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アンリ・ルソーと『デビルマン』

 今年の正月、私は風邪をひいてしまった。
 風邪を引いてなかったら行きたいところもあったのに…「不覚」としか言いようのない事態ではあるが、後悔しても仕方ない。正月休み明けで通院の予定もあったので私は自宅に引きこもり、風邪が治るのを待つこととなった。

 そんな風邪をひいたときに見る映画と言えば、そう、デビルマンである。

 見慣れているようでいて実は初見だったりするのだが、噂に違わぬヒd…すごい映画である。
 漫画版のディストピア的な世界観を表現現しようと、10億円もの制作費用をかけ、VFXを駆使したというが、とにかく主演を中心に、その演技力が桁外れている。

 どれぐらい「すごい」のか、実物を見ていただくのがベストではあるが、該当するサブスクリプションに入っていないから観られない、そんなもの観るほど私は暇ではないという方もいるだろう。とりあえずここでは、こんな動画を添付することでご容赦いただきたい。

 ちなみに私がFilmarksでつけた点数は1.3(Filmarksの平均は1.6)。
 だいたい3以上をつけることが多い私としてはぶっちぎりの低得点となったわけだが、この作品に限っては、「こんなもん観るな!」とはなぜか思わない。むしろ、モモと妖怪の話がしたくてたまらないオカルン(©️ダンダダン)よろしく、「『デビルマン』の話がしたい…!」と思っている自分がいることに気づく。さながら「デビルン」と言ったところだろうか。

 それは独りよがりな感覚なのだろうか。
 仮に独りよがりでも決して構わないのだが、私はある芸術家のことをふと思い出していた。それは、19〜20世紀に活動したフランスの画家、アンリ・ルソーである。

アンリ・ルソー(1844-1910)

 技術に限って言えば、決して上手とは言えない画家である。しかし、技術的な問題をあげつらって彼の絵を『観る価値なし』などと判断していると、思わぬ傑作を見逃すこととなるかもしれない。

《夢》(1910)

 単にピカソやローランサンといった有名画家が絶賛しているから、ルソーの作品が「古典」として残っているわけではない。今もルソー作品が残っているのはそんな表面的な未熟さを超えた不思議な魅力が、少なくない数の鑑賞者を虜にしているからに他ならない。
 言い換えれば、ルソーの絵にはただのヘタウマを超えた、魅力的な「何か」があるのだと言える。

 ルソーの絵画とはだいぶ別のベクトルかもしれないが、「デビルマン」にも同じことが言えるのではないか。方向はともかく、絶対値としてはその「何か」があるように思える。演技・演出・BGM・編集…「悪いお手本」として逆に教科書扱いされるぐらい、確かに問題点だらけの映画ではあるけど、考えてみればお手本になること自体、実はとんでもないことである。
 何度も振り返って観るような映画ではないのかもしれない、しかし、是非一度「観てほしい」と思ってしまうのはなぜだろう。

 私が「何か」と呼ぶそれが具体的になんなのか、『デビルマン』に関しては正直わからない。
 ただ、作品は上手だから良いというものではなく、むしろ不完全さがあるからこそ、逆にその魅力が際立ってしまうこともある。砂糖を引き立てるための塩のようなもの…というのは言い過ぎだろうか。『デビルマン』もまた、そうした不完全さゆえに、むしろその魅力を放つ作品…なのかもしれない。

 今自分が目にしている作品が100年後、1000年後も評価されている作品であるかどうか、私にはわからない。ただ、今は言語化できなくても、観る人を惹きつける「何か」がある限り、ぶっちゃけヘタクソでも、作品は時代を超えて残り続ける「古典」となる。それだけは確かに言えると思う。

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かろ(ペーパー学芸員)
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