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いい人であることを諦めてみる

私は思春期の時、
いい人であることが正しいと思い続けていた。

両親からは嘘をつくのは最もいけないことであると学び、
とにかく他人に迷惑をかけることを悪とした教育方針であった。

特に私は聞き分けのいいほうであり、人から言われたことは
できる出来ないはさておき、ひとまず自分に取り入れることを心掛けており
よく言えば素直な学生であった。

しかし、なのだ
人の意見を優先し、譲歩し続けているといつのまにか自分の意思がない
主体性のない人間に見られていた。
そしてイイ人はどんどん後回しにされつづけ残りモノになることが多くあった。

そのお陰かわたしはよく学生生活でクラスの残りものになりやすかった
仲の良いグループで2人1組にならなければいけないときは相手に譲り
寂しさを感じることが多かった。

そのためいつしかそのような集団を避けるような人になりつつあったのだ。

また、悪人を許せない正義感も持ち合わせていた
ポイ捨てをする、人のことを悪く言う、遅刻をする、
など色々な悪とされることに対して、不信感や嫌悪感を抱き、またなぜそんなことをするのだろう?と真剣に悩むこともあった。

だが他人に抱いた不信感が自分に向かうことも多くあった。

自分もいつも完璧ではない。魔が刺すこともあったり、怠惰になることもあった。

自分の許せないことと自分がそれをしてしまうジレンマに苦しんでることに気づけず、
ずっと自分を精神的に追い詰める方法しか行うことができず
いつのまにか他人から問い詰められるとすぐに萎えてしまう排他的で破滅的な性格が出来上がってしまっていた。

そんな弱い自分を脱却したく、いろいろな本を読み漁っているとコチラの本に出会ったのだ。

まさに求めていた内容のの題名だったのですぐに飛びついて読んだのだ。

内容は手紙か何かでやりとりしているような話口調の形式で読みやすい内容であった。
しかし辛辣な内容がリアリスティックに書かれており
おそらく心が傷ついている状態の人には読むのが辛いと感じるかもしれない。

ただそこに書いてるのは着飾っていない現実を真剣に伝えてくれている優しさを感じることができる。

私がとにかく衝撃を受けたのが、
弱いあなたは迷惑をかけることを訓練をしなさいと書かれていたことだ。

マクドナルドでも、ドトールコーヒーでも、わざとトレイをテーブルの上に置きっぱなしにする……。  こうした誰の目にも明らかな「小さな迷惑運動」を一心不乱に実行しよう。

カイン:自分の弱さに悩むきみへ

え?そんなこと絶対ダメじゃん。と思うのだが
でも長年いい子を演じてきた人には反動的な荒治療が必要なのだという。

実際にやったかどうかは覚えていない。

いい人であり続けると悪い行動が悪目立ちする。
すこし悪いことをするのに慣れることで他人の目を気にしないようにする練習が必要なんだと私はそこで解釈したのだ。

社会に出て気づいたのは、正論を言う真面目な人より
その人自身の物差しで善悪をはかり、時にはチートしてしまう余裕のある人の方が愛されていることに気づいた。

それから自分なりに無理やり付き合っていた飲み会もお断る決心をしてみたり、
(強がってお酒を飲んでいたが体質に合わないことを受け入れることにした)
人にもモノにも好き嫌いがないよう受け答えしていたが、
◯◯は苦手なんですよね、みんなはこう思うだろうけど私はこうなんですよね
という自分ルールみたいなもので線引きをするよう意識していくことができた。

案外 他人は人の否定的な意見にも寛容で、ああそう言う人もいるんですね、くらいな対応で受け入れてくれるものなんだなと気づいたし
自分にとって無理のない選択ができるようになったので素の自分をすこしずつ出せるようになっていったのだ。

さらに自分を許すことで人を許すこともできるようになり

おかげで不機嫌より上機嫌な時間が増えたので人からやっかまれることも明らかに減っていったのだ。

イイ人は無理に作り上げた善人であり、見透くものなのだ。

無理に悪いことをしなさいと言っているわけではない。

いい人に疲れたら、少し悪いことをする自分を許すことがありのままの自分に近づける第一歩であると私は思うのだ。

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