怒りと情熱と介護の『軸』~三好春樹界隈になって得たもの~
私はあまり、怒りを感じることが少ない。
いや、怒りを感じていても、気がついていなくて、通りすぎてから「あ、私、怒ってる?」って今さらジローなタイミングで気がついちゃう事が多かった。
そんな私が、最近怒りを感じ、さらに、その気持ちをちゃんと表現して伝えたできごとが2つあった。
そのどちらも、仕事でのこと。
一つ目は、夜間待機当番のナースがやらかした、ある糖尿病のおじいさんへの対応に対しての怒り。
そのおじいさんが、夕食前に便が出にくくて、浣腸をしてほしいと希望された時の事。
その事を訪問中の介護職員に伝えられ、介護職員から当番看護師に電話で連絡が行った。
そのナースは、すぐに行けない理屈を色々と並べ、介護職員に行くと伝えたものの、2時間!おじいさんに連絡もせずに待たせて訪問した。
おじいさんは怒った。
なぜ、遅れるのに連絡もしないのかと。
呼んだ立場としては、来ると思って待っているのだから、いつまでも来なければ事故にでもあったのかと心配になると。
ごもっともだ。
怒られてしかりだ。
その上、浣腸の手技に失敗し、やり方が悪く、衣服やトイレを汚染した。
さらに、後始末もせずに帰ってしまったせいで、おじいさんの認知症の深い奥さまが、便で汚れた衣服や、捨てるはずのリハビリパンツを洗濯機で洗い、パンツのポリマ-と便が洗濯機のなかで散乱した。
翌日訪問に入った職員に苦情を言われ、管理者として謝罪に行った。
「遅れるのはしかたがない、なぜ連絡もせずに2時間も待たせるのか?」
「他の頑張ってしてくれている職員さんが、あの人のそういういい加減な仕事のせいで、みな台無しになる。」
と、愛のあるお叱りを受けた。
ただ、ただ、申し訳なく、情けなかった。
本当に申し訳ございませんでしたと、心から謝り、今後はこのようなことがないようにしますと約束した。
当の待たせたナースに、なぜ連絡もせずに待たせたのかと聞いた。
「それほど緊急性を感じなかったから」というのが理由。
確かに、浣腸をしてまで排便を夜間にしなくても、平日日中に対応するから明日まで様子を見てくださいと言ったところで、死ぬわけでない。
ただ、その方は神経障害があって、なかなか自然排便が難しく、定期的に浣腸をしている。
その日、本当は昼間にその浣腸の予定日だったが、受診のため、訪問看護がキャンセルになり、排便できていなかった。
その方は、便が下まで降りてきても、なかなか自力で出せないため、スッキリ出すまでちびちびと、パンツに便がついてしまう。
そんな状態で落ち着いてご飯なんか食べられるわけもなく、夕食も食べずにひたすらその看護師の到着を待っていたのだ。
緊急性が高くないと判断した看護師は、その方がの怒りを受け、とまどい、そしてまずいと思ったのだろう。色々と記録や、言い訳にごまかしがあり、他からの報告と、本人の記録や報告に差異が散見した。
必死に時間に遅くなった理由を正当化しようとしていたけれど、責められる点は遅れたことではなく、遅れるということを連絡せずに待たせたことなのだ。
ようするに、誠実さを欠いた対応について、過ちを認め、反省し、今後の行いを改めてほしいのだ。
しかし、何をどう言っても話しは噛み合わず、挙げ句の果てに、「私は役に立っていないから退職します」と申し出られた。
「利用者さんの立場になって考える」
これが出来ていないことが、私にとっては残念で、管理者として、このチームが大事にしたいことを、大事にしてもらえなかった事に怒りを感じ、その思いを、押さえることなく
気がついたらそのまま伝えていた。
もう一つは、介護職チームとのこと。
難しい難病で、治療法が無く、体が突っ張る痙攣が度々起こる女性。
この方は正直、とても複雑で
精神的なことで頻繁に呼ばれたり
依存傾向が強く、対応のしかた次第で要求がどんどんエスカレートしたりするので、慎重に、言葉を選んだり、配慮が必要な方。
皆がいつの間にか、『煙たい存在』
そんな風にカテゴライズしている利用者だった。
その方が、最近、数分間で治まる痙攣発作を頻発し、救急車を何度も呼んだり、病院に頻繁に受診したり、とても落ち着かない状況が続いていた。
