桜は続ける。「同年代とこうやって夜にお喋りできるのが、とても楽しみだったんです。優真さん、企画してくださってありがとうございます」

 う、ううう、と優真は涙を流して感動し始めた。

「こ、こんなことで喜んでもらえるなんて…桜さんはやっぱり神ですか」

「人間ですよ…」

「じゃあやっぱりアイドルだ! 天才アイドルだ! Genius Idol!」

 桜は苦笑いで返し、橘平のほうに向きなおる。

「橘平さんも、参加させてくれてありがとう!」

 そのほほえみが、橘平にも神に見え、拝みそうだった。

「これが、桜さんにとっての初めての修学旅行かな?」橘平の膝上の手は拝んでいた。

「どっちかというと林間学校だね。ランタンがキャンプファイア代わり」

「わあ、初めての林間学校! 楽しいね!」

 向日葵と葵が長年、桜の隣に居たのは家の事だけじゃない、この素直な心と接していたからではないか。そう感じた橘平だった。

 それじゃあ、と優真が提案する。

「初めての遠足も今度、どうですか?」

「いいですね、遠足!」とはしゃぐ桜だった。

 

 たわいもない話で、夜は更けていった。

 今しかない話題でおしゃべりできることが、桜にとってはとても楽しく尊い時間だった。友人を持たずに育ち、神社の跡を継げばさらに村人たちとの関係作りに追われて友人どころではない。一生、友人という存在とは無縁。諦める前に持てる期待もしていなかったのに。同年代と遊ぶ日が来るとは、思ってもみなかった。

 本当に「なゐ」を消滅させられるのか。桜はずっと不安だった。先生の話以上の手掛かりはみつからない、タイムリミットだけ近づき、とうとう17歳になってしまった。

 それが、橘平に出会って光が見え始めた。

 彼なら、友達の橘平となら、きっと大丈夫だ。

 すべての不安がはれたわけではないけど、そう感じることが増えている。

 それだけでなく、桜は橘平と出会ってから、少しずつ、心が変化している。家族、親戚、学校の人、全ての人に感情を隠してきた。唯一、素のままでいられるのは向日葵たちの前だけ。とは言え、彼らに自分の全てを曝け出すことはできていない。でも、橘平には蓋をしているどろりとした感情まで吐き出せそうである。

 葵と向日葵も、橘平と出会ってから変わり始めている。

 彼らは生まれてからずっと、しなくていい苦労を、たくさんの我慢を積み重ねてきている。特に菊が亡くなってから、それらは上乗せされている。

 向日葵は元から明るく親しみやすい性格ではある。しかし苦労や我慢、悩んでいる姿を人に気取らせないように、そして隠すために、もともとの性分に加えて自己を過剰に「演出」している。先生と出会って目覚めて、好きなファッションやメイクに身を包んではいるが、これもその一つで、元々の趣味より過剰に装っているのだ。それが橘平に出会ってから「演出」が薄まってきた。リラックスした表情が増え、声にも優しさがあふれている。

 葵は顕著に人間らしくなってきている。以前は整いすぎている容姿もあって、冷たい機械のようだった。最近は薄い笑顔ではなく、心からの笑顔をみせるし、橘平と話している時なぞはいい意味で隙があって少年のようだ。子供の頃のような彼に戻りつつあると、桜は感じている。

 

 楽しい会話は続いたが、次第に優真が船を漕ぎ始めた。

 そろそろ寝ようと、三人はテントに入っていった。

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