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僕がいない理由
24日の夜、近所の教会でのクリスマスミサが終わった後、祭壇前に置かれたNativity(キリスト降誕)の様子を見た息子が、「僕がいない」と言った。彼は学校のNativityの劇で東方の博士役だった。その博士がそこには置かれていないことに気づいての「僕がいない」発言だった。「ほんまやなぁ。なんでかなぁ」と言っていたら、すぐ横に、息子の現地校のクラスメイト家族がいることに気付いた。そのママに「〇〇(その場にいたクラスメイト)は羊飼いの役だったからここにいるね。うちの息子は博士役だったんだけど、ここにはいないみたいで、息子は嘆いている」と言ったら、彼女がその理由を教えてくれた。
「三人の博士は、キリストが生まれた夜に導きの星を発見したの。それから砂漠を超えてやって来るのよ。ベツレヘムに到着するのは1月6日の話で、クリスマスの夜にはその場(馬小屋)にはいないのよ」
そうか。確かに、普通に考えれば博士達が東方の国から辿り着くのには何日もかかることはわかることだ。けれど、Nativityの劇では羊飼いが馬小屋を訪れたすぐ後に博士達もやってくる流れになっていて、そのイメージが強い私は、博士達もその夜に到着するものと思い込んでいた。息子のふとしたひと言のおかげで、私の大きな勘違いが解けた。「博士は今はまだあそこにいるよ」と彼女が教えてくれた場所は、通路の端っこの観葉植物の後ろ。え、こんなところ。。。
「私の国(アルゼンチン)ではね、クリスマスの日から1月6日まで、毎日少しずつ博士の置物をクリスマスツリーに近づけていくのよ」とも教えてくれた。ほほう。ということは、今はこうして観葉植物の陰に隠れている博士達も、ジリジリと祭壇に近づけられ、1月6日には祭壇に到着し、晴れてその舞台に一緒に並ぶということなのだろうか。それを確かめるためには、1月6日にもミサに参加しなくては。
スペインでは、12月25日のクリスマスの日よりも、1月6日の公現祭(エピファニー)の日を重視し、盛大に祝われるのだとか。恐らくアルゼンチンも同じスペイン語文化圏なので、同じように祝うのだろう。
ひと口に"キリスト教"と言っても、その宗派や国の違いによって、重要視する日、敬う人、祝い方などたくさんの違いがある。そういう違いは、日本にいるとなかなか見えることがなかったので、今、こうしていろんなことを知る機会があるのは、とても有難いし、おもしろい。できる限り、たくさんの違いを知りたいと思うし、そういう機会には積極的に参加してみるつもりだ。