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大沢夏鈴
2021年10月29日 22:51
「落ち着きましたか?」 どれくらい時間が経ったのか、震える肩が止み始めたころに彼女の声がかかる。涙でこすってすっかり赤くなっているであろう目元を最後に擦って、顔をあげれば穏やかな表情でこちらを見つめている野宮さんがいて、その姿にほっとする自分がいた。 たどたどしく、ちゃんと自分の気持ちを吐き出せたかは定かではない。だけどなんだか心の中で渦巻いていた感覚がスーっと溶けていったような気がする。
2021年10月27日 23:17
「野宮、時子、さん」 彼女の名前を復唱して、馴染んだ感覚が私の身体に巡っていく。 柔和な印象に似合う名前だと、率直に思った。「いい、お名前ですね」「あら。そんなこといってくれると嬉しいわ。私もとっても気に入っているから」 そう言って笑う彼女に、釣られて私も強張っていた頬が少しだけ緩む。野宮さんが放つオーラはなんというか癒されるというか、さっきまで張り巡らされていた緊張の糸を一切の違
2021年10月26日 23:12
暖簾をくぐったその先は、やっぱり私がいていいような場所じゃないと改めて感じた。 和装の外観に劣らぬ内装は、カウンターが四席、テーブルが二席のこじんまりとした空間だ。しかしながらそこで纏っている空気はとても私のような人が入っていいような空間ではない。もっと上の、私の上司よりも上の人たちが来るような場所だとわかって、私の足は再びすくみそうになる。「お好きな席へ、どうぞ」 玄関先で立ちすくむ
2021年10月25日 23:21
あそこに行きついたのは、本当にただの偶然であった。 買えり間際に発覚した、大型連休前の確認漏れ。それに対して私の明らかなミス。一年目だからといっていつまでも学生気分でいるんじゃない! と上司にこっぴどく怒鳴られ、その後処理をしていたら腕時計の短針はもうすぐ九時を指そうとしたころだった。当然社内に人気はなく、華の金曜日だというのにオフィスで一人作業をしている自分が寂しく真っ黒なディスプレイに映る