かのこ

からりとした日陰

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最近の記事

ごちゃまぜ焼きそば

恋人が飲み会等で帰りが遅いとき、私は焼きそばをよく作る。 ふだんはあまり作らないのだが、実はかなり焼きそばが好きだ。 恋人と晩ごはんを食べるときは、どこかで気を張っているのか「少しだけでも手の込んだものを」だとか「焼きそばだと晩ごはんに向かないかも」とか考えて案外作らない。 でもひとりのときは気兼ねなく作れる。 しかも簡単だから最高だ。 最近は冷蔵庫に少しずつ余ってる食材をぽんぽん入れてつくっている。 だから王道のキャベツ、にんじんなどではなく、厚揚げが入る時もあれば納豆

    • 死を考えている人に接する

      最近、また妹が自死をほのめかしていた。 今までも何度かあったが今回は特に不安定そうだったので、家族にもこの話をした。 (うろたえるのが目に見えているので今までは話さなかった) 話したら案の定うろたえていたが、そのおかげで妹は少し冷静さを取り戻したようだ。 自分より取り乱している人を見て頭が冷えたのかもしれない。 むしろ今まで私が冷静に対応しすぎていたのも良くなったのでは、と思った。 寝る前にこんこんと妹の話を聞くに徹したりなぐさめたりしているとき、恋人に「よく不安定な人を

      • 不調

        1週間くらい前、左耳の聞こえが悪くなって病院へ行ったら、突発性難聴もしくは耳介開放症と言われた。 耳介開放症というのは低気圧の影響で耳介の調節がうまくできなくなる病気らしい。 ずっと左耳だけ水の中にいるような聴こえ方で、また詰まってるような感覚もあり、それだけで頭がぼーっとしてしまう。 このままずっと聴こえないんじゃないかという不安もかなりあった。 しかし、心配しても仕方がないのでそれよりも恐ろしい突発性難聴の可能性はなるべく考えないようにしながら、規則的に処方された薬を

        • 噛み合わない友だち

          先日、旧友と会ってきた。 中学生の頃からのつきあいで、実に5年ぶりに会った。 今回は彼女のことを少し話したいと思う。 彼女とは同じ部活に入ってたので、たぶんそれがきっかけで仲良くなった。  私から見た彼女の印象は、成績が良く容姿端麗で気立も良く、そしてこの言葉は俗っぽくてあまり使いたくなかったが、世間一般で表すところの「女性として完璧なひと」という感じだ。 彼女自身も、そういった人物像に自分を寄せていくようなところがあり、「いちばん人気なもの」「良しとされているもの」を

          ただ、そうである、ということ

          自分の中にある「できない」とか「興味が持てない」という感情について、それはそれでいいのだと思うようになった。 以前は「できない」ことを「できるようにならなければならない。だってそれは恥ずかしいことだから」という意識が強すぎて、少々辛かった。 他人と比べるばかりで、自分が本当にどうしたいのか、何に興味があるのかがわからず、常に消耗感を感じていた。 ただ単に、自分が「そう」であることを受け入れられずにいたのだと思う。 確かに、自分ができないことをやってのける人はすごいと思うが、

          ただ、そうである、ということ

          入院記録

          先日、卵巣腫瘍の摘出手術の為、5日間ほど入院していた。 こういうふうにしっかり手術&入院というのは初めてだったので、今回はそんな入院中に感じたこと、見たものについてまとめてみたいと思う。 ・病室  部屋は大部屋にした。一人部屋にするか迷ったが料金がとても高く、それに比べて大部屋は部屋代については無料だったので、迷わずそちらを選択した。  ひとりだと心細くも不安にもなりそうなところ、喋らずとも同じ部屋に人が居て、生活音が聞こえるのは思いのほか安心感があった。 ・麻酔  手術

          私たちの間には相手の境界線と自分の境界線の、二つの線があることを忘れてしまいがちだ。 思い出すと楽になるよ。

          私たちの間には相手の境界線と自分の境界線の、二つの線があることを忘れてしまいがちだ。 思い出すと楽になるよ。

          傷をなぞる

          「他の人だったら、傷付かなかったかもしれない」 「恋人の方が辛い目に遭っているのに」 でも、そんなものは本当は関係ないのだと思う。 辛い過去をたくましく乗り越えてきたと語る彼らの顔には「手応え」というものを感じる。 また、それに伴う自信を。 眩しく感じる。 でも、私にはそういう感覚を持つ日は来ないんじゃないかと思う。 渦中に入らず、飲み込まれず、ただ見ている、という感覚がずっと付きまとう。 祖母が泣いているのを。 青年の、ずる剥けになった膝から白い骨が見えているのを。

