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見た目は派手で味は地味。臼杵の汁かけ飯、黄飯を訪ねて~スープ旅・大分編(レシピあり)

5月のGW明けに大分~宮崎を旅してきました。まずは大分編からお送りします。大分といえば別府や湯布院などの観光地が思い浮かびますが、今回の私の旅の目的地は、大分市のすぐ南に位置する、臼杵市です。

臼杵はここ。内海に面した、おだやかな土地です。

実は私の母は大分出身。子ども時代を祖母の郷里でもある臼杵で過ごしていました。その後一家は大分市に移り住んだため、私はこれまで臼杵を訪れたことがありません。そして、この臼杵には「黄飯」という面白い汁物があるということを母から聞いていました。ぜひ一度、訪れてみたいと思っていたのです。

臼杵ってこんなところです

臼杵は大分市に隣接し、JR大分駅から日豊本線で40分ちょっと。東京~大宮ぐらいの距離感でしょうか。臼杵は小さな街でバスやレンタカーもほとんどなく、観光は徒歩か車。今回は遠縁にあたる釘宮さんに案内いただきました。

臼杵で最も有名な観光地は、1995年に国宝となった「臼杵石仏(臼杵摩崖仏)」です。だいたい平安から鎌倉時代にかけて彫られたのではないかということぐらいで、いつ誰が何の目的で作ったのかは不明だとか。ミステリアスですね。

摩崖仏(まがいぶつ)とは、山の岸壁から掘り起こした石仏のこと。要するに山に直接彫刻をするようなものです。ここには59体もの摩崖仏が国宝指定されています。

自然に囲まれたおおらかな石像からは、石窟遺跡のあるインドや中国など、大陸の匂いもしてきます。

こんなのどかな場所にあるんです

もうひとつの見どころは、臼杵の市街地。ここは城下町として栄えました。阿蘇山の火山灰が固まってできた丘を削って作られた「二王座(におうざ)歴史の道」は、坂道が多く、武家屋敷や寺が密集した風情ある街並み。

街そのものは、臼杵石仏が国宝に指定されたときに観光地として力を入れるべく手を加えたと、みやげ物屋で聞きました。

【ちょこっと臼杵の歴史】永禄5年(1562年)、九州で勢力を広げたキリシタン大名でもある大友宗麟が、海に囲まれた丹生島に、丹生島城(のちの臼杵城)を築きました。商才に長けた宗麟のもと、明やポルトガルとの交易が盛んな商業都市でした。「臼杵」の歴史もここからはじまります。

二王座歴史の道。旧武家屋敷や寺など瓦屋根の風情ある建物が並ぶ。
休憩所やトイレが町中に完備されていて観光しやすいのは、臼杵石仏が国宝に指定されたとき観光地として力を入れるべく手を加えたからだそう。
石垣に囲まれた民家が多い。この家では門から入口への階段は石を切り出して作られていました。摩崖仏もですが、地形の影響を受けています。
風情ある商店街。こちらは大分最古の醤油・味噌醸造店、可兒(かに)醤油の店先。慶長5年(1600年)、臼杵へやってきた元美濃藩主・稲葉貞道の家臣である可兒孫右衛門が開業した。

さて、臼杵観光はこれぐらいで。いよいよ本題に戻ります。

臼杵のぶっかけ飯「黄飯」を食べに行く。

母が生前、私に教えてくれたのが、臼杵の郷土料理「黄飯」でした。

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読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。