両刃の嗅覚
地元から電車で移動し、新宿駅に降り立ったとき、
「こんなに…だったのか!」
と、その匂いに驚いた記憶がある。
昨春、「コロナ禍」というものに世間的に一区切りがつけられ、マスクの有無にそれほど目くじらを立てなくて良くなった頃の話だ。どんな匂いかはあえて表現しないが、一言で言うならまさに「都会の匂い」だった。
新宿には美術館もライブハウスもあり、そこまで頻繁ではないが過去に何度も訪れている。JR新宿駅で下車し京王線なり京王新線なりの私鉄に乗り換え、別の場所に移動することもある。
しかしその匂いは不織布マスクをしていたころはもちろん、コロナ禍以前、つまり2019年以前にも感じなかった匂いだった。不思議である。こういう感覚は普通、年を取るほどに衰えていくものなのに…。
地元ではないスーパーに入った時も、店内の「匂い」に対し、やや過敏に反応してしまったこともある。
これに関してはビルの地階というスーパーの立地や、そもそも私がスーパーに行き慣れていなかったというのもある。しかし、スーパーの店内に入った瞬間、生魚や揚げ物なんかが入り混じった匂いに、思わず眉間にシワが寄ってしまった。なんとか我慢して買い物こそできたものの、もう少し体調が悪かったら不快感に耐えかね、何も買わずに出てしまっていただろう。
「慣れ」もあったらしく、今現在はそこまで強くは感じない。しかし、東京方面に出ればあの「都会の匂い」はほんのりと意識しているし、地元でもスーパーに行けば(眉間にシワが寄るほどではないが)やはりあの匂いの存在を感知してしまっている。やはり長いマスク生活の影響で、私は匂いに敏感になってしまったのだろうか。
しかし、匂いに敏感になることは決して悪いことばかりではない。悪臭を受け取ってしまうこともあれば、良い匂いというものを以前以上に意識するようになってもいた。
最近海辺に散歩に出た時、入口の防砂林の匂いが以前以上に強く感じられた、ということがあった。それは生い茂る葉の匂い、埃とは似て非なる、湿度のある土の匂い。
海岸近くに出ると、生ぬるい潮風が吹く。まさに磯の香りだ。その時の気温は確か33℃とか、長時間いるには危険な気温ではあったが、その風のおかげもあり、普段の日常生活で感じる灼けるような暑さは感じない。
それはまさしく「懐かしい匂い」。大昔に家族で海水浴に行ったとき、あるいは中学の授業で海に出たときのあの匂い。
暑さもあり、私は15分ほどの散歩で街へと戻っていったが、フッと、それだけのことで自分の心が軽くなってくれるような気がした。できることならもっと長く、この匂いにもっと包まれたいとも思っていた。
そう思えるのなら、この感度高めの嗅覚も決して悪くない。