両親が亡くなりました
最近、まったく記事を書くことができませんでした。と、いいながらアメブロとかは少し書いていたりしてましたが。
久しぶりの投稿が、両親が亡くなった・・・なんともネガティブ過ぎる内容だなと思いながらも書きます。
去年 2019年は色々と大変なことが続きまして、平成から令和の時代に移り変わりながらも、人生で最も悲しいお別れをしました。
父親が2019年5月14日、母親が2019年6月21日に亡くなりました。
立て続けでした。
もともと、母親がアルツハイマー型認知症でした。デイサービスに通わせながら、父親と介護をしてましたが、気付けば要介護5で精神障害手帳も取得するほどになってました。それも当たり前かもしれません。何故ならば、介護をはじめてから既に10年以上ほど経過してました。
若年性アルツハイマー型認知症でしたので、母親が60歳になる前くらいから症状があったようです。それは、後からわかったことなのですが、遺品整理をしてたときに日記が出てきまして、自分が(母親が)60歳になったときから書き始めており、物忘れが増えてきたことを補うために日記を書いていたようです。日記は途切れながらも数年書いてたようですが、だんだんと筆圧が弱くなって、途中で日記が途絶えてます。
その日記から時系列をさかのぼっていくと、今から約15年くらい前からアルツハイマー型認知症の症状が出てたようです。
日々の忙しさとか、不安とか、乗り越えなければならない問題などもあり、物忘れがひどくなってきてるのを誰にも相談せずにきてしまったという
感じでしょうか。周りの人も家族も私も気付きませんでした。
病院で検査をして、アルツハイマー型認知症であると診断されたときは絶望を感じました。
アルツハイマーが進むと、食べ物や飲み物を間違えて飲み込んでしまう、誤嚥(ごえん)が頻発します。間違って気管支に入ってしまって、肺炎になることもあります。誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)です。周りの人やデイサービスの人からのすすめもあって、もう自宅での介護は無理であろうと言われてました。
誤嚥するというのは、飲食をクチから摂ることができない(経口摂取できない)からです。どうしようか悩んでたところで、父親の癌が発見されました。
ここから大変でした。
わたし一人で両親を介護することになりました。
昨今、介護問題が取り上げられることが多くなってきてますが、本当に介護は大変ですし、逃れられません。介護をしていくと色々な矛盾を感じ、日々イライラすることが多かったです。
誰のための介護で、なんのための介護なのか、そういった介護する側の気持ちを汲み取れない人が多いということに気付きました。それも後から気づくのですが、自分の親を介護したことがない、自分の親を看取ったことのない人達が介護に従事してることが多いので、気持ちの差というか温度差みたいなのを感じました。これは、悪口ではありません。
男の人で介護するって大変ですよねと言われることもありましたが、実は介護って重労働なので、男性がやるべきなのかもしれないと思うことが多かったです。
母親は精神障害手帳があるので、医療費が免除されますから、療養型の病院に入院をしました。その方が、コスト的に助かりますし、点滴、リハビリ、適切な介護もしてもらうことができました。父親の方は市民病院に入院してましたが、通院しながら抗がん剤治療をすることになりました。
私は自宅と病院を行ったり来たりの毎日でした。
病院というのはとても混んでるときがあり、診察が午前9時30分からなのですが、検査をしたり、診察してもらって、薬をもらって帰宅すると、午後5時過ぎということもありました。病院にいくだけで、疲労することがありました。
こちらは、両親の介護で大変だというのに、そんなことはおかまいなしに、裁判員制度で裁判員に選ばれてしまうし。それも、従来の裁判よりも内容が複雑で証人が複数人登場する、日数の多い裁判だったりして。裁判員のことは今度書きます。
そして、父親は自宅で療養してました。体調が悪くなったので、救急車で病院に搬送、十二指腸に潰瘍ができており、その潰瘍が癌細胞で、出血が止まらずにそのまま亡くなりました。
母親は、アルツハイマー型認知症が進んで、かなり重篤で誤嚥を繰り返しており、急性気管支炎で亡くなりました。
介護は大変でしたが、亡くなったあとも色々と大変です。
うちの実家は、お寺なんです。それも、同じ敷地にお寺と神社があるという神仏習合の名残をみせる実家です。後に神仏分離によって、仏(寺)と神(神社)が分けられて、体系だったスキームを持っていた仏(寺)の方が勢力を伸ばしてしまって、神(神社)の方は廃れつつあります。
となると、うちの親戚とかは、実家のお寺の宗派に則って葬儀や納骨をする訳です。それが普通だと思うのですが。
なぜか、うちの両親は創価学会だったんです。学会がダメだとかではなくて、色々と葬儀の仕方とか、私を含めた遺族側の想いとかもあるわけです。
学会のやりかたに沿うか、実家のお寺の宗派に沿うかで意見割れすることもありましたが、結局は創価学会のやりかたに沿って葬儀、納骨をしました。
もともと、両親が学会のお墓を買ってたということもあり、両親が生前墓として購入していたので、その想いを尊重しようと考えたことが、理由のひとつです。
介護を終えて、看取って、葬儀、納骨も終わって、やっと落ち着きつつあります。やるべきことは、やったなと思います。
年齢50前にして両親が亡くなるとは思わなかったですね。
自分の親が亡くなるという寂しさと悲しさは特別ですね。
また、これからいろいろなことを書いていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。