祖母のネックレス
数年前、祖父母が住んでいた家を引き払うための遺品整理をしていた際に、祖母の赤珊瑚のネックレスを見つけた。そのままのデザインでは私は使わないなと思いながらも、なんとなく心惹かれるものがあったのでもらってきた。でもやはり、そのまま使うことはなく、ずっと眠らせていた。けれどある時、友人のアクセサリーデザイナーに頼んで、そのネックレスをリメイクしてもらうことにした。デザインについては、あーでもないこーでもないと一緒にお酒を飲みながら相談しつつ、彼に託した。
そして依頼した2ヶ月後、祖母のネックレスは、私と娘のイヤリングとなり、新たな輝きを宿して、私のもとに帰って来た。小学生の娘にイヤリングはまだ早いけれど「祖母から受け継いだもの」を彼女にも何か渡しておきたかった。祖母は私が結婚する前に亡くなったので、娘は祖母に一度も会ったことがない。けれど、しっかりとその血は流れ、受け継いでいるんだよ、ということを、ぼんやりとでもいいから感じてほしかった。恐らく、今の時点で、彼女はそんなことを微塵も感じていないと思うけれど。でもいつか、彼女が自分で’’よそおう’’年頃になった時、「そういえば、これはお母さんのおばあちゃんのネックレスだって言ってたな。ひぃおばあちゃんて、どんな人だったのかな」と、会ったことのないひぃおばあちゃんに思いを馳せてくれたらな、と勝手に願っている。そして、もし娘がそう尋ねてくれることがあったなら、「あなたのひぃおばあちゃんは、とても美人でいつも優しい人だったよ」と伝えたい。それと同時に、私が祖母に謝りたかった思いも。
祖母は、結婚してからずっと義母(私の曾祖母)と同居していた。夫である祖父は、大人数の兄弟の長男で、父親を早くに亡くしていたために、祖父が一家の家長の役割を果たしていた。それゆえ、義母との同居は、祖母にとって大変なものであったことは想像に難くない。そして、曾祖母は102歳まで生きた長生きの人だった(100歳になったとき、当時の総理大臣だった小渕恵三元首相からの賞状が届いたことを覚えている)。その曾祖母が亡くなってすぐ、祖母はボケはじめた。きっと、長年の義母との生活で、張り詰めていた糸がぷつん、と切れてしまったのだろう。痴呆ではなく、何か病名がついていたはずだったけれど、それがなんだったかは忘れてしまった。
とにかく、それまでの優しくて美しい祖母ではなくなった。長年連れ添った夫である祖父のことを「あんたは誰だ」などと言っていることもあった。そんな祖母を私は怖いと思ったし、そんな祖母を見るのが嫌だった。何かのときに、祖母を家に1人に出来ないからと、私が1人で祖母の家に一緒にいるよう、父に頼まれたことがあった。恐らく、ほんの数時間のことだったと思う。だけれど、そのほんの数時間が苦痛で苦痛で仕方なかった(祖母はほとんど寝ていただけだったと思うけれど)。 そのしばらく後、祖母は入院し、途中からいわゆる植物人間状態となった。その入院中にも、もちろん何度もお見舞いには行ったけれど、チューブに繋がれ、動くことのない祖母の姿を見るのが、やはり私は嫌だった。病院へ行く度に、父は祖母の手を握って「お母さん」と呼びかけていたけれど、私はそれをほとんどしなかった。そんな状態がどれくらい続いただろうか。ある夏の日、祖母は亡くなった。
正直なところ、それまでの植物人間状態と、死んでしまった姿と、何も変わらないと思ったし、祖母は本当にそれまで生きていたんだろうかとさえ思った。その境目がよくわからず、亡くなったときの悲しみも正直あまりなかった記憶がある。祖母は、唯一の女の孫だった私をとても可愛がってくれていたのに、それに感謝することもなく、本当に最低の孫娘だ。お通夜の前、祖母の顔にお化粧をする時、親戚の誰かに「あなたがおばあちゃんを綺麗にしてあげて」と言われ、自分が使っていた頬紅で、祖母の頬に紅をさした。それが、私が祖母にしてあげることが出来た、最後で唯一の孝行だった。
そんな祖母が、茶道や華道をしていたことを知ったのは祖母が亡くなってから何年もたった後のこと。祖父母の家を引き払うための片付けをしていたら、茶道具や着物がたくさん出てきた。茶道具のいくつかをもらい、お茶碗などはたまにお茶を点てるときに使っている。いつかその道具たちを、娘に託したい。祖母の面影を伝えていきたいし、引き継いでほしいと密かに願っている。しかし、これからの時代を生きる娘にとっては、それは重荷になるかもしれない。そんな古臭いものはいらない、と切り捨てられるかもしれない。茶道具なんて使う機会が限られるのに、保管に場所も取るから、それは仕方のないことだとは思う。けれど、祖母のネックレスからリメイクしたこの赤珊瑚のイヤリングだけは、大切に持っていてほしいと願っている。私が祖母に出来なかった孝行を、娘に押し付けているようなものだけれど。
勝手な孫でごめんね、ばあちゃん。
勝手な母でごめんね、娘。
でも、愛しています。
ありがとう。
こうして、改めて祖母への気持ちを顧みる機会を与えてくれたアクセサリーデザイナーの友人には、本当に感謝している。どうもありがとう。これからもその手で、誰かのよそおいを飾る素敵なアクセサリーを作り続けてほしい。そのアクセサリーが、いつか母から娘、娘から孫へと受け継がれていくことを信じて。