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新学期13日目。「今日が一番嫌!」と言っていたのに、さっと教室へ入っていく。あ、今日の給食、唐揚げだった。

週の半ば、水曜日はやっぱり不機嫌。
(昨夜は今季初の蚊の出現によって眠りも浅かったよう。息子の血が一番美味しいみたい。)

涙目にはならなかったけど「今日は嫌や…」と。「今日も、でしょ?」と返すと、怒って「今日が今までで一番嫌なの!!!」と。

子どもって今を生きてるって本当だな…。



河合隼雄の本に続き、心にズン、と響いた本『9月1日母からのバトン』。


生きるって本当はすごくシンプルなんじゃないか、と素直に思えた。


 やっぱり人間っていうのは、どんなつまんないことでも役目っていうのかな、「役目ごくろうさん」って言ってもらえると、特に子どもはやる気になっていくんじゃないかと思うから。学校自体にそれだけ嫌なものがあるんならば、私だったらば行かせないと、行かなくていいと、そういうふうに思うの。
 子どもも、ずっと不登校でいるっていうのは辛抱がいることだと思うの。…
 そうだとすると、不登校でも、ある日ふっと何かのきっかけで、学校はやめるかもしれないけど、もっと自分に合った、っていうと自分中心だけどそうじゃなくて、自分がいることによって、人が、世の中が、ちょっとウキウキするようなものに出会うということが、絶対にあると思うの。
 だから、9月1日に「嫌だなあ」と思ったら、自殺するよりはもうちょっと待って、世の中を見ててほしいのね。必要のない人なんていないんだから。
 …必ず必要とされるものに出会うから。そこまでは、ずーといてよ。ぷらぷらと。
 とにかく、死ぬのなんてのは(やめて)、大丈夫!ね?年を取れば、必ずがんとか脳卒中とか心臓病とかで死ねるんだから。無理して死なないでいい。

樹木希林 内田也哉子『9月1日母からのバトン』

眼に見えないものっていうのは私はわりかし好きで、…どうも死ぬときのつらさみたいなものは、私が魂は、エンドレスだっていうのをいろんな本で読むんですね。
 自殺なんていうのは、生きようとする肉体の細胞を無理やりシャットアウトするわけだから、自分の肉体ではあるんだけど、細胞の気持ちと相反してるわけです。苦しみをエンドレスでずーっと感じる、死んでも楽にならないんだ…だったらどれくらいまで生きられるかなあ、って思った。
 …もったいないじゃない。
 …「もったいない」って言ったって、死のうと思っているのは、そこから逃れたいからそうするんだろうけど、この「逃れられない」ってことを、誰かが言ってくれないかなあ。

樹木希林 内田也哉子『9月1日母からのバトン』


“もったいない”って、日本人にとって当たり前の精神のはず。それって物に対してだけでなく、命に対してだって同じく当てはまる。

そんなことが、すっと心にしみわたった。


私自身、目の前に見えるものしか見ていなかった。今の現実しか見ていなかった。
子どもが“今”を生きているように、私も目の前の現実を悲観的に見るんじゃなくて、能動的に自分の“今”を精一杯生きようって思う。そうしていたら、いつの間にか“点”が線となって、ああ、いい人生だったなって穏やかに思える日が来るのだろう。

内田也哉子さんの言葉がとても優しい。

 …私が彼女の死から学んだのは、人の命はその長さにかかわらず、最後までまっとうして初めて、生まれてきたことの由縁がわかるかもしれないということ。そして、人は一度死んでしまったら、もう二度と蘇らないということ。
 きっと、母の意とした「もったいない」は、
「せっかく生まれたのなら、無理して急がず、最後に自分がどんな轍を残せたり、どんな景色が見られるのか、それを楽しみに生きましょうよ」
 そんなことではないか、と今なら共に感じられるのです。

樹木希林 内田也哉子『9月1日母からのバトン』



最後に、私の心に残った母としての樹木希林の言葉を。

…この子が食っていけなくなったら、自分も路上でやっていくぐらいの覚悟をするなあ。
 この子の苦しみに寄り添うしかないのよね。だから、ああしろ、こうしろとは、もちろん言わない。言って治るようならとっくに治ってるでしょ?

お釈迦さんがね、「人間として生まれることはきわめて稀なことだ」と言ってるの。だったらね、生き続けなきゃ、もったいないじゃない。

樹木希林 内田也哉子『9月1日母からのバトン』


今日の給食は唐揚げ。それが楽しみ。だから行く。でも、漢字テストは嫌。だから教室の前までついてきて欲しい。そんなシンプルな思考で今を生きている息子。

樹木希林のように、私も「あ、そうなんですね」と受け入れて、教室までついていこう。もちろん、母としての覚悟と共に。


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