桜えび
あたたかい午後、駅前まで歩いていく。
ウールのコートをボタンは留めずにはおり、足元は白いスニーカーを履き、毛糸のてぶくろをはめた。
ナガオカ商店まで出ると、あとはまっすぐ線路脇を通る道である。午後の日差しを顔の正面に浴びながら歩く。行き先は駅前のスターバックスである。スターバックスは安心だ。どこにいても一定のしんせつと飲みものと環境が保証されている。
わたしの注文をとってくれた人の目に施された化粧が、印象的だった。アイラインがくきやかに伸びて、目尻よりやや長く描かれている。その上には緑からオレンジのグラデーションでアイシャドウがつけられている。熱帯の鳥の羽のようだった。これは好きだな、と思う。好きだなと言いたくなるけれど、やめておく。
この店で二番目に好きな席がひとつ空いている。そこに座って、いつもの飲みものを飲みながら本をひらく。ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』。耳にはイヤフォンをつけて、ノイズキャンセリングしながら、それでも聞こえる音を消すために、グールドの弾くバッハのパルティータを流す。
今日はややにぎやかで、ノイズキャンセリングもグールドもかいくぐって声がときおり聞こえてくる。
わたしは、自分が話すときには話す文章が目の前に活字で見える。その活字はかならず縦書きで、フォントは明朝体である。体調によっては、相手の言葉も活字に見え、さらに自分と関係ない人の言葉も活字に見えることがある。今日は、周囲からときおり聞こえてくる言葉の断片が活字になるのだった。
「それにナイティンゲールが切々と訴えているように、『女性には三十分も・・・・自分の時間と呼べるものがなく』いつも中断が入ったのでした」
向かいの席で話している七十代くらいの女性が、「だからそれは地頭がいいってことなのよ」と、同じくらいの歳の男性に言っている。それが縦書きの明朝体になって、ウルフの言葉と重なるようにしてわたしの視界に入る。男性は手入れをしっかりされた革のかばんの表面のような手の甲を頬に当ててだまって聞いている。
「シャーロット・ブロンテに、たとえば年収三百ポンドがあったらどうなっていたか、ここでわたしは少し考えてみたくなりました」
わたしの右隣に座っている女性が言った文章の中の、「桜えび」だけが聞こえた。すぐさま「桜えび」が縦書きの明朝体になって映し出される。次いで、左隣でオンライン会議をしているらしい赤いセーターの女性の言った「SDGsってことは」が耳にはいる。これは「SDGs」は横書きで、「ってことは」は縦書きの明朝体で見せられた。
だいたいこのあたりで、あたりも少し暗くなってきたから、わたしは本をかばんにしまって席を立つ。すぐそばで空席を探していたらしい中年の女性二人組の顔がぱっと明るくなって、すぐにコートを脱いでわたしの立った席についた。
靴紐を、いつも気をつけてしっかりと結ぶのに、3回に一度くらいは道の途中でほどけてしまう。線路際の道の途中で、肩にかけたかばんがずり落ちないように背中に回しながら、上半身をかがめて右の靴紐を結び直した。半身をふたたびまっすぐに戻したら、空がぐるりと動いたように見え、頭の上の雲がやや揺れたようだった。
家に戻ると、玄関を上がったところに、十歳の子が毛布にくるまってひらたく寝そべっている。その上を跨いでリビングに入りながら、「ただいま」というと、「いま、泥水ごっこしてる」という。「泥水ごっこ」とわたしがいうと、「一緒にやる?」と誘われる。特に気持ちが動かなかったので、「いまはいいや」と言ってから手を洗った。
家の電話がなる。出ると、塾の宣伝だった。「高校二年生のお子さんの勉強の様子が心配で、お力になれるかと思い、お電話差し上げました」という。ずいぶん広い範囲で心配をしているものだと思う。「ずいぶん熱心に勉強をしていて、心配しているくらいなのです」と答えると、「そうですか」と言ってそれだけで電話は終わる。宣伝というのはこれで用を足しているのかと思いながら、庭に出て犬に餌をやった。
雲はうすく、ちいさくまだわたしの上にあった。わたしは「桜えび」と、ちいさく発音してみた。