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映画「Oppenheimer」と「ひろしま」

私は近所の映画館で、チケット確認のボランティアをしている。週に1回1時間程度の仕事だけれど、地域の人との関わりを持つ場として、英語の勉強の場として、私にとって有意義な時間であり、映画館は私にとって、とても大切な場所だ。その映画館で昨日、クリストファー・ノーラン監督の最新作「Oppenheimer(オッペンハイマー)」を観た。観終わった後、しばらく映画館の席から立ち上がることができなかった。その理由は、映画が3時間の長丁場だったことでも、英語が難しくて理解できなかったことでもなく、私のあらゆる感情が渦を巻いて、それを自分の中で処理しきれなかったからだ。

映画「Oppenheimer」は、アメリカの物理学者で”原子爆弾の父“と呼ばれるロバート・オッペンハイマーの半生を描いた伝記的映画であり、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍が行った「マンハッタン・プロジェクト」を中心にストーリーが展開される、アメリカ国内での出来事を、アメリカが描いた映画である。アメリカ国内だけでなく、私が今いるイギリスでも、その他の国でも大ヒット中で、映画の評価も高いという。確かに、出ている俳優陣は豪華だし(映画にさほど詳しくない私でも見たことのある人がたくさん出ていた)、映像美、音響効果、ストーリー構成などは素晴らしく、観客を映画の中に引き込んでしまう凄みがあった。主役のキリアン・マーフィの演技には鬼気迫るものがあり、彼の碧い瞳に吸い込まれそうに感じることもあった。しかし、私はこの映画を“良い映画だ”とか”また観たい“とは、どうしても思うことができなかった。それは、単なる映画として、この映画を受け止めることができなかったからだ。受け止めることができなかったのは、私が自分でも思いがけないほどに、私が日本人だったからだ。“私が日本人だったからだ”、というのはどういうことか。それは、小学生の頃から広島や長崎の原爆被害について学び、大人になってからは自ら被爆者の手記を読み、原爆ドームや平和記念館へ足を運び、自らの体験ではないにせよ、被爆国に生まれた者として少しは原爆の恐ろしさ、悲惨さについ学んできた私にとって、どんな理由であれどんな描かれ方であれ、原爆というものは、肯定的に受け止められるものではない、ということなのだろうし、また、映画は映画だから、などと割り切って受け止めることができないということなのだと思う。

映画は、原子爆弾を賛美したり肯定したりしているものではない。むしろ、主人公のオッペンハイマーは自らが生み出してしまった恐ろしい兵器に対して深い後悔を感じている様子が描かれているし、そうした苦悩を描くことを通じて、科学技術の利用について警鐘を鳴らすものではあると感じた。しかし、それでもやはり、原爆というものを描くからには、その怪物の本当の恐ろしさを、それがもたらした本当の地獄を、映画を観る人に伝える必要があるのではないだろうか、と私は感じた。
映画の中には広島と長崎に原爆が落とされるシーンも、その後の被害が描かれるシーンもない。原爆についての描写があるのは、アメリカ政府が日本のどこに原爆を落とすかを話し合うシーン、大きさの異なる2つの木箱が研究所から送り出されるシーン、ラジオが原爆投下を知らせるシーン、投下後にオッペンハイマーが聴衆に向けて投下成功の演説をするシーン、オッペンハイマーが被爆後の広島の様子を報告する映像(その映像は映されていない)から目を背けるシーンくらいだったのではないかと思う(全てを記憶しているわけではないので、漏れはあるかもしれない)。
映画を観た人の中には、原爆実験が行われたシーンの爆発の映像の迫力に、原爆の恐ろしさを感じたという人も多いだろう。しかし、私が原爆実験のシーンで爆発の中に見たのは、恐ろしさよりも悲しみと怒りだった。爆発の炎の中に、焼かれて死んでいった被爆者の方々の苦しみを見た。爆弾がいつ爆発するか知っていて、途方もなく大きなエネルギーがあるのを知っていて、それによって皮膚や目に害を及ぼす可能性があるのを知っていて、全てに備えながら実験を見ている人たちの背後に、ある日突然空から降ってきた黒い塊に一瞬にして肌を焼かれ目を潰され、そして命を奪われていった人たちを見た。それなのに、その炎を見た米軍関係者は手を取り合い、抱き合いながら喜んでいた。それを観ていた私の目からは、幾筋もの涙が溢れていた。自分でも驚くほどに涙が溢れて止まらなかった。そんな自分に、自分自身で驚いた。そしてそのことに、私は自分が日本人であるというアイデンティティのようなものを感じた。
アメリカ政府が爆弾投下地を決める会議では、どこでもいいような雰囲気で会話がされていた。大統領が新婚旅行で京都へ行き良い場所だったからそこは外すように、などと冗談めかして言うような場面があり、それが事実かどうかということよりも、そんな風に他愛もない会話のように扱われていることが、とても悲しくそして虚しかった。どんなにオッペンハイマーやその他の科学者が、原爆を生み出したことを苦悩する様子が描かれていても、その苦悩する姿よりも、苦悩していない人の姿の方が、私に強い感情を起こさせた。

