言葉を自分のものにするために
当たり前ですが、人は「自分がわかっていること」しか言葉にできません。
「自分がわかっていること」とは、
自分が経験から実感や手触りをもってイメージできるものです。
教育評論家の糸山泰造さんの講演を聞いたとき、
「リンゴとリンコ」というお話がありましした。
「みなさん、リンゴを頭のなかでイメージしてください。
それでは次にリンコを頭の中でイメージしてください。
リンゴはできるけど、リンコはできませんね。
両方読めるし、書けるけど、
一方はイメージできて、一方はできない。
では、リンコはこれくらいの大きさの魚で、
口をパクリと開けて泳いでいます、
と聞いたらどうでしょうか。
イメージできますね」
つまり、わたしたちが「わかる」ことには、
それが読める、書けることが本質なのではなくて、
それを生き生きとイメージできるか、という点が
重要だというお話でした。
よく「語彙をふやすために本を読む」と
言いますが、
これは一側面でしか正解ではないと思います。
特に子どもの場合、
実体験としてのイメージが乏しいなかで、
言葉を辞書のように意味でとらえても
それは自分のボキャブラリーにならないと思うからです。
リンゴであれば、それを持った時に手に触れた表面の手触り、
色合い、重さ、切った時の中の色、香り、
食べたときに口に広がった味、水気、
それを見たときに誰がいたのか、どういう状況だったのか、
そんなとてつもなくたくさんの情報が合わさっての
リンゴという言葉との出会いが、
「言葉を自分のものにするということ」なのです。
自分の言葉を自分のものにするためには、
経験や手触りの中でイメージを確立する、という視点の他に
もうひとつ大切なことがあります。
それは「自分の心の動きに敏感になること」です。
わたしたちは普段、日常生活で次のサイクルを繰り返しています。
ある出来事からの刺激
↓
刺激に対しての反応
そこにはもちろん心の動きとそれに伴う感情がありますが、
それを認識することなく、ついつい反応を繰り返すことになりがちです。
例えば、緊張する相手に電話するとき、
指先が急に冷たくなって、呼吸が浅くなったりします。
早口になったり、目の前のペンを何度も触ったりするかもしれません。
こんな自分の反応をみつめるもう一人の自分を意識して
もつようにします。
そうすれば、
「ああ、自分は今この人に嫌われないようにしたいと
思って、緊張して電話をしているんだな。
だから呼吸が浅くなっているんだな」
と気づくことができます。
「自分は恐れているのだ」
と、そこで初めて感情に出会えます。
自分の気持ちや出来事を言語化するには、
その前にそのステップが必要です。
それを行うことで、反応の嵐の中に
自分をぽつんと置くことなく、
自分が主人公のシナリオを自分で描くことができるようになるのです。