記憶にないのですが、3つくらいのことです。背もたれがカエルの顔になっている子ども用の椅子を持っていき、お台所仕事をしている母の横に並んだそうです。躾けられたというよりは、私の個性なのかもしれませんね。色々なことがあり、多くのことを教わり、助けられました。そして、壮年期である私の番が回ってきました。
親の証明書用の写真を撮って、感慨を抱きました。元気にしていてくれるけど、間違いなく歳をとっている。祖父が長命だったので、母もそうかもしれませんが、寿命は分かりませんよね。
何かをしてもらう立場から、何かをする立場になったのだとも痛感します。私自身は自身のお墓の手配は済ませてあるから、親のエンディングのQOLを上げて、葬儀・納骨・相続などを済ませることに注力します。
人としての義務感というより、未来に後悔することを減らしているように思います。出来うる限り備えていますが、想定外のことが起きるのが人生ですよね。
あと何回、写真嫌いな親の写真を撮ってやれるだろうと、寂しさとも喪失感とも異なる、独特の感慨は、少し大袈裟かもしれないけれど、実存とか人生のリアリズムと呼びたい気がするのです。
ドキュメンタリー進行形。
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