          傷をなぞる

          心づよい

          疲れからか、ふくらはぎの裏側がもやもやして脚を上げていないと眠れない、なんて時がある。 そういう時は大体、ストレッチポールを使ってふくらはぎをごりごりとほぐし、脚の付け根なんかもタオルを筒状に巻いたものを使って同様にほぐすなどすれば落ち着く。 そうやってほとんどの場合は自分で対処するのだが、どうしてもそれでは物足りない、という時がある。 その時である、恋人にマッサージをお願いするのは。 恋人は位置なんかは探り当てるのが苦手なようだが、私の方から「指ひとつ分右」というよう

          心づよい

          果物の話

          先日、散歩がてら近くのコンビニへ行き、コーヒーフロートをテイクアウトした。 店先に簡易なテーブルと椅子があり、そこに座りながらのんびり食べていると、隣のテーブルにパフェを持ったご婦人二人が座った。 聞き耳を立てるわけではないが距離が近いこともあり、ポツポツと彼女たちの会話の内容が聞こえてきた。 それは最近食べた果物の話だった。 「誰々から貰った桃がとても美味しかった」とか、 「あそこの果物屋のフルーツは美味しい。でも葉を早々に取ってしまうから熟れるのが早いので、そこが難点

          果物の話

          海を見に

          恋人の実家に帰った時は、海を見にいく。 いつも引き寄せられるように、自然と足を運ぶようになっていた。 今月帰った時は、いつも団地の部屋で出迎えてくれる彼のお母さんの姿はなかった。 体を悪くし施設に移ることになったのだ。 だから私たちは、突然人が居なくなってしまったようなその部屋を片付け、手続き諸々を済ませるなどしていた。 あくせく動いている間、雨予報が続いていたが、最終日になって突然雨がやんだ。 それで私たちはいつものように海へ向かった。 新潟のこの海はなんだろう。

          海を見に

          微睡み

          以前、友人と昼間からお酒を飲んでいる時 「気分が良くて眠くなってきた」と伝えると、こんな話をしてくれた。 「意外に思うかもしれないけど、能という演劇は眠気の心地よさを楽しむ、という意図もあった」とのこと。 能で眠くなるのには理由があって、能楽は一定のリズムを刻む。他の音楽のように、メロディが激しく変わるようなことはなく、曲が早くても遅くてもリズムは八拍子で進む。 それは心音のリズムから来ていると言われいる。 どんなに速い曲でも、等間隔にリズムが刻まれているとリラックスする

          痛み

          心の痛みに目を向けてみる。 ことに、人から言われたあまり気持ちの良くない言葉に傷付くこころに。 でもいちばん辛いのは、その傷を無理に一般化したり、大したことないと抑えつけてしまうことだ。 呪わないし、呪いも受けない。 否定は拒絶するので、物事に囚われることは少なくなったように思う。 でも、この見えない傷をイヤがるんじゃなくて、その存在と「いるね」と確認しながら、いつの間にか消えるまで、のんびりしていても いいんじゃないか…と思う。 それもまた、誰かの痛みなのだ。

          共感に関するトラブル

          会話の流れで「あ、それ分かります」「その本私も好きです」みたいな感じで、さらっと共感されるのはいいのだが、 なにやら異様なものを感じ取る時がある。 「分かるよ」の後に「もっとこうしたらいいんだよ」とか「あなたなら分かると思うけど」というようなことを続けてくる場合だ。 そこまで共感されるとすごく嫌だ。 それはよっぽど感覚を同じくしているという自信がなければ言えないことで、だってまずそれは不可能なのだ。 自己と他者を混同させすぎてはいないだろうか。 その心理やいかに!?となる

          共感に関するトラブル

          昔見た夢の話

          おそらく10歳になるより前に見て、ずっと憶えている夢がある。 真っ暗な夏の夜、アサガオ柄の浴衣を着た私は木製のリヤカーに乗ってどこかに向かっている。 所々に街灯があり、その灯に照らされて今進んでいる道が暗闇の中に少し浮かんで見えたりした。 途中、灯りに照らされた樹皮が反射し、とても大きな樹の真横を通り過ぎようとしていることに気付いた。 じっと見ていると、その樹の麓に人影がある。目を凝らすとそれは裸のまましゃがんでいる母と妹だった。肌はむらさき色にぬるりと光って いる。

          昔見た夢の話

          関係を取り払う試み(2)

          私は彼らの子どもの頃を知っている。 見たことはないのに見た気がする。 いじめられっ子で誰にも助けてもらえず、ただただ強くなろうと決心した他の子よりも小さな母の姿。 優秀な兄ばかり贔屓されて自分は兄のおまけだと感じ続けていた病弱な父の姿。 彼らはそういった傷を乗り越えられないまま、暗い執念を持ちながら大人になった。 そして子供の頃に得られなかったもの得たものを信じて自分の子に執拗に与えようとしていたのだと思う。 親であるという色眼鏡を外してみた彼らの寂しげな後ろ姿とはそういっ

          関係を取り払う試み(2)