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感情で動くとき、数は無視される

一言でいうと

感情論は合理性を欠く

活用シーン

正しい判断

内容

エクソンバルディーズ号原油流出事故の訴訟を機に行われた実験。

原油が流出した際に海鳥保護のために設置するオイルフェンスの寄付を募った。この参加者を3つのグループに分けた。

A:海鳥二千羽を救うための寄付
B:海鳥二万羽を救うための寄付
C:海鳥20万羽を救うための寄付

それぞれいくら気負荷を表明してもらった。
平均寄付額は、
A:80ドル
B:78ドル
C:88ドル
と救える鳥の数とはほとんど関係がなかった。

参加者が反応したのは、無力な海鳥の羽に重油が絡みつき、どうしようもなくおぼれ死ぬイメージに対して今の自分が払える額を提示したと考えられる。逆に、実際に巣くうためにいくら必要かという観点は持ち合わせていなかったと考えられる。

感情的な文脈では数がほぼ完全に無視されることが確認された。

『ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか?』
ダニエル・カーネマン (著)

とても割り切った言い方をすると、この実験は
「鳥のかわいそうな姿を金銭的に換算した額」
が寄付額に換算されたと言っているのではないかと思います。

鳥を救うという合理的な理由ではなく、感情を動かされたという理由です。

実は私たちの周囲にも、似たような判断はけっこうあります。
私の経験で言えば、ある団体の幹部をやっていたときに、東日本大震災がありました。多くの人は、その団体の内部留保のお金を被災した団体メンバーに寄付せよ、と言い出しました。

いかにももっともらしい話ですし、感情的には納得しやすい。

しかし、実際にはそんな用途で集めたお金でもなければ、会の共有財産をその場の感情で動かすわけにはいきません。私は断腸の思いでその提案を却下しました。
そのお金で、人ひとりの命がすくならいざしらず、その場しのぎにもならないレベルの話です。まさに上記の実験と同様、「出す方の自己満足にはなるけど、論理的に考えてあまり意味のない行動」ではなかったかと思っています。


まあ、ドストエフスキーの「罪と罰」的な議論に突入していきそうなので深入りはしませんが、私たちの判断は常に合理的ではありえないですし、合理性では答えが出ないこともたくさんあります。

88ドルの寄付は、20万羽の海鳥をすべて救えなかったとしても、何かしらの効果を世界に及ぼすのだと思います。




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