映画を観終わった後に私に沸き起こった感情は、怒りというよりは、絶望に近い悲しみとやるせなさだった。観終わった後しばらくは、その感情に囚われて動けなかった。しかし、立ち上がり、スクリーンの扉を開け、映画館のチケットカウンター兼カフェへ行き、マネージャーの顔を見たとき、私の心が急に動いた。彼が私に「映画はどうだった?」と尋ねた。私は彼に「正直なところ、英語が難しくて細かいことはよくわからなかった。でも、この映画を単純に”良い映画だ“とは私には言えない。だって私は日本人だから。原爆についての描写がない映画では、原爆の本当の恐ろしさは伝わらないと思う。だから、もしも出来るのならば、私はこの映画館で、広島や長崎の原爆について日本の立場で作られた映画を上映したい。オッペンハイマーを観た人にこそ、原爆の真実を知ってもらいたい」と震える声で伝えた。そこまで一気に話すと、カウンターにお客さんがやってきた。マネージャーは早口で「素直に話してくれてありがとう。ショーコの意見はもっともだ。もし上映したい映画があるなら後で僕にメールしてほしい」と言って接客を始めた。私は頷いて、映画館をあとにした。その時すでに私の頭の中にはひとつの映画がすでに浮かんでいた。

「ひろしま」。原爆投下からわずか8年後の1953年に製作された映画である。ロケ地の一部には実際の被爆地を、小道具には実際の被爆者の衣服やがれきを使い、何より、約88,000人もの広島市民がエキストラとして参加して撮影された映画なのだ。出演者の中には実際に被爆を経験した人たちも多数おり、演技というよりは当時の記憶をそのまま再現したのだという。しかし、映画の内容を問題視した大手配給会社が映画の配給を拒否したことにより(当時はまだGHQによる検閲があった)、映画制作当初はほとんど映画館で上映されることはなかったのだそうだ。自主上映などで細々と公開されるにとどまってしまったけれど、近年、映画の制作に関わっていた方の孫である小林開さんという方が、「ひろしま」にもう一度光を当てようと、SNSなどを通じて、「ひろしま」について発信する活動を始められた。そしてその活動が広がっていき、アメリカ・ハリウッドに拠点を置く会社が、フィルムをデジタル化する資金を提供し、北米での配信が決まったのだという。そしてその後、世界10ヵ国で上映された。
その映画「ひろしま」を、私は私の働く映画館で上映したいと、強く思った。そして、それができるのは、そのために動くことができるのは、私しかいないのだ。映画館で働いている日本人は私しかいないのだから。そう思った私は、その日のうちに映画の上映についての問合せ先を探し、小林開さんに映画「Oppenheimer」を観て感じたこと、「ひろしま」を上映させてほしいことを書き連ねたメールを送った。すると、小林さんは翌日には「もちろん異論はありません」と返事をくださった。その素早い対応に、小林さんの誠意を感じて、とても嬉しかった。
しかし、問題は映画館の方なのだ。マネージャーは私の意見に賛成してくれたけれど、彼には映画を上映するかどうかの決定権はない。基本的には上映作品は配給会社が決めるし、特別上映作品は、映画館のボードメンバーたちが決めるからだ。彼らがノーと言えば、例えマネージャーが賛成してくれていてももちろん上映はできない。彼らがどう受け止めてくれるのか、私にはわからない。現時点の私にできることは、マネージャーに「ひろしま」という映画を上映したいという意思を伝えることだけだ。とにかく、マネージャーにまずはメールを送った。まだ返事はないが、週明けに聞いてみようと思っている。どこまでできるかわからないけれど、とにかく進んでみるしかないし、やらなければ後悔することは間違いないと感じている。

話は少し反れるが、「Oppenheimer」と同日公開されたもう1つの映画「Barbie」も大ヒット中で、2つの映画を合わせて“Barbienheimer”と呼ばれる社会現象になっているらしい。重く暗いテーマの事実に基づいた「Oppenheimer」と、バービー人形が現実世界に飛び出してきたコメディである「Barbie」を同時鑑賞して楽しもうということらしい。2つの映画の写真をコラージュした画像がSNSに溢れかえっている。コロナの影響で冷え込んでいた映画業界を盛り上げるための動きの1つだということは理解できる。しかし、バービーの背景にピンク色のキノコ雲を浮かばせたり、バービーの髪型をキノコ雲にしたりと、私からするとかなりおふざけの度が過ぎていると感じる。それはつまり、そういう画像を作る人たちにとって、原爆とはその程度のものでしかないということなのだ。それにより死んでいった人や生き延びたからこそ地獄を見た人の苦しみが、その人たちにはわからないのだ。もちろん、私にだって本当の苦しみや痛みなんてわからない。わかるはずがない。けれど、その人たちに思いを馳せることはできる。想像することはできる。そして、その人たちに思いを馳せ、苦しみを想像すれば、ピンク色のキノコ雲なんて作らない、作れないはずだと思う。

今回の映画の件に限った話ではなく、物事はなんでも、一方向からだけ見ていたのではわからないことがたくさんある。知り得ないことがたくさんある。白と黒、正義と悪、勝者と敗者の2つの視点だけではなく、様々な視点からの捉え方がある。いろんな立場があることを想像し、その人たちに思いを馳せるということを、私たちはないがしろにしてはいけない。