そんな方なので、救急隊からも、「またか」という冷ややかな態度や、厳しい言葉をかけられたり、病院でも「そんなぐらいで来なくていい」と言われたり、入院を希望しても、検査を希望しても、点滴を希望しても、どれも叶えてもらえず、益々彼女の心は荒れていった。
先日、痙攣発作を何度も起こした影響から、痙攣後の筋肉等の痛みと、再発作への恐れから、彼女は起き上がれなくなった。
いや、起き上がらなくなったのかもしれない。
車椅子でトイレに自分で行っていたのに、ベッド上でリハビリパンツに排尿するようになった。
起き上がりの手伝いをしようとしても、痙攣が起きそうと言ったり、痛いと言ったりで、起きられないので、寝たきりになっている。
こうなると、もう、説得なども余計に不安や不満から精神的に安定しなくなるので、週末三連休は病院も、ケアマネも相談できない状態であり、ベッド上での生活をどうにか支える介護体制を私たち定期巡回で整えて乗り切るしかない。
幸いにも、定期巡回は、ケアマネを通さずとも、定期巡回の中でのサービス内容の変更や、訪問回数の変更など、必要時に柔軟に対応できる。
今こそ、このサービスの真骨頂を発揮すべき時だった。
私は管理者として、看護師として、今の彼女の状態をアセスメントし、定期的な訪問の増回と、排泄介助を介護スタッフに検討するように伝えた。
スタッフの回答は、「随時彼女の呼ぶ時に対応する」だった。
私はスタッフの判断を尊重し、信頼のもとに任せた。
その翌日は私は休日で、1日明けて出勤した。
すると、随時対応をすると言ったはずなのに、
彼女がオムツが濡れたと呼んだタイミングで訪問はされておらず、2時間~4時間も待たせたり、行ったタイミングで出ていなかった時に、その後の様子見や声かけもせず、呼ばれないからと放置したり、ベッド上で動けない人に対して、あきらかに不十分な対応がされていた。
私は悲しみと、怒りを感じた。
何が悲しいって、単独の職員の対応ではなく、複数関わっているのに、誰もその対応に対して異を唱えたり、疑問を感じていないことだ。
疑問を感じていても、言わずに見て見ぬふりをしている人もいたかもしれないが、それも同罪だ。
なんの疑問も持たず、早朝に受けた排尿のコールに対して、11時に対応するんですけどと、私に伝えてきた職員に対して、私は怒りを隠せなかった。
私がその報告を受けたのが10時。
忙しかったでは済まされない。
なぜ、もっと早く相談してくれなかったのか
この期に及んでまだ、他の訪問が…と迷っている職員に対して、
「私が行くからいい!」と
自ら訪問に向かった。
散々待たされているはずのその彼女
「あ、どーもありがとうございます」
と、不満一つ言わず、私は迎えられた。
「早くから連絡をもらっているのにごめんなさい」
「いいえ、大丈夫です。朝は忙しいからこられないんですよね?」
体調の悪いとき、不安な時はとりつく島がないくらい騒ぎたてる彼女だが、痛みや不安が無い状態であれば、こんなにも穏やかに、こんなにも寛大に、私たちの不十分な介護体制についても文句も言わず、受け入れられている。
私は申し訳なさすぎて、悲しくて、情けなくて、こんな我慢をしている彼女の心の痛みに寄り添えていない私たちのチームを恥じた。
オムツはぐっしょり濡れていて、古くなったおしっこは、どす黒く変色していた。
出た感覚はあって、出たときに知らせてくれたが、濡れていて不快に感じる皮膚感覚は麻痺しているようだった。
オムツを交換し、汗で濡れた衣服を交換し、私は「ありがとうございます」という言葉をいただいたが、申し訳ない贖罪の気持ちでいっぱいだった。
事務所に戻り、オムツを替えに行く予定だった介護職員から「ありがとうございました」と、代わりに訪問にしたことに対するお礼の言葉をかけられた。
私は、無性に腹が立った。
利用者の気持ちに寄り添えない
自分がされたら嫌な介護をしている
そういう自覚が無い事に
そういうチームにしか育っていない
私が管理をしているチームに
腹が立った。
こんな人たちではないと思っていた。
でも、こういう事になったのはなぜ?
彼女だから?
人を選んで介護するの?
