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正月はパラレルワールド



子どもの頃からお正月が苦手だった。
あの特有の高揚した雰囲気が。
正月というのは、暦上の年初めというだけでなく去年はよく頑張った今年も頑張ろうと休んで仕切り直しをする期間なのだろう。
だから無礼講といった感じで特別なものを食べたり初詣といったような特別な行事に参加するのだろう。

でも私はその浮足だった雰囲気に飲まれながらその期間を過ごすと正月明けに精神がガクッと落ちて半ば絶望感を感じることになる。

おそらく年末年始は決まって家族と過ごすということが関係しているのだ。

普段感情的で情緒不安定な家族が正月になると機嫌が良くなり途端に優しくなる。
まるで他の誰かと人格が入れ替わったかのように。
子どもの頃はそれが嬉しかったが、正月が明けるとまた元に戻るのでその分とても悲しい気持ちが膨らんだ。
それを懲りずに毎年繰り返していた。


そして厄介なのが実家を離れた今は、正月にしか家族に会わないということだ。
だから必然的に「優しい」家族としか接しないことになる。
そして正月が明ける前に帰るので、その奇妙に穏やかな家族に見送られて帰ることになるのだ。

帰りの電車で私はいつも心がぐにゃぐにゃになる。
今の家族は、正月以外でも穏やかに過ごしているのだろうか?はたまた私が幼かった頃のように正月が明けると、ころっと元の人格に戻るのだろうか?
子どもの頃の自分は家族に優しくされたくて酷く当たられても一生懸命に取り繕っていた。
大部分はそうだ。心穏やかに過ごせたことなんて皆無だ。
でも少し優しくされるとつい絆されて、
また期待してしまう。


そんなことをぐるぐる考えながら東京の自宅に到着した。
自宅では恋人が待ってくれており、私は恋人と一緒に、ジップロックに入れて少し貰ってきたお節ーー
筑前煮と伊達巻、エビチリ、蓮根のはさみ揚げを温めて晩御飯にした。


なんだか味が違う、と思った。実家で食べた時も美味しいことは美味しかったが恋人と食べるとゆっくりと味を感じられるような気がし、穏やかな気持ちで食べることができた。

私が求めていたお正月というのは、家族というのはこういうものだったのかもな、とその時思った。
特別高揚することもなく、ただ美味しいものを一緒に食べて淡々と、過ごす。


子どもの頃の非現実的な、別の世界線に迷い込んだようなどこか奇妙なお正月ではない。
お正月がいくら特別な行事だとは言え、日常と地続きなのだ。


そんなことに気付いた年末年始だった。
ただただ、今度のお正月は静かに、穏やかに過ごせるといいな。
今年もよろしくお願いします。




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