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COSMOS たましいの楽園 大天使ミカエルとの10年間の記録 1992年~2002年 14歳~24歳 ⑤
地球を守りたい
「地球を守りたい」
そう私が強く感じ始めたのは、いつ頃だったのだろうか。
私が生まれた昭和53年、1978年頃の世の中は、地球環境の破壊や動物絶滅の危機などをさかんに叫び始めていた。
幼い私にとって物質に困らない生活は当たり前のことであったから、飢えや貧困で苦しむ人々が世の中にいることを知ってからは、そのことが強く深く胸に染み込んでいった。
テレビ画面に映し出された、戦争で血まみれになった兵士や骨と皮だけになった子どもを見るたびに、どうしようもない気持ちに襲われた。
1991年1月に起きた湾岸戦争で、ペルシア湾に流出した石油の中を戸惑いながら彷徨っている鳥を見て、言葉にできないほどの深い痛みを感じた。
涙があふれて止まらなかった。
小学生、中学生の頃の私は、人間のすることをひどく嫌っていた。
戦争や自然破壊など、なぜそんなことをしてしまうのか理解できなかった。
しかし人間のすることを憎めば憎むほど、結局自分に跳ね返ってきた。
「幼い私に一体何ができるというのだ?」
自分の無力さを感じ、偉そうなことばかり考えている自分に腹が立った。
その頃いつも心の中にあったのは、このままでは近い将来安心して地球に住めなくなるという不安だった。
戦争、自然災害、、、。一体それがどういう形でかは分からないが、私が大人になるまでには何かが起きてしまうという焦りがあった。
しかし私の周りには本気で地球の将来を案じている人はほとんどいなかった。
私は「特定の人だけが地球に生き残る」という宗教的な考え方には強い反発を感じていた。
すべての人が地球で暮らす権利がある。
そして、すべての人が心の中に清くて美しいものを所有していると信じたかった。
ただそのことを確信するためには、自分は一体どのように生きていけばいいのか、そのために何を選び、どう行動すればよいのか、それに対して答えを出していくには高校3年間の時間が必要だったのだと思う。
地球という星を想うとき、体の底から湧き上がってくる激しい何かがあった。
地球と人間と自然と動物。
すべてが本当に平和で幸せに過ごせる共生の道はないのだろうか。
そして私が真に救われる道は、この「地球を守りたい」という情熱なしには見えてこないのだ。
その時私は、自分が踏み込んだ神秘と運命の扉を開けることを何の躊躇もなく選んだ。
それはまったく自然な流れで起きたことだった。
1993年、15歳の5月、6月頃、私は地球の将来を特に意識し始めていた。
そしてこの文章「COSMOS たましいの楽園」を小説として書き上げようとしていた。しかしあらすじは考えたものの、そこから先は進まず途中で断念してしまった。
これから先、一体この宇宙に何が起きるでしょうか。
地球に、世界に、日本に、埼玉県に。
自然が壊されていくにつれて私たちも壊されていきます。
自然と私たちは一体なのです。
だからできるだけ自然の中で自然の生活をしていきたいと思います。
絶対に誓いたい。
この地球を決して壊さないと。
人類滅亡なんてそんなことさせない。
世界人類が平和に暮らせる日がきっとくる。
今までに失ってきた動物や植物や美しい自然や美味しい水を取り戻したい。
美しい魂には、すべてのものを破壊する汚れた欲望は一滴もないのです。
みんなが幸せになれる日が必ずくると思います。
それは地球の願いだからです。
私は信じます。
地球は美しい姿を保ち続けることを。
動物や植物は地球を生かし、また地球に生かされ続けることを。
そして人間は感動をもって新たな使命に向かい、地球の一員として生かされるでしょう。
一時も神と離れることはないでしょう。
私は「地球との約束」を思い出そうとしていた。
2020年4月の今、新型コロナウイルスで、世界は今、激動の時代を迎えている。このことは後に、人類の歴史にとって大きな転換点であったとみんなが思うだろう。
そして25年以上も前に書いた文章を読み返し、15歳の私は、2020年の今に向けて書いていたのではないかと思い、少し泣きそうになってしまう。
だからこそ今、気持ちを強く持ち続けたいと願っている。