なんかいろぐちゃぐちゃした感情があふれた。
「私は利用者の気持ちに寄り添えない介護は嫌。いつから私たちは、利用者の気持ちを考えない、感じようとせず、自分の頭で考えずに、介護側の都合で利用者に我慢をさせるようなチームになったの?すごく、悲しい。
私だったら、朝の6時に連絡したのに、11時にならないとオムツを替えてもらえないなんて、そんなの、切なすぎて泣きたくなる。」
思いをそのままぶちまけた。
しーんってなった。
ちょっと前までの私は
「スタッフに嫌われたくない」
その事から
自分の思いをこんな風に
感情に任せてぶちまけるようなことはなかった。
いや、出来なかったのだ。
自分のなかに芯になる
「やりたい介護」
「やりたくない介護」
が明確でなかったからだ。
だから、不適切な介護が目の前にあっても
言葉にしてそれが
不適切であると表現できなかったのだ。
この「軸」ができたのは
この半年ほど、介護とはなにかを学ぶため
三好春樹先生の「生活リハビリ講座」
を毎月受講しているおかげだ。
この講座は、老いとは何か、介護とは何か、を三好先生の出会ったお年寄りや、介護に携わる人たちとの関わりの中からの学びや発見、多くの書物からの考察や、文献の紹介、あくまでも、いい意味での普通の感覚を大切にした、すべての老いや介護に関わる人に向けた、温かく、優しい、メッセージの詰まった講座である。
持論だけではなく、三好先生が見つけた多くの介護をしているすごい人たちの紹介も惜しみ無くしてくださって、応援もされている。
だから、三好春樹界隈の凄い人たちの影響も合わせて受けまくることができて、一粒で百美味しい、お得な講座なのだ。
半年近く通ううちに、私の中に「いい介護とは何か」という核となるものがはっきりしてきた。介護が対峙するものは、人体ではなく「人生」それを、専門的に、共感的に行うのが介護。
私は看護師であり、医療と生活の間をつなぐ役割もあるが、あくまでも在宅現場は、生活の場であることを忘れてはならない。
看護師である私が管理者であり、看護師も同じチームで働く私たちの定期巡回は、どうしても看護師の医療よりの考え方が強くなりがちで、介護職がそこの支配を受けがちだ。
生命(人体)優先という、パワーワードにいとも簡単に塗りつぶされてしまう。
だからこそ、ここは生活の場である認識をしっかりともち、人生に寄り添う「介護」を専門的にしているんだ!というぶれない『軸』をもたなければならない。
その軸がぶれないように言葉にして伝えられるリーダーが必要なのだ。
管理者である私が看護師であるから、なお、その軸を明確に表現していかなければならない。
今回の私の怒りエピソード2つについても、この軸をしっかりともって言葉にして十分表現できていなかった私にも原因があると思う。
一つ目のナースのエピソードは、排便という生理現象を、命の危機ではないと判断し、対応を軽んじたのは、生活の場である、介護という軸を欠いた判断だったからだ。
(遅れる連絡を怠ったのは、また誠実さを欠いた別の問題だが)
二つ目の尿失禁を長時間放置したケースは、
介護職員の言い分をよくよく聞くと、痙攣発作を起こしてしまう恐れがある利用者に、一人で対応するよりも、二人で安全に対応するためだったという。
二人で対応しても、発作は起きるときは起きるのだけれども、利用者の快、不快よりも、職員の安心と、安全を優先して、人生に寄り添う視点が抜け落ちていたのだ。
チームにブレを生じさせたのは
私リーダー力の未熟さによるところも大きい。
介護のチームをまとめるリーダーであることは、介護とは何かということを言葉にできないといけない。
看護と介護は、共通の部分も多くあるが、それぞれ違う役割をもつのだ。
看護師の&助手のチームを作っていては、生活の現場でのいい介護はできないのだ。
私がぶちギレたこともあり
介護職員の皆さんは
真剣にその彼女の訪問について
どうしていくか、自分たちで考え
訪問スケジュールを立て直してくれた。
時間に黙って遅れて対応したナースも、その後は以前よりも、一人一人の利用者に、誠実に対応してくれている。
(退職の申し出は撤回してくれないが( ;∀;)
言葉の力は絶大だ。
私が三好春樹先生に惹かれるのは、だれにでも分かりやすい言葉で、嘘がなく、体験から紡がれる想いの乗った語りを聞かせてもらえるからだ。講座はもとより、書籍でもそれは同じで、非常に読みやすく、事業所内の勉強会の資料として多用している。(完全に私の趣味嗜好に近いが)
私は言葉は通じなければ話しても、書いても無意味だと思う。
その言葉を確実に相手に伝えたいのなら、伝える側が相手に合わせて伝わる言葉で語ることが真実だと思う。
難しい言葉は、それが通じると思う人だけに向けられたもの、または、努力して解読してでもその言葉を理解したいと思う人に向けたものだ。
介護は、ほぼすべての人に無関係ではないことだ。
生きていれば今より老いるし、老いた人に出会う。
より多くの人に老いや介護を語るには、分かりやすい言葉であることが大切なのだ。
三好春樹先生は、それを先駆的に続けてこられ、それに続く介護の実践者であり語り部である三好春樹界隈の仲間たちの言葉も、皆さん分かりやすく、魅力的なのだ。
私も後れ馳せながら、目の前にいる人たちに、介護を分かりやすく伝えられるようになり、軸のある介護を提供できるチームに育てていきたいと思う。
そして、三好春樹界隈にいることで、ちょっとそこに近付きつつある実感が持てているのが嬉しくもある。
こんなに怒った出来事だったが、変わりつつある自分の成長に気がつけた出来事だった。
怒りの反対の感情は『情熱』だという。
怒りを感じる心を取り戻し、情熱に昇華させられれば素敵な一皮むけた自分に出会える気がするのだ。