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冬の朝、シモーヌは【一二〇〇文字の短編小説 #24】

数日前から声がうまく出ない。のどに痛みがある。ずっと乾いた感じがする。

冬の朝、ベッドに横になったままのシモーヌは「でも、熱はないから風邪ではないわ」とひとりごとをもらす。ずいぶんとしゃがれた声で消え入りそうだから、誰か別の人間が遠くで話しているような気がする。一昨日、ロンドンに初めて雪が降った夜、体を重ねている最中によがると、恋人のティムは「ブルースを聴いてるみたいだ」とほほ笑んだ。シモーヌはその表現がばかみたいに気に入った。

シモーヌは寒くてベッドから起き出せず、かわりに壁掛け時計を見る。いつかスイス・コテージのフリーマーケットで買ったタイメックスのスクールクロックの針はちょうど五時半を指していて、シモーヌはまだ仕事に出かけるまで十分に時間があると思う。シモーヌは大学を卒業した五年前から小学校の教師を務めている。職場までは地下鉄に揺られて三〇分ほどで着く。

掛け布団の下でシモーヌは祈るように手を組んで、どういうわけか、ブルースを生み出した黒人たちに思いをはせる。今から一〇〇年以上も前、奴隷としてアフリカ大陸からアメリカに否応なく連れてこられた苦しみと悲しみと、それでも生きていく喜びがあるからこそ生まれた音楽だ。文字どおり、ブルーな気分を歌う。いや、歌うというよりも訴えると言ったほうが正しいのかもしれない。

それでいながら、つらい労働を乗り越えるための刺激薬のような労働歌でもあったのだと考えられている。ブルースは奴隷解放宣言を受けてそのかたちをより明確にして、アフリカ系アメリカ人たちの文化を豊かにした。それだけではない。哀調を帯びた歌曲は地球規模で音楽の世界を変えてみせている。結局のところ、ブルースがなければ、ジャズもロックンロールも生まれていない。

実のところ、シモーヌはブルースには疎い。大学時代に付き合っていたオスカー──ナイジェリアにルーツを持っていた──がよくブルースを聴いていたけれど、いまひとつしっくりこなかった。けれども、「俺は何にでも、望むものなら何にでもなれるんだ。なんならブルースだって歌えるさ」と言い放つオアシスの「ホワットエバー」はお気に入りだった。とりわけ何かつらいときに「お前が何をしようと、何を言おうと、そうさ、大丈夫なんだって」という歌詞に背中を押されてきた。

シモーヌは当然のように「ホワットエバー」が聴きたくなってスマートフォンのスポティファイを立ち上げる。管弦楽団も交えたイントロが始まると、どういうわけかのどの痛みが増した。けれども「しゃがれ声が魅力のリアム・ギャラガーと一緒に歌うにはちょうどいいじゃない」と思い、シモーヌはベッドから起き上がる。刺すような寒さで体が震える。

冬の朝、シモーヌは賛美歌を歌うかのように姿勢を正し、かすれた声でホワットエバーの歌詞をなぞっていく。のどの下で、ネックレスのブルーデイジーの花がほんの少しだけ揺れる。

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