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ルチャーノ・ステルペローネ(小川熙訳、福田眞人医学史監修)『医学の歴史』原書房
…同じタイトルの本の感想文が続いて恐縮ですが(笑)
ステルペローネは1924年生まれのイタリア人病理学者・医学史家。医学知識の啓蒙・科学ジャーナリズムにも関心を持ち、国営放送(RAI)の医学番組のディレクター・コメンテーターを28年間務めていたと略歴にはあります。イタリアでは100冊以上の著作を誇る著者とのことですが、日本語で訳出されているステルペローネの著作は本作のみ。
そして本書の和訳を担当する小川熙は元美術新潮勤務の美術評論家。イタリア美術史を研究し、大学教授としての活動歴もあります。医学史とは異なる分野の専門家ですが、「訳者あとがき」によるとどうやらペルージャに滞在していた際に見つけた本で、読んで面白かったことが訳出のきっかけになったとのこと。
本書、そしてこの著者の目的が一般的な読者への医学知識の啓蒙であり、その意味では畑違いの小川氏が面白く読み、日本語訳を担当していること自体、本書の目的は果たしていると言えるでしょう。註や引用出典も明記されていない点も特徴的で、読み物としてのリズムを意識されているという印象でした。ただ、正確に内容を突き詰めたかった私としては
「本当はどっちなの?」
と、いちいち疑ってかからなければいけないのは正直残念なところでもあります。
本書はそんなイタリア人の著者による著作ということもあり、日本の医学史に関する記述は皆無。私は前回紹介した梶田昭や坂井建雄、小川鼎三といった日本人著者による医学史を読んでいたので(どれも新書・文庫で読めます)、日本の医学史に関する記述がないこと自体がちょっと新鮮だったりもしました。
その一方、古代インドに関する記述がだいぶ手厚いのが特徴的。ただその正確性に関しては、前述したように吟味する必要がありそうです。
特にバラモン時代の解剖学に関する記述ですが、小川版『医学の歴史』では優れたバラモンであったススルタ(スシュルタ)の医学書『スシュルタ・サンヒター』について「人体の解剖もなされていたに違いない」と推測する一方、ステルペローネは宗教上の理由で人体解剖が禁止されていたことを背景に、同じく優れたバラモンであったチャラカによる『チャラカ・サンヒター』について、「その解剖学はあくまでも人体の外部からの観察に基づいていた」と懐疑的な見解を示しています(実際、骨の数などで実際の数よりも100以上離れているなど、不正確な記述が見られます)。
バラモンは『マヌ法典』を守るべき司祭階級であることなどから、おそらくステルペローネの見解が正しいようには思います。が、いずれにしても『チャラカ・サンヒター』や『スシュルカ・サンヒター』、加えてマヌ法典など、実際の本にあたる必要はありそうです(大変だな…)。
このほか、興味深い記述もあります。
たとえばコロンブス以前のマヤ文明においては生殖器を中心に、優れた解剖学・生理学の知識があったとのこと。一般的に原始・古代の社会では宗教的見地から人体解剖についてネガティブな風潮が当たり前なので、宗教・祭祀的側面の強い文明の中でも(おそらく)科学的な解剖学を育んだ、その背景は気になるところでした。
また、医師に博士号の取得を義務付けたのは第一統領時代のナポレオンであるとか、だいぶ懐かしい某番組のように「へぇ」と言いたくなるようなエピソードもございます。個人的には伝記などでも読んだことがある、ジェンナーの種痘の話にも改めて興味が沸きました。
読み物としての意識が強いあまり、その正確性について読者が各自吟味しなければならないことは残念ですが、それを差し引いても「捨て置けない」魅力があると思いました。上に示したように、類書と読み比べて楽しむのがよろしいかと。